兄弟、姉妹のお話を作りたいと思い作りました
最初はヒーローものっぽくしようかな
とも思いましたがキャラやあらすじを考える過程で
もっと日常的なお話の方が合っていると思い
このようになりました
# 影と光の姉妹
## 一
ジャズバーの薄暗い楽屋で、一華は鏡を見つめていた。
左目の上から顎まで走る傷痕。
六歳の時、自転車で転倒した時の傷だ。
今でも覚えている。
血の味と、母の悲鳴と、救急車のサイレンを。
「一華、そろそろ時間よ」
カーテンの向こうから、姉の紗耶が声をかける。
一華は深く息を吸い、ステージ裏の定位置に着いた。
黒いカーテンに隠れて、グランドピアノに向かう。
客席からは見えない。
見えるのは、一華の代わりにステージに立つ
美人のモデル、麗子だけだ。
麗子は一華の手の動きに合わせて、優雅に体を揺らす。
客たちは麗子の美貌に見惚れながら、
一華の演奏に酔いしれる。
完璧な詐欺。
完璧な影武者。
曲が終わると、拍手が湧き起こる。
一華は唇を噛んだ。
「お疲れ様」と紗耶が水のボトルを差し出す。
「ありがとう」
姉妹は言葉少なに楽屋に戻る。
紗耶は百七十五センチの長身で、
すらりとした手足を持つ。
モデル事務所に所属し、
ファッションショーの準備や撮影の裏方をしている。
本物のモデルたちの代わりに、
フィッティングやテスト撮影に立つこともある。
「明日、大きなショーがあるの」
と紗耶が言った。
「メインモデルが体調を崩して、私に出てほしいって」
一華は姉を見上げた。「出るの?」
「……分からない」
紗耶の声は震えていた。
## 二
翌日の夜、
一華はいつものようにジャズバーで演奏していた。
『枯葉』を弾きながら、
頭の中では姉のことを考えていた。
紗耶は子供の頃から人前に出るのを恐れていた。
学校の発表会でも、いつも舞台袖で震えていた。
それでもファッションの世界に憧れて、
裏方として業界に入った。
一華とは正反対だ。
一華は表舞台に立ちたかった。
スポットライトを浴びて、拍手を受けたかった。
でも、この傷がある限り、それは叶わない。
人々は美しいものを見たがる。
醜いものから目を背けたがる。
演奏を終えて楽屋に戻ると、
紗耶からメッセージが届いていた。
『出ることにした』
一華は画面を見つめた。
胸の奥で、何かが燃えるような感覚があった。
嫉妬? それとも期待?
## 三
ファッションショーの日、
一華は会場の裏口から忍び込んだ。
バックステージは混沌としていた。
メイクアップアーティスト、スタイリスト、
カメラマンが慌ただしく動き回る。
紗耶を見つけたのは、ステージ脇の薄暗い廊下だった。
姉は白いドレスを着て、壁に寄りかかっていた。
顔は青ざめ、手は震えていた。
「紗耶」
姉は顔を上げた。目が合う。
「来てくれたの」
「うん」
二人はしばらく黙っていた。
遠くで音楽が鳴り始める。
「怖い」
と紗耶が囁いた。
「足が動かない。みんなが私を見る。
笑われるかもしれない。転ぶかもしれない」
一華は姉の手を握った。冷たい手だった。
「私はね」
と一華は言った。
「いつもあそこに立ちたいって思ってた。
お姉ちゃんが持ってるものが欲しかった。
お姉ちゃんの背の高さ、
その美しい顔、その可能性。全部」
紗耶は妹を見つめた。
「でもね」
一華は続けた。
「今日、お姉ちゃんがあのステージに立つなら、
私、客席から見てる。
お姉ちゃんの一番のファンとして」
「一華……」
「私は影のままでいい。
でも、お姉ちゃんは光になれる。
だから、行って」
紗耶の目に涙が浮かんだ。
でも、彼女は頷いた。
## 四
音楽が変わった。紗耶の出番だ。
姉はゆっくりと廊下を歩き出した。
ステージへの階段を上る。
スポットライトが紗耶を捉える瞬間、
一華は息を呑んだ。
紗耶は美しかった。震えながらも、
一歩ずつランウェイを進む。
最初はぎこちなかったが、
だんだんと歩調が安定していく。
会場からどよめきが起こる。好意的な驚きの声だ。
一華は客席の隅から、姉を見つめた。
胸の中の炎は、嫉妬ではなかった。
それは誇りだった。
ショーが終わり、
紗耶がバックステージに戻ってきた時、
姉妹は抱き合った。
「できた」
と紗耶が泣きながら笑った。
「できたよ、一華」
「うん。見てた」
二人は長い間、そうしていた。
## 五
それから数ヶ月後、
一華はジャズバーで演奏していた。
相変わらず影武者として、カーテンの向こうで。
でも、何かが変わっていた。
ある晩、演奏を終えると、
バーのオーナーが楽屋に来た。
「一華、お客さんの一人が君に会いたいって」
「でも、私は……」
「その傷のことなら、その人は知ってる。
それでも会いたいんだって」
一華は戸惑いながらも、客席に出た。
そこにいたのは、ある音楽プロデューサーだった。
「君の演奏を聴いて感動した」
と彼は言った。
「本物のアーティストになる気はないか?
顔じゃない。音楽が全てだ」
一華は言葉を失った。
その夜、一華は姉に電話した。
「お姉ちゃん、信じられないことがあったの」
「何?」
一華は一部始終を話した。
紗耶は静かに聞いていたが、最後に言った。
「良かったね、一華。あなたも光になる番よ」
「でも、怖い」
「私もだった。
でも、あなたが背中を押してくれたでしょ。
今度は私が押す番」
一華は笑った。涙が溢れた。
「ありがとう、お姉ちゃん」
## 六
翌年の春、
一華は小さなライブハウスで
初めてのソロコンサートを開いた。
客席の最前列には紗耶がいた。
一華はステージに立ち、傷のある顔を隠さずに、
ピアノに向かった。
スポットライトが眩しかった。
でも、もう怖くなかった。
最初の音を鳴らす。そして、音楽が流れ始める。
客席からは紗耶の姿が見えた。
姉は微笑んでいた。
曲が終わると、拍手が湧き起こった。
一華は深く頭を下げた。
その夜は成功だった。
でも、家に帰ってスマートフォンを開くと、
SNSには心ない言葉が並んでいた。
『顔が怖い』
『傷を隠せばいいのに』
『見た目が不快』
一華は画面を見つめた。手が震えた。
翌朝、紗耶のアパートを訪ねると、
姉も暗い顔をしていた。
「どうしたの?」
紗耶はスマートフォンを差し出した。
画面には、姉へのコメントが並んでいた。
『動きがぎこちない』
『素人みたい』
『なんでこんなのがモデルなの』
「ずっとこうなの」
と紗耶は言った。
「ショーの後も、新しい仕事の後も。
一つ成功すると、十倍の批判が来る」
一華は姉の隣に座った。
二人は長い間、黙っていた。
「やめようかって思うことある?」
と一華が訊いた。
「毎日」
と紗耶は答えた。
「でも、やめたら何が残る? また影に戻るだけ」
「私も」
と一華は言った。
「昨日のコンサート、本当は怖くてたまらなかった。
今朝、あのコメントを見た時、
もう二度とステージに立ちたくないって思った」
紗耶は妹を見た。
「でも、立つんでしょ?」
「……うん」
「私も」
姉妹は顔を見合わせた。
そして、小さく笑った。
## 七
それから一年が経った。
一華は小さなレーベルと契約し、
初めてのアルバムをリリースした。
評価は賛否両論だった。
音楽を称賛する声もあれば、
容姿を揶揄する声もあった。
紗耶は複数のファッションショーに出演し、
少しずつ認知度を上げていた。
ランウェイでの動きは洗練されてきたが、
それでも「動きが硬い」「表情がない」
という批判は消えなかった。
ある秋の夜、姉妹は久しぶりに実家に帰った。
母が作った夕食を囲みながら、二人は近況を報告した。
「二人とも、頑張ってるのね」と母は言った。
「頑張ってるけど」
と紗耶が呟いた。
「報われてるかどうかは分からない」
「報われるって何?」と母が訊いた。
紗耶は黙った。一華も答えられなかった。
食事の後、二人は昔の子供部屋に入った。
壁には二人の写真が飾られていた。
幼い頃の一華。傷のない、屈託のない笑顔。
「あの頃に戻りたいって思う?」と紗耶が訊いた。
一華は写真を見つめた。
「戻れないって分かってる。
でも、時々、この傷がなかったら、
全部違ってたのかなって考える」
「私は」
と紗耶が言った。
「もっと勇気があったら、もっと堂々としてたら、
批判されなかったのかなって思う」
二人は窓の外を見た。
秋の風が木の葉を揺らしていた。
「でもね」
と一華が言った。
「批判されても、私は演奏をやめられない。
音楽が好きだから」
「私もモデルをやめられない」
と紗耶が言った。
「あの舞台が好きだから」
姉妹は顔を見合わせた。
「結局、私たち、似てるのかもね」
と一華が笑った。
「そうかもしれない」
と紗耶も笑った。
## エピローグ
それから数年後、
一華は中規模のコンサートホールで演奏していた。
客席には三百人ほどの観客がいた。
以前に比べれば大きな進歩だ。
紗耶は海外のファッションウィークに出演が決まった。
小さな枠だが、初めての国際舞台だった。
二人とも、まだ完全な成功とは言えなかった。
批判は相変わらず続いていた。
一華の新曲には「耳障り」というレビューがつき、
紗耶の写真には「老けて見える」というコメントがついた。
でも、二人はもう、
そういう声に押しつぶされなくなっていた。
ある日、一華は紗耶にメッセージを送った。
『お姉ちゃんのショー、配信で見るよ。頑張って』
紗耶は返信した。
『ありがとう。
あなたのコンサートの録音、聴いたよ。
素晴らしかった』
一華は微笑んだ。
二人はそれぞれの道を歩いていた。
影から光へ。光から影へ。
時には輝き、時には暗闇に沈みながら。
誹謗中傷は続いていた。
おそらく、これからも続くだろう。
でも、それでも二人は前に進んでいた。
なぜなら、二人は気づいていたから。
欲望は成長の糧であると同時に、争いの火種でもある。
でも、その炎は自分たちを焼き尽くすためのものではない。
暗闇を照らし、前に進むための灯火なのだと。
そして、その灯火は、どんなに強い風が吹いても、
姉妹が支え合う限り、決して消えることはないのだと。
一華はピアノの前に座り、次の曲を弾き始めた。
紗耶はランウェイの袖で深く息を吸い、
ステージへと歩き出した。
それが二人の物語だった。
完璧ではない。でも、本物の物語だった。