ちなみに私は愛とはすべてとしか言いようがないです。
そんなイイ子ちゃんな答えズル~い!って言われそうですが。
でも、考えてみたら
あってないような、ないようであるような
実体のないもんじゃないですかね。
そして何よりやっかいなのは、
人の数だけ感覚が違うということです。
愛の歌って無数にありますもんね。
みんなそれぞれの愛を表現しているんでしょう。
まぁ、仮にこのぼやっとしたものを愛の定義だとしましょう。
これを受け取るってやはり相当大きな器じゃないと受け取れないと思うんですよね。
そしてこの器が感性だと思うんです。
つまりこの感性が広きに渡って張り巡らされていないとキャッチできないもんなんじゃないですか?愛ってやつは。
そしてキャッチできればできる程、
幸福度は勝手にうなぎ上りです。
だって、何でも愛と感じちゃうんだから。
もちろん、人間として生きていたら喜怒哀楽ありますよ。
中でも人は喜と楽=良いもの。
怒と哀=悪いもの。
と分けがちですが、ここでこの愛というぼやっと壮大な定義を使いますと、
喜怒哀楽全部が愛ということになります。
その感覚でいくと、喜怒哀楽何でもこーい!
全部愛として受け止めてやる。
そもそも感じること自体が愛でしかないのです。
ここまで来れたら無敵です。
それはまるでカップのクイーンのよう。
あたし、もうお手上げ~
何でも受け入れちゃうんだから。
受容力抜群です。