主のなさるすばらしいことの一つ一つに感謝し、
諸国の民に伝えなさい。
賛美の歌を歌い、
会う人ごとにその奇跡を告げ知らせなさい
主を拝む人々は、その名を誇り、喜びなさい。
常に主を求め、御力を慕い続けなさい。

5-6 主がどれほど大きいことをしてくださったか、
考えてみなさい。

それは、私たちが主のしもべアブラハムと
ヤコブの子孫であり、選ばれた民だからです。
さあ、どのようにして敵を滅ぼしていただいたか、
思い起こしなさい。
私たちの神の恵みは、国中の至る所で明らかです。
8-9 たとえ、何千年を経たのちでも、
主は約束を忘れず、
アブラハムやイサクと結んだ契約を
守られます。
10-11 そして、この契約をヤコブに再確認されました。
「カナンの地を相続させよう」という、
イスラエルへの約束です。
12 このころはまだ、
イスラエルはほんの一にぎりの民族で、
カナンの寄留民にすぎませんでした。
13 彼らは国々に散らされ、
国から国へと放浪したこともありました。
14 しかし、そんな時でも、主の許しなしには、
だれも彼らを攻撃することはできなかったのです。
彼らを攻撃しようとする多くの王が滅ぼされました。
15 神の警告が響き渡りました。
「わたしの選んだ者にさわるな。
わたしの預言者に害を加えるな。」

16 主がカナンの地にききんを呼び寄せられると、
食糧が底をつきました。
17 一方、ご自分の民を飢えから救うため、
ヨセフを奴隷としてエジプトに送られました。
18 ところがヨセフは牢獄につながれ、
足かせや鉄の首輪をかけられたのです。
19 神の時がくるまで、
ヨセフは忍耐を試されました。
20 彼はついに、王によって自由の身とされ、
21 王室の全財産の管理を任されました。
22 ヨセフは、思いどおりに王の補佐官を投獄したり、
側近を教育したりできる身分となったのです。

23 そののち、ヤコブもエジプトを訪れて、
息子たちとともに住みつくことになりました。
24 それ以後、イスラエルの民は増え、
支配者たちを脅かす大民族とまでなったのです。
25 このころ神は、
エジプト人をイスラエルの敵と変え、
イスラエルは奴隷にされました。

26 しかし、主はご自分の代理として、
モーセをアロンとともに派遣なさいました。
27 エジプトに、恐ろしいみわざを行うためです。
28 主からの指図を受けて、
この二人は国中を暗闇で覆い、
29 あの大河を血に変え、
魚を死滅させました。
30 また、おびただしいかえるが現れ、
王の部屋に侵入しました。
31 モーセのひと言で、
あぶやぶよが、雲が立ちこめるように、
エジプト全土を覆いました。
32 主は、雨の代わりに、
人の頭を打ち砕く雹をお降らせになりました。
また、いなずまの先に、
エジプトの民は震え上がりました。
33 ぶどうといちじくの木は全滅し、
木という木の幹は、ことごとく裂けたのです。
34 また、主のひと声で、いなごの大群が襲来し、
35 青いものを跡形なく食い尽くし、
穀物をすべて食い荒らしました。
36 続いて、主は
エジプト人の全家庭の長男を、
その家の誇りである長男を打たれました。
37 一方、ご自分の民には、
銀と金をふんだんに持たせて、
エジプトを脱出させてくださいました。
その時、一行の中からは、
体の弱い者や病人は一人も出ませんでした。
38 エジプトは彼らを
非常に恐れるようになっていたので、
彼らが出て行くことを喜びました。

39 主は雲の幕を広げて、
彼らを焼けつく日ざしから守り、
夜には火の柱を立てて、明かりとされました。
40 人々が肉を欲しがると、空からうずらを降らせ、
天からパンであるマナを
お与えになりました。
41 主が岩を裂かれると、水がほとばしり出て、
乾いた地を潤す川となりました。
42 主は、しもべアブラハムへの約束
覚えておられたのです。

43 こうして、選ばれた民イスラエルは、
意気揚々と約束の地に入りました。
44 主が、麦の穂の波打つ他民族の地を
与えてくださったので、
彼らは他人が育てた穀物を食べました。
45 これは、かれらが主のおきてを
忠実に守るようになるためでした。
ハレルヤ。

 

言うまでもなく、アブラハム契約からイスラエルがエジプトを出てカナンに至るところです。

言うまでもないのは、それが事実であったとか、イスラエルは特別だとかの主張だけではありません。

全部が全部、この壮大なイスラエルのみちびきを、アブラハムとの交わした契約によって神が成されたということです。

神がやられました。イスラエルの人たちはただ選ばれ、神に背きながらも立ち返るを繰り返して離れず、神にみちびかれていきました。

 

じゃあこれは、イスラエルがどれだけ特別な人たちなのかが語られているものなのでしょうか。

私は、そうだと思うと共に、アブラハム契約のうちの神の履行内容はそこにとどまらないことを思い出すのです。

 

それは、「地のすべての国々は、あなた(アブラハム)の子孫によって祝福を受ける」ことを含んでいることです。

つまり、この詩編105はイスラエルへの伝承であるとともに、現代人への証でもあることをしっかりと受け止めるべきところだと、私は思います。

 

実際、その神による契約履行は、もう一つの証をともなって、今も生き続けています。

イエス・キリストという証です。

イエスは人にあってはイスラエルの子孫です。もちろん、もう一つの真実は神であられるということです。

十字架にかかって死んでくださったことは、アブラハム契約が有効であること、つまり、神が約束を着実に実行されていることを証しています。

そして、イエスが復活されたことは、それが確かに、人の形を取られながら、神の契約履行であったことを記録しているものです。

現代にもしこの詩編が書かれるなら、イエスの復活が記されることになるでしょう。

 

神からの祝福、それはイコール「救い」として問題ありませんが、これはその遂行において確実なものです。

ただ、ここでイスラエルの民が祝福を受けてカナンへとみちびきかれるにあたって、思い出しておくべきことがあります。

それは、彼らは確かにその祝福のために何かをしたのではありませんが、神のみちびきを受け入れて、神に従うことだけは守ったということです。もちろん、紆余曲折はありましたが。

従うということは、祝福の受け取りです。祝福を受けるには、受け取ることは必要です。

 

ついにイエスという証が成された現代世界でも同じです。

神による、すべての国々に対する祝福はもう用意されて出来上がっていますが、これを受け取るには、神に従うこと、神を信頼することが必要になってきます。

つまりそれが信仰です。信仰によって、死による滅びではなく、永遠に神と生きるいのちという奇跡が起こります。神の愛の全てで祝福を受けることになります。

私は、信じてくださいと、全ての人々に言いたいのです。