それなりに年数生きてるといつの間にか打算的といいますか、
現実的といいますか、
子どもの頃に大事にしていた想いをポイポイ道中捨てて、
気づけばこれと言って不満は無いけれど特に楽しくも沸き立つような感情も無い淡々とした生活をするだけの人生の出来上がりです。
私も無意識に選択したものが、
『安定』
だったんです。
愛とか生易しいこと言ってらんねーし!とか思ってました。
安定は大事だと思いますが、何もかもを捨てた上の安定だけって心が麻痺しちゃいます。
何の為に生きてるんだろうってなっちゃうんです。
そしてアドレナリンを無理矢理出す為に外に幸せを求める訳です。
子どもの幸せが自分の幸せになってしまったり、ダンナが自分の理想通りになるように見張ったり。とか。
分かり易くは食に走るとかいらんもんを買ってしまうとか。
でも、そのやり方では1つ叶ったらまた次を叶えに行かないと心が枯渇するからキリがないのよ。
内側からの本当の願いを知りに行き、自分で自分を満たすということをしない限り本当の意味で満たされるということはないのだと思います。
私の心底の願いの一つは
本当に好きな人に「好きだーーー!」って満足するまで、
できれば一生、言ってたいし、
相手からも「好きだ!」って言って欲しい。
思いを交わし合いたいんです。
愛も大事でした。
その為にはまず自分が自分を愛するということです。
自分の内側で起こることが目に見える外側の世界に現れるからです。