どもです!
すでにお話ししている通り、毎年恒例の秋休みでしばらく「ワンダの映画三昧」をお休みします。毎年、この時期に殺人的に忙しくなることもありますが、今年は5年ぶりに自身の公募ブログ「ワンダの公募三昧」を復活させました。二か月くらいの予定ではおりますが皆さんのところへは時々遊びにいきますのでよろしくお願いします。そして公募に興味のある方は是非「ワンダの公募三昧」に遊びにきてください!
今日の映画を初めて観たのは多分、中学生で日曜洋画劇場だと記憶しています。その時の印象としてはあまり覚えておらず、戦争映画では同じ時期に名画座で観た「空軍大戦略」や「ジョニーは戦場へ行った」の方が強烈に印象に残っていました。2度目に観たのは20代の半ばと記憶しています。あまりにも生々しい描写と強いメーセージ性に観終わったあともしばらく席を立てなかったほどの衝撃を受けた一作です。その後、レンタルで何度も何度も観ております。この映画こそ後世に残すべき作品であり、広く皆さんに観ていただきたい映画の一本です!
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「西部戦線異状なし」
1930年/アメリカ(136分)
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第3回アカデミー賞監督賞、作品賞に輝いたルイス・マイルストン監督の戦争映画の名作!
◆ 監 督 |
ルイス・マイルストン
◆ キャスト |
ルイス・ウォルハイム/カチンスキー
リュー・エアーズ/ポール
ジョン・レイ/ヒンメルストス
アーノルド・ルーシー/カントレック
ベン・アレクサンダー/フランツ
スコット・コルク/レエル
ウォルター・ブラウン・ロジャース/ベーム
ウィリアム・ベイクウェル/アルバート
ラッセル・グリーソン/ムラー
▲戦地へ赴く兵隊に歓喜する群衆
▲学校では愛国心に燃える生徒たちが鼓舞する
第一次世界大戦が始まって間もないドイツのある町_
群衆の歓声の中、戦場へ向かう部隊が進軍していく。町は歓喜に沸き、学校では老教師が生徒たちに愛国心を説き、情熱に駆り立てられた多くの若者たちは志願し入隊する。やがて、戦場の最前線におくられた彼らが見たものは・・・ドイツ軍から見た戦争への不安、恐怖、怒り、虚しさなどをいくつものエピソードとともに描いています
この映画の題名でもある「西部戦線」とは、第一次世界大戦におけるドイツとイギリス・フランスなどの連合軍との戦いで、前線となったドイツ西部の戦線を意味します。ドイツ軍がフランス侵攻に失敗したあと、この戦線は「塹壕戦」となり、どちらかというと防御を主体とした戦いですが、最前線における歩兵戦、砲弾攻撃など熾烈をきわめたと言われています。本作では、その前線のようすを生々しく描写し戦争の悲惨さを訴えています。それは過去の戦争映画で描かれたアクションや恋愛や友情などが入り込む余地がないほどリアルで胸を抉られるような説得力に驚かされます
オープニングテロップには次のように流れます
「この物語は告訴でも告白でも、少なくとも冒険物語でもない。死と向き合っている人間にとって、それはとても冒険と呼べるものではない。これは何とか砲弾から逃れられたものの、しかし結局は戦争により破壊された若者たちの物語である」
淡々と語るこのテロップを読むだけで、この映画の底深い哀しみと怒りをうかがい知ることができます。それは、「戦争反対!」と声高に反戦を訴えることに同調しつつも「そうじゃないんだ」と判ってもらえないやるせなさを淡々と諭しているように感じます
覚悟して観てください!
▲過酷な塹壕戦が生々しい
▲鼠やシラミ、そして砲撃の恐怖の日々
戦争映画の最高傑作!とオヤジの話し |
勇ましく軍の行進が鳴り響く中、教室では老教師が無責任な講義と愛国心を植え付け、多くの若者たちを戦争へ駆り立てていく冒頭シーン・・・
1930年公開ですから約90年前の映画です。それでいて、数ある戦争映画の中でも最高峰とも言われる映画です。何といっても生々しいまでのリアルな描写と激しい戦場での臨場感は説得力があります。音楽はほとんど使われておらず、絶え間なく落ちてくる砲弾の音だけが耳に残ります
「音が大きいだけの弾はずっと後ろに落ちるんだ。ほっとけないのは音が小さいやつだ。前触れなくいきなり飛んできて終わりだ」
砲弾の音に震えている彼らに、古参兵がそう説明しているのを聞いて、かつてオヤジが話していたことを思い出しました。オヤジは旧満州から最終的には沖縄で終戦を迎えたそうです。オヤジは通信兵をしていたそうで前線と司令部を結ぶ通信網を担っており、砲弾の中、最前線を文字通り命がけで駆け回っていたそうです。その時の様子をポツリポツリ話したことを思い出しました・・・
「キィーーーン!というでっかい音の時は、音で驚くが遠くに落ちるから大丈夫だ。怖いのはシュッとくるやつだ。これは近い!何度も肝を冷やした。砲弾で吹き飛ばされた奴が何人もいてなあ・・・ついさっきまで話していた奴が・・・俺は運がよかった。いくつもの隊が全滅し、俺がいた中隊(150人くらいらしい)で生き残ったのは3人だけだ。あとはみんなやられちまった・・・」
この話しを聞いたのは私が20代のころで、もう30年以上も前のことです。たまたま戦争映画を二人で見ていて味方が砲撃されていた時に、私が「危ないんならさっさと逃げりゃいいんだ」と能天気にポツリと漏らした時にオヤジに怒鳴られました。オヤジはめったに戦争の話しはしませんでしたが、それが想像を絶する過酷さだったのだろうと想像がつきます
「映画みたいにカッコイイ撃ち合いなんかめったにありゃしねえ・・・いつもみんな泥だらけで目だけがギラギラしてんだ。砲弾が届かないところまで一旦下がって、収まった時に行くんだ!こっちはもう鉄砲の玉なんか残ってねえから銃剣もって敵の陣地に夜襲をかけるんだ。わあああ~ってなもんだ。帰ってくるたんびに(度に)仲間がだんだん減ってるんだ。食うものもなくってなあ、みんな手首なんてこんなもんだ(そう言って親指と人差し指で丸を作った)。虫や葉っぱ、根っこも喰った。砲弾で腕や足を吹っ飛ばされて血だらけになって泣き叫ぶ奴にも赤チンくらいしか塗ってやれなかった、そりゃ~もう・・・」
生き残ったことが申しわけなさそうに小さな声で話してました。実際にそこで聞いた話しはもっともっと悲惨で残酷なものでしたが、ここではあえて書きますまい。自分がまだ小学生くらいの時に、沖縄戦線のことを書き記した50ページくらいのノートを見たことがあります。大切に母の仏壇にしまっていたはずなのですが、オヤジが亡くなる数年前ですから、今から10年ほど前にそのノートのことを聞いたことがあります
「もう捨てた!」
「どうしてだよ?オヤジたちには(戦争を)伝えていく義務があるんじゃないのか?」
「いいんだよ、お前たちは知らなくていいんだ」
珍しく涙ながらに語るオヤジに何もいえなくなりました。未だにその真意はわかりません。それっきりオヤジは戦争の話しをしなくなりました。頑固一徹の大正生まれ。曲がったことが大嫌いな上に短気で損をしていつも貧乏暮らしでした。それでも、何と言うか人生を達観していたような胆の据わり方で、「心配すんな、貧乏でめったに人は死なん!」という変な理屈で煙に巻いておりました。親戚は「食べる物に困っているのに映画や芝居を見にいっていた」と言いますから、元々、少し変わっていたのでしょうが、オヤジ曰く「ハリウッドの別嬪さん(美しい女優)」が大好きで当時としては珍しいほどの洋画通でした。個人的には欲しかった夥しい数のそれらの女優のプロマイドを棺に入れてやり、少し微笑んで見えたオヤジの顔は忘れられません。「お前たちは知らなくていいんだ」という言葉に、今だ答えを出せずにいますが、本作を観るたびにオヤジを思い出します
死闘を繰り広げた塹壕戦! |
戦争映画というと機関銃などでバッタバッタと敵をなぎ倒し、ダイナマイトで敵の本陣をぶっ飛ばす痛快なイメージが多いですが、この映画はある意味、ひたすら地味な映画です。その分リアルで恐ろしい!本作は当時(第一次世界大戦)地上戦で行われた塹壕戦を中心に語られます。「塹壕」とは戦争において敵の銃砲撃から身を守るために陣地の周りに掘る溝のようなもので、「塹壕戦」とは、互いに長大な塹壕を作り、互いに塹壕を突破できずに長期に渡って戦況が膠着した状況をいいます。
▼ここで「塹壕戦」について詳細を「軍事用語辞典」より抜粋して説明します
「参戦各国軍の将兵は、塹壕への無謀な突破を試みてては壊滅し、あるいは無謀だからと占領を試みずに間接砲撃だけを無意味に繰り返し、結果として史上空前の膨大な死傷者を生み出す事になった。その後、これを無力化できる新兵器で機関銃では破壊不可能な装甲を持つ「戦車」と、地形に左右されない機動力を持つ「爆撃機」が登場したことにより、塹壕戦は早くも短い歴史に終わりを告げることになる。しかし、その短い歴史は間違いなく当時の「史上空前の惨劇」であり、「世界大戦」という異常事態を人類史上最大の汚点として世界に知らしめたものである。」
本作では、この塹壕戦の描写がリアルで、まるで自分たちがそこに居るかのような臨場感と恐怖心を嫌と言うほど味わうことになります。キーンという砲弾が雨のよう落ちてきて地面を揺らし、ネズミやシラミの大量発生、銃弾は尽きスコップや短刀での殺し合いなど、あまりに生々しく恐ろしい!さらに、そんな極限状況にもかかわらず血だらけになったパンをむさぼり食う人間の性が哀しい。劇中に久しぶりの食料の配給で人数分の食料を、戦死して半分の人数になったので、その分、倍食べられることになった時の兵隊たちの喜びは複雑な思いがあります。戦場では、道徳や人間性が無視されてしまうのでしょう。痛々しいほどの現実味に溢れています。
「俺たちは、壕の中で暮らし殺されまいと頑張っている。でも、時には殺される。それだけのことだ!」
休暇で一時故郷に帰って来た時、自分たちがそうであったように、相変わらず教師は生徒たちに愛国心を煽り、戦場に送り込もうとし、ポールに演説を頼みます
「先生は昔も同じことを言った。また若い英雄を作ろうとしている。祖国に殉ずることを美しいと思っている。我々もそう思ったが最初の砲撃で目がさめた。戦死は汚くて苦しい。国のためになど死んではいけない!何百万人が国のためにムダに死んでいる。先生は彼らを行かせたんだ。君たちに死ねと言う。だが死ねと言うのは死ぬことよりやさしい」
このことによりポールは、そこにいた生徒たちから「卑怯者」と罵られます。休暇で故郷に戻ったポールは「戦争というものを理解していない」故郷や人々に絶望し、行き場所を失った彼は休暇を残し戦場に行く(帰る)しかなかった。居場所があった前線では多くの仲間が死に、もはやポールのいるべき場所がなかったことが悔しくもあり哀しいですね
西部戦線異状なし! |
長い雨の後の晴れた日、戦場は砲弾の音もなく珍しく静かだった。ハーモニカの音が聞こえ、そこへ一羽のアゲハ蝶が飛んできた。蝶が好きなポール(休暇で一時故郷に戻った時に蝶の標本収集の場面があります)は、思わずほくそ笑み、塹壕からそっと手を出す。その瞬間、敵の狙撃兵の弾丸がポールの若い命を奪います
この映画の題名は、主人公ポールが戦死した日の報告に「西部戦線異状なし。報告すべき件なし」と記載されていた事に由来しています
なお、本作について書かれた文献をいくつか読ませていただきましたが、徹底した考証(服装、髪型、小道具、兵士の基本教練)、さらに残虐な描写を交えた戦闘シーンなどは、当時のドイツ軍の雰囲気をかなり正確に伝えているようです
ラストの夥しい数の十字架の映像 |
数ある戦争映画の中で、今もなお最高峰とも言われ輝き続ける作品です。リアルな描写、戦場の臨場感、そして反戦姿勢。1930年にこの作品が存在したことが奇跡です!未だに本作を超える戦争映画はありませんし、今後も出てこないでしょう
この映画からわずか9年後の1939年に、ドイツはポーランドへ侵攻し第二次世界大戦の火ぶたが切られます。その張本人のヒットラーは第一次大戦で戦地で戦っておりました
未だに世界の各地で紛争が続いています。いったい私たちは何を学んできたのでしょうか?
是非観るべき映画の一本です!
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1917年にペンネーム「ファブリス・ドニョ」の名で日記を出版したバルベイは、塹壕での悲惨な日常についての一部を次のように語っています。
「我々のシェルターから1メートル先の場所には、土を掘って作った4人の兵士の墓がある。その上には制帽がぶら下がった1本の十字架が立っている。この4人は運悪く、ここからほど近い民家の地下室で、窓から投げ込まれた手りゅう弾によって殺されてしまった」(1914年10月26日)
「ドイツ軍が機関銃でこちらに撃ってくる。弾丸がそこらじゅうに飛びかっている。私の左側では『ああ、お母さん!』という誰かの叫び声が聞こえ、全く聞こえなくなる」(同年11月2日)
「銃をつかみ、速やかに銃剣を構え、攻撃するよう命令された。(中略)今、我々は銃弾が一面にばらまかれた場所にいる。……バーン、バーン、バーン……。数人が敵弾に倒れる。我々は走り、飛び跳ねる。叫ぶものもいれば、笑い出すものもいる」(同年12月1日)