ハレルヤ。
主の恵み深さを感謝します。
その愛は、いつまでも変わることがありません。
2 栄光に輝く主の奇跡を、
一つ残らず書き留めることのできる人が
いるでしょうか。
だれが、あなたを十分に賛美し尽くせましょう。
3 公平と正義と思いやりとを身につけている人々には、
幸福が訪れます。
4 ああ主よ。
あなたの民に祝福と救いを注がれるとき、
私にも目を留めてください。
5 この身をも、選ばれた民の繁栄にあずからせ、
彼らと同じ喜びに浸り、
ご栄光を共に味わわせてください。
6 私たちも先祖と同じように、
はなはだしく悪の道にそれました。
7 私たちの先祖はエジプトで、
あれほどの奇跡を目撃しながら、感動することもなく、
たちまち数々の恵みを忘れてしまいました。
それどころか、紅海のほとりで、
神に逆らったのです。
8 しかし、そんな人々をも、主はお救いになりました。
それは、ご自身の名誉を守り、
お力を全世界に知らせるためでした。
9 神が紅海に命じると、海は二つに裂け、
まるで荒野のように乾ききった、
一本の道ができたのです。
10 こうして、主は人々を敵の手から救い出し、
11 そののちすぐに水を元に戻して、
敵を一人残らずおぼれさせました。
12 ここまで来て、ようやく先祖たちは神を信じ、
堅く閉じていた口を開いて、賛美の歌を歌いました。
あまりないことなのですが、QTをしていると、家内から急に声がかかり話がしたいと。
それで聞くと、話がしたいのではなくて、話を聞け、だったのですが、昔話を色々と聞かされて「あの頃は良かった」というものでした。
その答えは、彼女が今、仕事でぶつかっている壁から来るフラストレーションの共有だったのだと気づいたのですが、そこですぐに今日のみことばの適用が出来ました。
そこに神は道を作られるということです。壁は破られます。
モーセに率いられて半ばわけもわからずエジプトから出た数十万人規模のイスラエルの人たちは、エジプト軍に追われる中で前進しました。
ところが、彼らはついに紅海まで辿り着き、船も無いので前進することが出来なくなりました。
前に紅海、後ろにエジプト軍と、前に行っても後ろに行っても死を覚悟しなければならない状況でしたが、神は紅海の海を分けて海底に道を作られました。
そこを通ってイスラエルの群れは前進することが出来ました。
信じますか?私は信じます。
この聖書の神による救いとは、祝福とは、こうしてやってくることも私は信じます。
今日のみことばの中で、最も私が心をとめられるのは、
3 公平と正義と思いやりとを身につけている人々には、
幸福が訪れます。
Blessed are those who act justly, who always do what is right.(NIV)
です。
わけもわからないながら、神のみちびきにしたがって前に進むという”行動”を起こしたイスラエルの人たちのことであり、そこには祝福が注がれて道なきところに、神が道を開かれたことにつなげられました。
色々な聖書のバージョンがありますが、決して”行動する者を祝福する”ということに限らないのですが、実際に信じる者に起きていることを思う時、この原理は明らかです。
私の家内に立ちはだかった壁は、実は私にもあります。
しかし、既に開かれた道で、前進を止めないこと・あきらめないことだけが肝心です。
どうやって開かれるかとか、どの方向に開かれるかは、実は、神が握っておられるということです。
クリスチャンの人生とは、そういう、自分の意思とか志向とかが混ざりながらも、とにかく神の道を選ぶことだけは忘れずに進み続けることなのだろうなあ、とも思います。
ですから、神の道はまっすぐであっても、その道の中であっち行ったりこっち行ったり、まっすぐには進めないというのが実情だと思います。あれこれやってしまいますから。
しかし、この紅海が分けられたことから思い出すべきことは、それでも神の道の上だということです。
だから、信じている方向に、とにかくわけがわからずとも進むことが大事です。
苦難の道でしょうか。そんな時もあるのでしょうが、私は、喜んで賛美を歌いながら進む道であると思っています。