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明日のわたしへ

昨日のわたしが今日のわたし、明日のわたしとは限らない。だから、わたしは明日のわたしに記録を送る。
⭐︎「白い狼のため息」の過去ページをこちらに移しました。

 2023年、地方選挙の年ですね。
 福岡市民なので、市議会議員と県議会議員の期日前投票に行ってきました。
区役所に行ったのですが、受付の人に投票所入場券(はがき)を渡すと、
「西暦は使えません。書き直してください」と言われました。
本人確認の誕生日の年号は元号を選択するようになっていますが、
わたしはいつものように元号は無視して西暦で書いていました。
「元号は強制できませんよね」とわたしが言うと、
「書き直して下さい」と受付の人は無表情で繰り返します。
「いつも西暦で書いていて、書き直しを強制されたのは初めてですよ」と言いましたが、
「ちょっとお待ち下さい」と受付の人はどこかに消えてしまいました。
席を外した受付の人が戻ってきたので、
「法律が変わったんですか?」
「(法律のことは)知りません」と受付の人が答えたので、
「いつから強制になったんですか?」とイラッとして聞きました。
元号法制定の時の反対運動、天皇制の問題語るしかない!と思いましたが、
庶務課の名札を付けた人が現れて、
「どちらでも構わないから」と受付の人に言ったので、機会を逸しました。
その後は、通常通り、投票用紙を受け取って投票しました。

 この日、区役所の前に年金機構福岡事務所で老齢年金の手続きをしてきたのですが、
そこでも書類に何箇所か年号を書くところがあって、西暦で書くたびに、訂正を求められましたが、そこでは、「元号は強制できませんよね」という一言で、担当の人がおろおろしました。

 この元号問題、他にもいろいろエピソードがあります。

 福岡県と別の問題での文書のやりとりをして、対面交渉の際に「書類の元号は強制か」と尋ねたところ、県が受け取った文書が元号であれば元号で返す、西暦であれば西暦で返すこともあるみたいな返事でした。
 福岡県の交渉担当者は、申し入れる側に元号を強制はしないと明言しました。

 福岡銀行箱崎支店で口座を開く時、西暦スルーの申請書が問題となって、本庁伺いとなり、数時間、待たされたことがあります。

 生活の中に、いつも元号を使う機会がありますが、元号は天皇代替わりのたびに変わる天皇制を支える年号です。
 わたしは今後も元号は使いません。

反逆!こそ生き方。
国が、政府が人権を脅かすから、わたしは反逆します。

 

追記:1979年元号法が成立しました。この元号法の審議の際、政府は、「一般国民にまで(元号)の使用を強制することにはならない」との「政府統一見解」を発表しました。

 

福岡県議会選挙広報の画像

福岡県議会選挙広報の画像。

令和5年4月9日執行 福岡県議会議員一般選挙
(福岡市東区選拳区)(定数5)
選挙公報 投票日4月9日 福岡県選挙管理委員会
投票日4月9日日
投票の順序
① 福岡県議会議員一般選挙の投票をします。
※ 福岡市の場合は、さらに
② 福岡市議会議員一般選挙が続きます。

投票用紙の色
福岡県議会議員一般選挙は白色
※ 福岡市の場合、
福岡市議会議員一般選挙は黄色」です。
投票日当日の投票時間は、原則として午前7時から午後8時までです。
(ただし、一部の地域で、この時間と異なる場合もありますので、市区町村の選挙管理委員会にお問い合わせください。)
新型コロナウイルス感染症対策について
・マスク着用については、「屋内では原則着用」の取扱いが改められ、個人の判断が基本となっております。
投票所においても各個人で適切にご判断ください。
・また投票日当日、投票所に選挙人が集中することを避けるため、期日前投票の積極的なご利用をお願いします。
※選挙公報の掲載順は、くじによって決められたものです。立候補の届出順とは異なる場合があります。

 

ブログタイトルを変えました。

プロフィールも変えました。

落ち着かない人に変わりました。

わたしは、割と自分が好きで、お喋りです。

前の投稿者さま、イメージ変えてごめんなさい。

 

画像は、30年前の死刑廃止情宣です。

「もう死刑制度はいらない」の横断幕の前で、

わたしがマイクアピールしています。横断幕にはタンポポの花のアップリケが幾つかついています。幕の後ろには自転車がたくさん駐輪しています。わたしは、地味なベージュのジャケットに黒のワンピース。わたしの左下にスピーカーがあります。わたしが若い!

 

追記 30年前と思ったけど、写真に98年てあるね。それって何年前?25年前か?

 

タンポポの花のアップリケがついた「もう死刑制度はいらない」の横断幕の前でマイクアピールするわたし。ベージュのジャケットに黒のワンピース。足元にはスピーカー。幕の後ろには自転車がたくさん駐輪。

 

 

 先週の土曜日、暗くなった道を歩いていたら、ポン!ポポポンと大きな音が空を震わせた。
 雷?いや、花火か?急いで、夏に花火があがる方面に急いだ。幾つもあるビルの向こうの空に大きな菊の花が開いていた。スマホで撮影して、家族に画像を送った。
 家族は花火が大好きで、毎夏、県内各地の花火大会を追いかけている。「えー、どこ?知らんかったー」と返信メールが届いた。家族はちょうど遠出していて、花火を直に見ることができなくて残念がった。
「だから、わざわざ画像を送った」とメールしてから、わたしはもと来た道を戻って家に向かった。


 画像は、真ん中に暗い道、3本のポールが光っている。左側には金網のさく、右側には幾つもの背の低いビル。道の向こうに菊の花が開くような花火が小さくのぞいている。

 2月に65歳となり、「誕生日の一か月前から老齢年金請求手続きができます」というお知らせが年金機構からきていた。

 そのお知らせに年金受け取りを先に延ばすと受け取り金額が増えるとあった。


 わたしの世帯は生活保護制度を利用している。生活保護利用者でも年金は受け取れるが年金は収入扱いなので、年金額分は保護費から差し引かれる。

 わたしの家族は週に5日、作業所に通っていて、毎月工賃を支給されているが、これも収入申告して保護費から引かれている。


 保護費の支給日は毎月1日。工賃は毎月25日。工賃は翌月に引かれるが、固定給でないので、毎月の保護費が変動する。光熱費も毎月変動する。支払い日もそれぞれ。毎月末日に家計の決算し、翌月の予算を立てるのは結構面倒。しかし、これを怠ると貯金もなく、借金のできない最低生活費で暮らす身の上では破綻する。この上、2ヶ月に一度の支給の年金が加われば予算を立てるのはマジ大変だろう。


 そこで、年金受け取りを先延ばしにしたいと思い、年金手続きは放置していたのだが、先ごろ、保護課から連絡があり、「年金を受け取れるようになったのだから、すぐに手続きをしてもらわねばならない」と言われた。生活保護制度はあらゆる能力とあらゆる福祉制度を利用した上で足りない分を保護費で賄うという制度だから、まあ、そうなるか。仕方ないので、年金手続きの書類を書いたが、これは年金機構の事務所に持参しなければならないのだと知った。しかも予約制。さらにその予約は2週間先までいっぱいだった。

 なんちゅう面倒なんだよ!


 そもそも年金って、いくら受け取れるのか。主婦だった頃、離婚して生活保護で、年金掛け金免除だったこれまでを計算すると受け取れる年金は月に3万円もなかった。はー。それで生活はできないよね。棄民政策ですから、そんなことばっかりよね。


 しかし、精神疾患は改善するとは思えないし、老化で身体は弱るばかり。目が霞んで眼科に行けば白内障とわかり、聞こえの良くない右耳の耳鳴り酷くて耳鼻科に行けば手術するかね?と言われ、体力作りでスクワットすれば膝を痛め、働くことは難しく、生活保護制度からの脱却は死ぬまで無理ってことを改めて確認した感じだ。


 画像は、年金機構の緑色の封筒、年金手続きの説明書類、受給開始を繰り下げると年金は増額できますという書類。



 


 

 きょうは、地下鉄サリン時間から28年。Twitterでは、地下鉄サリン時間が検索ワードに上がっています。当時、世界にも発信された無差別殺戮を狙った大きな事件でした。しばらく、地下鉄という逃げ場のないところが不安でしたね。

 福岡市では、3月20日午前10時53分、約10秒間のサイレンが鳴りました。18年前のこの日、この時間に福岡県西方沖地震が発生したため、その記憶と経験を風化させることなく、災害に備えるために、3月20日を「市民防災の日」と定めているそうです。サイレンに驚かないようにと数日前から何度も告知がLINEに届いていました。

 福岡県西方沖地震は、マグニチュード7.0(Mw 6.7)、最大震度6弱で、死者1名、負傷者約1,200名、住家全壊約140棟。福岡市付近では有史以来もっとも大きな地震でした。
 
 その日は、子どもたちと孫たちがまだうとうとしていましたが、一歳に満たない孫たちは、大きな揺れに驚いて泣くこともできませんでした。食器棚が倒れて食器の割れる音が響き、本棚の本が宙を飛び、タンスの引き出しも抜け落ちました。
その後も大きな揺れが続いて、携帯からはずっと地震速報の音が鳴り響いていました。

 その後、仕事に出かけても余震に不安が募り、わたしは鬱休職からの復帰リハビリ中でしたが、鬱が再発してしまいました。あれから18年というのに、今でもあの揺れを身体が覚えていて、少しの揺れでもかなり不安になります。その後も様々な災害がわたしたちを襲いますが、地震も大雨、大雪など、人類は少しも克服できないですね。しかし、サリン事件や戦争は自然相手ではないのですから、克服できるはずです。
 
 18年前に赤ん坊だった孫たちは無事に社会人として旅立ちました。初めての一人暮らし、初めての仕事、初めての人間関係。障害のある孫もない孫も大変なことばかりでしょう。心配は尽きませんが、これからも生きていきたいと思える社会であってほしいと思います。
(画像は、白地に黒の星柄の毛布に横たわる虎模様のネコ。目を閉じている)