小ネタ(その2:ノーベル賞に思う) | ににとみるくの日記

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ノーベル賞で今年は珍しく日本人が注目された。子供の頃はノーベル賞を取った日本人と言えば、湯川秀樹と江崎玲於奈、平和賞を佐藤栄作って感じで全員覚えられたけど、16人になるとそれも苦しいかも。

さて、今回の受賞日本人4名のうち、アメリカ在住者が2名であった。戦後、研究環境を求めてアメリカに渡ったとの事。これに関して、多くのマスコミが日本の基礎研究に対する姿勢を批判しているのを聞いた人は多いと思う。

日本の科学分野に対する基礎研究への理解は、批判のとおり必ずしも高いものではない。私自身、某企業で工学分野の基礎研究を行っている研究者なので、その辺りの苦しみは肌で感じるところである。企業も世論も研究成果をその時点の価値観による経済的価値で判断しようとし、将来性や学問的意味については問わないから、そうなるのも仕方ないところだし、そのような認められ方をできないものは研究の価値なしとして予算が出ないのだから、大学や研究機関がそんな風潮を追いかけてしまうのも致し方ないところだろう。

マスコミおよびキャスターはこのような現実を捉えて日本の状況を批判し、海外、特にアメリカを引き合いに出して「アメリカでは基礎研究への理解があり、良い環境があるので日本の頭脳が流出している」と騒ぎ立てる。

確かにそういう一面はある。だがしかし、違った側面と考えてみてもらいたい。

研究者は研究し、発見した事を論文にし、または発表する事で自分の研究成果をアピールする事が仕事である。これらの活動が唯一の価値なのである。ゴソゴソと研究室にこもって、一人で実験していてもダメなのである。それを発表して始めて認められるのである。また、多くの読者、この場合は同業者となる研究者が発表に触れ、内容を認めてもらう事が重要なのである。

重要なのは「発表」であると書いた。では、発表に必要なのは何か?もちろん研究成果が必要である。これなしでは何も発表できない。ではこれだけでよいかというとそうではない。発表の場所、雑誌などの媒体が必要である。また、それらに情報を載せ、聞かせるための言葉が必要なのである。さらに、研究者の発表というのは論文を書けば必ず世に出るというものではなく、必ず同業者などの手により査読という一種の審査があり、これにパスする必要があるのである。

回りくどい書き方をしたが、本当に何が必要になるのか・・・それは人脈と語学力(外国語力という意味ではない)なのである。

少なくとも戦後、学術機関の世界はアメリカがもっとも権威あるものとされてきた。それは待遇の良さもあるが、それ以上に戦勝国として国力的に優位に立ち、敗戦国の科学技術を政治力で押さえつけてきたこと、また、戦争で混乱し焦土と化したヨーロッパや日本などから優秀な人を連れ出し、自国に招き入れたという歴史的事情がある。

その結果、全世界の研究者はアメリカの学会、あるいは雑誌に対して自分の論文が掲載される事が重要であると認識し、また、実際そのようになった。また、彼らに論文を読ませる必要性がある事から、論文の記述や発表では英語を用いる事が必須となった。実際、学術論文ではないが、通信技術の世界標準化を行う団体であるITUなどでは、国連の公用語を使うが、基本的に英語あるいはフランス語(実際には英語が必須)となっているのである。

ここまでで何が言いたいかわかった方は勘がいい。つまり言いたい事は、「アメリカで研究をしたほうが、研究者が研究し認めてもらう上で都合が良い」のである。これはいくら日本国内で意識が変わって、基礎研究を大事にしても、決して超えられない壁なのである。

そもそも、日本人には英語で論文を書く事自体がハンディキャップである。でも、これをやらなければアメリカの学会では認めてもらえず、逆に日本語で論述したとしても、日本の学会では認められても、その影響は世界には及ばない。結局ローカルに閉じてしまい、ダメなのである。

もし、先の戦争で日本がアメリカに勝っていたならば、どうであっただろう?日本語が使われる人口は今より遥かに多く、また、日本の学界の権威も今よりはずっと高いものになっていたに違いない。そうなれば、日本人は自分により有利なホームで戦うことができ、有利な条件で発表ができているはずである。そうなれば、何を好き好んで海外へ行って研究などするだろうか??

戦争中、日本も核兵器の研究は行っていた。かなりしっかりとした研究が行われており、その延長線が湯川であり今回の受賞者たちなのである。かねてより基礎はしっかりと構築されていたのだ。しかし、戦後日本の核物理学研究はGHQの手により禁止され、設備や研究成果は破棄、あるいはアメリカへ持ち出されてしまった。そんな厳しい状況の中、日本の物理学者は研究を再開し、今の状況を築き上げたのである。

自然科学に国境はない。どこでやっても同じである。だから、研究者はより有利な条件のところへ行くだけのことで、でもその日本の不利な環境は決して日本国民や政府のせいではなく、戦争の勝敗を含む、社会環境が作り上げてしまったものであることを理解してもらいたいと思う。

とはいえ、もう少し日本の世論も実用本位だけではなくて、将来への投資としての基礎研究に理解を示してもいいと思いますけどね。

#ちなみに、このコメントは昨日(10/9)のJ-waveの番組(ジャムザワールド)を聞いて思ったことです。この番組、私からは何度も批判されていますが、キャスターのレベルが低く、自分自身があまり詳しくないことを想像だけでコメントし、決して修正しないという大きな問題がある番組です。