ですが、
もし、親から虐待されていた頃の私にこんな理想論を伝えたところで
こんな暴言暴力を振るう親のどこが愛なんだ!
キレイ事言うなー!
お前のいう事なんて信用できるか!
って、心を閉ざされるだけです。
でもね、そこを通ってきたから言いますが、
とことん怒ればいいんです。
とことん恨んだらいいんです。
とことん思いつくしたその先に必ず見えてくるものがありますから。
私はあんなひどい親だったけど、親は親だし、
恨むなんてダメ!
怒るなんて結局あの親と一緒だしダメ!
こんなふうに感情を抑えてしまう癖があるんです。
だけどそこはあくまで人間臭く
絶対にあるはずのドロドロした感情を自分の中で受け入れてみたんです。
沸き上がる感情は湧き上がるままにとことん感じきってみたんです。
そうすると、
本当はそんな親に愛されたかったし、愛したかった。
そして、実はずっと愛されていたし、愛していた。
そんな所に行きました。
見えてくるものは愛でしかないんです。
だから安心して日々の喜怒哀楽を存分に感じたらいいと思うんです。
まずは自分の中の喜怒哀楽を認めて感じてあげることで
感性の器が育っていくのだと思います。
自分の中の喜怒哀楽も認めてあげられないのに、
他人の喜怒哀楽なんてわかるわけがないんです。
「ギャーーーーーーー!!!」
こんなふうに叫びたい時だってあるって。
人間だもの。