また私は、もうひとりの強い御使いが、雲に包まれて、天から降りて来るのを見た。その頭上には虹があって、その顔は太陽のようであり、その足は火の柱のようであった。
2 その手には開かれた小さな巻き物を持ち、右足は海の上に、左足は地の上に置き、
3 獅子がほえるときのように大声で叫んだ。彼が叫んだとき、七つの雷がおのおの声を出した。
4 七つの雷が語ったとき、私は書き留めようとした。すると、天から声があって、「七つの雷が言ったことは封じて、書きしるすな」と言うのを聞いた。
5 それから、私の見た海と地との上に立つ御使いは、右手を天に上げて、
6 永遠に生き、天とその中にあるもの、地とその中にあるもの、海とその中にあるものを創造された方をさして、誓った。「もはや時が延ばされることはない。
7 第七の御使いが吹き鳴らそうとしているラッパの音が響くその日には、神の奥義は、神がご自身のしもべである預言者たちに告げられたとおりに成就する。」
8 それから、前にも私が天から聞いた声が、また私に話しかけて言った。「さあ行って、海と地との上に立っている御使いの手にある、開かれた巻き物を受け取りなさい。」
9 それで、私は御使いのところに行って、「その小さな巻き物を下さい」と言った。すると、彼は言った。「それを取って食べなさい。それはあなたの腹には苦いが、あなたの口には蜜のように甘い。」
10 そこで、私は御使いの手からその小さな巻き物を取って食べた。すると、それは口には蜜のように甘かった。それを食べてしまうと、私の腹は苦くなった。
11 そのとき、彼らは私に言った。「あなたは、もう一度、もろもろの民族、国民、国語、王たちについて預言しなければならない。」
ヨハネがこの天での出来事を見さされた時、まだこの旧約聖書と新約聖書が合わさった聖書は成立していません。
私はこの開かれた巻物は、この聖書に相当するものではないかと思いました。
もちろんこれは、ただの憶測ですから、今後、更に知っていく必要があることです。
これも憶測ですが、七つの雷が言ったことについて書き記すな、と御使いが言われたのは、恐らくその巻物である聖書の取り扱いに関する事柄ではなかったのかとも思いました。
とにかく、今日のみことばは、ヨハネが見て聞いて書き記されなかった事柄について、それが何なのかを考えさせられました。
この黙示録は何なのかと言えば、黙示するものです。
黙って示す。対義語としては明示になろうかと思います。
あの巻物が何であるのか。口には甘く、腹に苦いもの巻物は何なのかも、雷が放った言葉も、はっきりとはしませんが、まさに黙示されるものなのであり、何を示そうとしたのかについては、この世での命が尽きるまで、またはイエスが迎えにきてくださるまで、探し求めなければならないものなのかも知れません。
七つ目の封印が解かれる前というのは、超重要ですから。ここが瀬戸際です。
”もはや時がのばされる事は無い”と言われるのは、今までは延ばされてきたけれど、もう延ばされないということです。
ただ、注意が必要です。
黙示録は、それ全体が黙示ですから、他にも謎めいた事柄があれこれとあります。
それらは、要するに、イエスがまた来られる日、神の怒りがついにやってくる日、いわゆる最後の審判、についての事柄ということになりますが、イエスはそれがいつなのかについて弟子たちに「あなたがたにはわからない」と仰っています。
まさか明日でないだろう、と、暗に考えてしまいますが、そういう風に突然予期せずやってくるとも主は言われます。
わからないものなのです。
黙示がついにわかったとか、実はこうだったとか、そういうところでカルト宗教が数多く誕生しています。偽キリストです。
エホバの証人などはまさにその代表です。
カルトを信じていれば、100%救われません。
救われると信じていても、偽物を信じているだけのことです。
この黙示録については特に、何が黙示されているのかを追い続けることと絶えず備えることが、救われた人が出来る実行可能事項の最大限なのであると思っておいた方がよいでしょうね。
このことは、全人類に語られると同時に、神からの極めて個人的なチャレンジであるということも言えると思っています。
QTとしては、少し観念的になってしまったのですが、今日語られたのはこういうことでした。
追い求めることは大事ですが、それ(→追い求める姿勢そのもの)が神からの答えである可能性も含めておいた方がよいということです。
それから、備えよ、です。
色々な意味がありますが、まずは個人について臨戦態勢でいることです。
それは、今日の午後にでもイエスが来られる可能性についてのリアリティです。
祈らずにはいられませんね。