交流するためには器が必要 | 主婦だって恋したっていいじゃない

主婦だって恋したっていいじゃない

だって一生女性ですもの

私だけが一方的に彼に想いを投げているように思っていましたが、

もしかすると彼からも私が望んでいる形ではないけれど

投げ返してくれていたのかもしれないです。

 

私が望んでいる形以外は愛じゃない。

愛じゃないならいらないと拗ねていた為、

既に”ある”ものに気づけなかった可能性があります。

 

それを感じる感性が私の中に育まれていなかったので、

受け入れ態勢が無い状態だったのかもしれません。

 

だからいくら彼が投げていてくれても

ノーカウント!

 

また私の一方通行かよ!

と、ひとり虚しくなっていたのかもしれません。

 

私は白黒ハッキリさせたいので目に見える形とか言葉とかで

わかりやすく伝えるのがタイプなので、

 

私がモノをあげて気持ちを表わしてるんだから、

あなたも同等に返してよね!

それ以外は愛じゃないし、いらないから!

 

だいたい、それ以外よくわかんないし!

 

怖いね。私。

 

タロットで言うならば、

ソードのクイーンのようです。

ソードのクイーンとはこの方です。

 

「はいじゃあ、あなたはどうしますか?

私と意見が合わなかったら切りますけど。

さあ!」

 

みたいな感じじゃないですか?

きっぱりしておられる。

 

やっぱ、怖いわ。

 

無意識だとしてもこんな傲慢な思いが私の受容の器を

おちょこばりに小さくしていたのかもしれないです。

 

では、愛を受け取る為にこの感性という名の受容の器を広げるにはどうしたらいいのかですよね。

やっぱり愛されていると実感したいですもんね。

 

じゃあ、そもそも愛ってナニよ?

 

と、尾崎豊のように問うてみますけど、答えられます?

 

これって全人類の一生の課題じゃないですかね。