アモス書 2:1-8
Amos2:1-8
1 主はこう言います。
「モアブの住民は何度もくり返して罪を犯し、
わたしはそのことを忘れない。
もうこれ以上、処罰を猶予しない。
彼らはエドムの王たちの墓を汚し、
死者を丁重に取り扱わなかったからだ。
1 I will not relent from punishing Moab
for three crimes, even four,
because he burned the bones
of the king of Edom to lime.
2 今、その報いとしてモアブに火を放ち、
その火はケリヨテの宮殿をすべて破壊する。
勇士が叫び、角笛が鳴り響くうちに、
モアブは混乱の中で倒れる。
2 Therefore, I will send fire against Moab,
and it will consume the citadels of Kerioth.
Moab will die with a tumult,
with shouting and the sound of the ram’s horn.
3 わたしは彼らの王を滅ぼし、その臣下をみな殺す。」
3 I will cut off the judge from the land
and kill all its officials with him.
The Lord has spoken.
4 主はこう言います。
「ユダの民は何度もくり返して罪を犯し、
わたしはそのことを忘れない。
もうこれ以上、処罰を猶予しない。
彼らは神の教えを受け入れず、従うことを拒んだからだ。
先祖がそうであったように、
心をかたくなにして罪を犯した。
4 The Lord says:
I will not relent from punishing Judah
for three crimes, even four,
because they have rejected the instruction of the Lord
and have not kept his statutes.
The lies that their ancestors followed
have led them astray.
5 だから、ユダを火で滅ぼし、
エルサレムの宮殿もとりでもすべて灰にする。」
5 Therefore, I will send fire against Judah,
and it will consume the citadels of Jerusalem.
6 主はこう言います。
「イスラエルの民は何度もくり返して罪を犯し、
わたしはそのことを忘れない。
もうこれ以上、処罰を猶予しない。
彼らはわいろを取って公正な裁判を曲げ、
借金を返せない貧しい者を奴隷に売ったからだ。
それも、たったのくつ一足分の代金のために。
6 The Lord says:
I will not relent from punishing Israel
for three crimes, even four,
because they sell a righteous person for silver
and a needy person for a pair of sandals.
7 彼らは貧しい者を踏みつけ、
おとなしい者を足蹴にする。
父と息子とが同じ巫女を犯し、
わたしの聖なる名を傷つけている。
7 They trample the heads of the poor
on the dust of the ground
and obstruct the path of the needy.
A man and his father have sexual relations
with the same girl,
profaning my holy name.
8 祭りの日には、
借金のかたに取った着物の上で横になり、
わたしの神殿に、
取り立てた金で買ったぶどう酒を携えて来る。
8 They stretch out beside every altar
on garments taken as collateral,
and in the house of their God
they drink wine obtained through fines.
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人間にある時間の限界とは、人間としての限界であると思える。
そこが、神と人間をそもそも分けるところだろう。
しかし、人間が考えている事とは程遠く、神はその限界ある人間に近づいてくださっていることを覚えなければ。
この神を信じるということは、人間の限界性を打ち破ることなのだと、聖書は明言しているのだから。
人間が神に近づく前に、無限の神が近づいてくださっている。
人間が神を求めて戸を叩いているのではなく、神が戸を叩いてくださっている。
だから、その戸を開けるのは、むしろ人間側であることにもっと気づいて、もっと開けていく必要がある。
神はやってくださる。神は成してくださる。
自分に起きていることを神に伝えるのではなく、自分に起きていることは神がされていることだと気づく必要がある。
心配や不安、苦しみ悲しみでさえも、信じる者に最善の道を与えておられることに目を開いていく。戸を開けていく。
これが最善なんだ、これ以上良いものはないのだと気づいていく。
実際、イエスは言われた。
右の手が罪をおかすなら切って捨ててしまいなさい。
全身が地獄に落ちるよりましだ。
と。
単なる比喩か。確かに想定ではある。
しかし、罪によって全身が地獄に落ちるのは事実であり、それならば、片手を失うことで罪から脱せるならばそちらの方がましだと言われている。
だから、全身が地獄に落ちてしまわないために、矯正とも強制とも取れる困難が与えられることは、やはり最善なのだと受け取ることが出来る。
世にこれを言えば、狂人扱いとなるだろう。
人間を苦しめたり、喜んでいるものを取り去る神などいない、となる。
だから、世の中に苦しみがある限り、神などいないという論法が成り立つ。
しかし聖書は、神はそれをされると明言している。
全身が地獄に落ちてしまわないように、というのは、かなり人間に近づいた表現で、個人を取れば要するにそういう理由で。
だから、自分に声をかける。
神の御前に行こう、神に助けを求めよう、神が待っておられる。