「育ててもらう」という才能 | 「書く」を仕事に

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オモロくてキビしくて愛しい、ライター生活。
取材・文/有留もと子
お問合せ/moco_moco_moco@hotmail.com

ライターの有留です。

いつもお世話になっております。

 

連休明けの今日。

天気も空気を読んだのか、

いきなり大荒れ滝汗

 

午後からの打ち合わせの帰り、

傘がほぼ太刀打ちできない風と雨に見舞われました。

 

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これはまだ、傘が役立つ状態のとき。

 

 

ところで、打合せが終わった後、

クライアントさんと雑談していたら、

「人を育てる」ことについて話が流れていき。

 

「やっぱり、こちらが言ったことを素直にやってくれないと

『もういいや』って育てる気持ちがなくなってしまう」

 

という結論に達したとき、ちょうどエレベーターが来たので

お開きになりました。

 

エレベーターに乗りながら、私は複雑な気持ちでした。

 

というのも、これまで出会った編集者さんが

私を育ててくれたから、今の私があると思う反面、

私自身が素直じゃなくて

育ててくれようとしていた人たちを

ガッカリ・失望させてきたという自覚もあるからです。

 

親とか。上司とか。習い事の先生とか。

 

「有留、もういいや」

って思われてきたんだろうな。

 

OL時代、後輩に対しても同じように

「もういいや」

って思ったもんな。

わー、本当に申し訳ございませんでしたガーン

そしてずいぶんと自分の可能性を自ら摘んできたんだろうと

思います。

 

「育てる・育ててもらう」ということに関しては

感謝と後悔の、2つの思いが私の中に色濃くあります。

 

 

ブックライターという立場から見ると、

お手伝いさせていただく著者さんたちは素直な方が多いです。

素直っていう言い方がふさわしくなければ

TY気質な人……つまり、「とりあえずやってみる」人たち。

 

「こうしたらどうですか?」という編集さんからのアドバイスを

スッと取り入れることができる。

編集さんは手ごたえを感じて、もっと育ててみたくなる。


多分、人生の中でそれを繰り返しながら
着実に力をつけ、編集者さんの目に留まり、
出版することができ、その本も売れて……
というスパイラルに乗れたのだと思います。

自分のやり方にこだわることも大切かもしれないけれど。
「育ててもらえる」っていうのは確かに大きな才能です。