この頃はテレビで映画放映されることが少なくなりました。僕が10代のころは深夜放送を含めればほぼ毎日どこかのチャンネルで映画放映していました。吹き替えの賛否や放映時間によるカットなど問題はあったものの、それが”映画への興味”の入口になったことは間違いありません。今や簡単に自宅などで映画を見られるようになったことはありがたいですが、その前にもっと裾野を広げるべく地上波でもっと放映すべきだと思います(放映権などの問題はありますが)。かつての名作と呼ばれる作品たちを知らずに通り過ぎてしまうのを見るのは忍びないです。今日の映画はそんな一本です!

 

この映画はレンタルでは何度も見ていますが、初めて見たのは高校生の時に東京下町の名画座だと記憶しています。映画の開始早々に”クワイ河マーチ”の口笛の中行進しているのを見てこの曲が主題歌であることを知りました

 

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戦場にかける橋

1957年/英・米合作(161分)

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ピエール・ブールの同名小説を巨匠デヴィッド・リーンが監督によって映画化された戦争映画大作!

 

 

 監督

デヴィット・リーン

 原作

ピエール・ブール

 音楽

マルコム・アーノルド

 キャスト

ウイリアム・ホールデン/シアーズ中佐

アレック・ギネス/ニコルソン大佐

ジャック・ホーキンス/ウォーデン少佐

ジェームズ・ドナルド/軍医

ジェフリー・ホーン/ジョイス

アンドレ・モレル/グリーン大佐

 

早川雪洲/斎藤大佐

勝本圭一郎/三浦中尉

ヘンリー大川/兼松大尉

 

監督は「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバゴ」「大いなる遺産」のデヴィッド・リーン。晩年に監督した「ライアンの娘」は評論家から厳しい批判を受けたようですが、個人的にはそんなに悪い映画だとは思いませんでした。主演のニコルソン大佐には「アラビアのロレンス」「マダムと泥棒」「ドクトル・ジバゴ」、そして「スター・ウォーズ」シリーズでオビ=ワン・ケノービを演じたアレック・ギネス。そして「サンセット大通り」「第十七捕虜収容所」「ワイルドバンチ」「麗しのサブリナ」などのウイリアム・ホールデン。さらに「ベン・ハー」「八点鐘が鳴る時」「ギデオン」のジャック・ホーキンスとかなりの豪華版。捕虜収容所所長にはアメリカ、日本、ヨーロッパで国際派俳優の先駆けともいえる早川雪洲が演じています

 

 

 

▲アレック・ギネス/ニコルソン大佐

▲ウイリアム・ホールデン/シアーズ中佐

▲ジャック・ホーキンス/ウォーデン少佐

▲早川雪洲/斎藤大佐

 

第二次世界大戦下の1943年、タイとビルマの国境近くにある日本軍捕虜収容所が舞台_

収容所所長である斎藤大佐(早川雪洲)は、バンコクとラングーンとを結ぶ鉄道を建設すべく、捕虜たちに過酷な労働を強いていた。そこにニコルソン大佐(アレック・ギネス)率いるイギリス軍捕虜が送られてくる。斎藤大佐は、彼らにアメリカ軍のシアーズ中佐(ウィリアム・ホールデン)と共に橋梁建設の労役を命じる。だがニコルソン大佐はジュネーブ協定に反すると主張し、斎藤大佐と対立し営倉に入れられてしまう。やがて、斎藤大佐が折れ、イギリス軍のみで橋の建設を行い見事に完成させることが出来たのだが、同時に橋の爆破の指令を受けたシアーズ中佐が迫っていた・・・

この映画は、第30回アカデミー賞で作品賞、監督賞、主演男優賞(アレック・ギネス)など7部門を受賞しています。特に作品賞、監督賞ではビリー・ワイルダーの「情婦」、シドニー・ルメットの「十二人の怒れる男」を押さえての受賞でした

 

 

 

 

 

  戦場にかける橋とは?

 

戦場にかける橋とは、日本軍において軍事的に重要な意味を持つタイのクウェー川(クワイ川)に架かるクウェー川鉄橋(クワイ川鉄橋)のことです

 

物語としては、捕虜となった英国人将校(アレック・ギネス)と日本人大佐(早川雪洲)が、互いに主義主張を譲らぬ中で、いつしか妥協と協力を繰り返しながら橋建設を進めていくという物語です。序盤から中盤にかけて、アレック・ギネスと早川雪舟の互いのプライドをかけた諍いの中、一度は脱走したものの再び鉄橋爆破の為に戻ってきたウィリアム・ホールデンらが加わり、物語の面白さが増します。このあたりの演出は見事という他ありません。ネタバレは極力避けたいのですが、クライマックスの鉄橋爆破シーンは、数ある戦争映画の中でも屈指の名シーンです

 

この映画は、戦争映画ではありますが戦闘シーンはあまりありません。日本軍と連合軍という単純な対立の構図ではなく、人間の狂気、愚かさ、戦争の無意味さを描いた人間ドラマです。デヴィット・リーン監督は、本作の5年後の62年に名作「アラビアのロレンス」を撮っています。以前レビューしていますが、是非一度は見るべき作品です!個人的に意見を言わせていただけば、タイプが違うので一概には比較できませんが世界観、スケールなどから「アラビアのロレンス」には少し及ばない印象ですが、本作の方がエンタメ要素が強く比較的見やすかった印象です。さらに、物語としては若干複雑ではありますが丁寧な作りこみです

 

 

 

 

  主題歌の「クワイ河マーチ」

 

「戦場にかける橋」といえば思いだすのが、主題歌にもなっている「クワイ川マーチ」です。誰でも聴いたことがある名曲ですね

 

ケネス・ジョセフ・アルフォード作曲の”ボギー大佐”を、作曲家マルコム・アーノルドが「戦場にかける橋」のテーマ曲用に編曲した行進曲が”クワイ河マーチ”です。”ボギー大佐”と言えば中学生のころ、縦笛(当時はリコーダーとは呼んでいなかった)で習いましたね。よく口笛でも吹いてましたし運動会などでも使わていました。そもそも、この映画以前からあった曲なのに、なぜ”ボギー大佐”なのか不思議に思ってましたが、もともとは19世紀にゴルフのプレーヤーのスコアを評価するために、”標準的な仮想の対戦相手”として使われるようになったようです。ゴルフの各ホールの標準的な規定打数を指す言葉として使われるようになり、皆が”ボギー大佐”を目指してプレイしたそうです。今では規定打数はパーで、ボギーというのはパーより一打多く要したことを意味しています。つまり、”ボギー大佐”はゴルフから来た言葉なんですね

 

”クワイ河マーチ”は劇中に何度か流れます。印象的なのが始まってすぐの場面で、新しく捕虜になったイギリス兵たちが、口笛を吹きながら行進してくるところで、英国人捕虜たちの威厳の象徴として用いられております。そして、ラストのエンドロールです。軽やかな音楽とは裏腹に、いったいこの戦いは何だったんだろうと虚しさの中で流れます。数ある映画音楽の中でも「クワイ河マーチ」は、いつまでも耳に残る名曲ではないでしょうか。以前企画した「映画音楽総選挙」では皆さんからの投票で歴代ベスト30には入りませんでしたが番外の41位にランクされました。おそらく30年前ならベスト10に入ったであろう名曲で未来へ残したい曲です
 

 

 

  アレック・ギネスVS早川雪洲

 

この映画は、ウイリアム・ホールデン率いる爆破チームが主役ではありますが、前半から中盤までの主役は、イギリス軍の将校役のアレック・ギネスであり、収容所所長の早川雪洲です

 

二人の意地と主張のぶつかり合いは見ごたえがあります。それは個人対個人というより、戦時下における日本対連合軍との立場や考え方に違いも随所に出てきます。それを見事に演じきった二人によって「戦場にかける橋」の骨格が出来上がっています。もちろんウイリアム・ホールデン、ジャック・ホーキンスらによってエンタメとしての面白さが加わったことは確かですが、アレック・ギネスと早川雪洲の2人によってメッセージ性や映画としての格が上がったことは間違いありません

 

終盤、苦心の末に完成させた橋を照らす夕陽の美しさの中に斎藤大佐(早川雪洲)とニコルソン大佐(アレック・ギネス)とも感慨に浸っている時、ふとニコルソン大佐が呟く

「私は28年の軍隊生活の中で本国にいたのはせいぜい10ヶ月だ。だが、それも終わりに近づいていることに最近気がついた。そして時々自問する。自分の人生は誰かにとって有意義なものであったかと・・・」

▲「地獄の黙示録」

▲「西部戦線異状なし」

▲「ディア・ハンター」

 

  戦争は人間を狂気に陥れる

 

戦争は人を狂気に陥れます。「地獄の黙示録」「ディア・ハンター」「西部戦線異状なし」「シンドラーのリスト」など戦争の狂気を描いた秀作が数多くあり、本作もその中の一作であることに間違いありません。そんな狂気の中で唯一の救いは、橋の爆破の命を受けたシアーズのひと言です

「俺を置いて行ってくれ!」

「どうして死ぬことばかり考えてるんだ。人間らしく生きることが一番大事じゃないのか」

足を負傷した仲間に言い放ったひと言です。それは、何が正しく何が間違っているのかさえ分からなくなっていった戦争という狂気に染まらなかった人間味があります。愛があります。それがないからこそ、いまだに戦争がなくならないのではないでしょうか

 

 

 

 

  全てが終わり残ったものは?

 

迎えるクライマックス!困難な橋の完成に安堵する斎藤大佐、橋の完成に誇りを感じているニコルソン大佐、そして、その橋の爆破にやってきたシアーズ中佐、そこには三者三様の思いが交差します。それぞれの信念のもとにやってきたことに残酷なラストが待ち受けます。そんな中、敵に作らされた橋を守ろうとする者、同胞を殺せと叫ぶ者、そしてついには、生きることに一番執着していた者までが破滅へとひた走る・・

「いったい何のために・・」

全てが終わって、カメラは大きく空まで引いていって川の全景をとらえます。それは何事もなかったように、冒頭と同じく一羽の鷹が空を舞っているだけでした

「狂ってる」

生き残った軍医が何度もそうつぶやきます。すべてが終わったあとも自然はそれまでと変わらない静寂の中にあります。それまでの人間の意地やプライド、もっというと敵か味方かということより、戦争そのものに下した結論です。爆破があったあとも、自然は人々の思惑とは関係なくそれまでの静寂と変わらない。デビッド・リーン監督が示したこのラストシーンに感じる虚無感こそが、一番言いたかったことだと思います。そういう意味では、今はCGによってすごい戦争映画は作れるでしょうが、「西部戦線異状なし」などと並んで二度と作れない戦争映画であると思います。この映画のエンドマークで流れる軽快な”クワイ河マーチ”とは真逆な、見たあとに感じる虚しさは何でしょう

 

是非ご覧ください