こちらの続きです。





2、3年も付き合っているとこんな彼に対してさえ私の中に依存心が出て来て、「好き」とか「嫌い」という次元ではなく「離れられない」という精神状態になっていた。


そんな私の依存心が解かれ彼と別れる決心がついたのは、就職という大きな節目を迎える前の就活がきっかけだったように感じる。


自分の夢を語るのが大好きだった彼。


自分が働きたい職種、企業について熱く語るが私には興味がなくつまらない。


相槌が面倒になるほど語る彼に内心うんざりしていた。


そろそろお互い就活の時期を迎えていた。


私は超氷河期と呼ばれている時代に、それでも地元ではそこそこ名が通る2社の内定を勝ち取った。


一方あれだけ夢を語っていた彼は希望する職種に提出する課題が進まず難航していた。


その課題を自分の作品として就活時に活かせるというものだったのに、満足につくることができなかったらしい。


あんなに熱く語っていたのに熱意をそこにぶつけられなかったなんて愚かな人。


もしくは熱意に自分の力量が伴わなかったのか。


詳しくは知らないが惨敗だったようだ。


どちらにしても私が思ったのは、『あの熱意を聞かされ続けた時間を返して欲しい』ということだけだった。


そう言えばバイクが欲しいとバイクについての知識を散々私に話して聞かせていたこともあった。


デートではバイク屋さんに連れて行かれることも多かった。


バイクに全く興味がない私にこんこんとバイク愛を語ることにもうんざりしていた。


こういう人って独りよがりで、話を聞かされている人の気持ちなんて考えもしないのだろうか。


中型バイクの免許も取りに行き、いざバイクを買うという段階で資金援助を頼みたかったのか実家に行った彼。


そこで一言母親に

「やだやだ、バイクは危ないから絶対だめ」

と言われあっさり諦めた。


そう。その時の私も「バイク愛を一方的に語られたあの時間を返せ」と思った。


反対された母親に私に聞かせたようなバイク愛を熱く語ればいいのに。


結局母親に反対されたという話を最後に、一切バイクのバの字も出なくなった。


笑えるほどに。


そんなことが重なって、ようやく私は『なんだこの男…』と冷静になることができた。


長かった。


そして親と同様反面教師にはなったが、全く私の人生に良い影響を与えることができなかった初めての彼と縁を切ることができた。


残ったのは性行為のトラウマ、有限不実行な人への嫌悪感。