の続きです
# 転生魔法使い ―― 無限の魔力を持つ者
## 第二話 ギルドと街と、長い耳
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## 第八章 冒険者ギルドにて
町の中心部に、その建物はあった。
「冒険者ギルド ダガー・アンド・クレスト支部」
扉の上に吊るされた看板には、
短剣と紋章が描かれていた。
木造二階建て、
横幅は近隣の商店三軒分はありそうな大きな建物だ。
扉を開けると、むわりとした熱気と、
酒と革と汗の匂いが混じったような空気が顔にかかった。
広い室内には、昼間から相当数の人間が溜まっていた。
テーブルを囲んでエールを飲む者、
壁に貼られた依頼書を眺める者、
床に座り込んで武器の手入れをする者。
体格のいい男たちが大半で、
女性の冒険者も数名いたが、
皆一様に場慣れした空気を纏っている。
傷跡のある顔、
鍛え上げられた腕、
腰に下げた剣や斧。
そこにルークが入ってきた。
黒いコート、細い体、寝癖の抜けきっていない黒髪、
そして眠そうな目。
身長は同年代の平均より少し低い。
肌は白く、どこをどう見ても「冒険者」には見えない。
室内が、一瞬だけ静かになった。
次の瞬間、笑い声が上がった。
「おいおい、なんだありゃ」
「迷子か?」
「母ちゃんに内緒で来たのか、坊主」
「その細腕でモンスターと戦う気か? 折れるぞ」
豪快な笑い声がいくつも重なった。
悪意というより、純粋に
「自分たちの世界に不釣り合いなものを見た」
という反応だった。
酒場の常連が、明らかに場違いな客に向ける笑いだ。
ルークは聞こえていないかのように、
まっすぐ受付カウンターへ歩いた。
背後でまた笑い声。
「無視してやんの」
「強がりかよ」
「まあ、登録申請で弾かれるだろ」。
ルークはそれらを完全に黙殺した。
前世の会社で、理不尽な怒号と嘲笑を
毎日浴び続けた経験が、ここで役立っていた。
他人の嘲りを聞き流す技術だけは、
人並み以上に磨かれていた。
受付カウンターの前に立った。
椅子に座っていた女性が顔を上げる。
二十代半ばと見える女性で、
きちんと整えられた栗色の髪と、
てきぱきとした目つきをしていた。
名札には「エリーザ」と書かれている。
「こんにちは。冒険者登録をお願いします」
エリーザは一瞬、目を丸くした。
声が想像より落ち着いていたせいかもしれない。
「登録は……十五歳以上が条件ですが」
口調は穏やかだが、
値踏みするような視線が一瞬走った。
この仕事に就いている以上、
年齢詐称の子供を通してしまった前例でもあるのだろう。
「はい、今年で十五です」
「……では、こちらにご記入ください」
差し出された紙は、縦長の羊皮紙だった。
名前、年齢、出身地、武器の種別、
魔法の有無と属性、これまでの実績。
ルークはカウンターに備え付けの羽根ペンを取り、
淡々と記入した。
名前:ルーク
年齢:十五歳
出身:北方山岳地帯
武器:なし
魔法:あり(多属性)
師事した人物:アルベルト・フォン・グライフェン
書き終えた紙を差し出した。
エリーザは受け取り、流し読みした。
「魔法使いなんですね」
声のトーンが少し上がった。
嬉しそう、というより、
やや安堵したような響きがある。
魔法を使える冒険者は珍しいのだろうか、
とルークは思った。
確かに、この室内を見渡しても、
魔法使いらしい人間は一人も見当たらない。
全員が剣や斧や弓など、物理的な武器を携えていた。
エリーザはさらに下の行を読み進め、
その手が止まった。
表情が変わった。
「あ……」
小さな声だった。
「あなた……」
声が上擦った。
「あ、あなた、あのっ……」
エリーザは一度紙から目を上げ、ルークの顔を見た。
次に紙に戻る。
また顔を見る。
見比べるように何度か繰り返した後、
大きく息を吸った。
「伝説のアルベルト・フォン・グライフェン様の、
お弟子さんなんですかっ!」
声が、ギルド内に響き渡った。
一瞬の沈黙。
そして、嵐が来た。
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「今なんつった?」
「アルベルト?」
「……アルベルト・フォン・グライフェン?」
テーブルを囲んでいた男たちが一斉に顔を上げた。
エールを持つ手が止まる。
壁の依頼書を見ていた者が振り返る。
武器の手入れをしていた者が顔を上げる。
ざわめきが波紋のように広がっていった。
「嘘だろ」
「あの大魔法使いの?」
「生きてたのかよ、あの人」
「弟子? あんな爺さんに弟子がいたのか?」
次の瞬間、ルークは人垣に取り囲まれていた。
気がつけば背後と両脇に冒険者たちが
ずらりと並んでいた。
さっきまで笑い飛ばしていた連中が、
今は眼の色を変えて前のめりになっている。
「おい、本当にグライフェン師の弟子か?」
最初に口を開いたのは、
赤銅色の肌をした大柄な男だった。
剣士らしく、腰に長剣を二本下げている。
顔の右半分に大きな古傷があった。
「ヴォルク」と呼ばれているらしく、
周囲の者がそう呼んでいた。
「はい」
「……どこで師事したんだ」
「北の山です。
山の中腹に小屋があって、そこで十五年ほど」
「十五年? ってことは生まれた時からか?」
「ほぼそうなります」
ヴォルクは仲間と顔を見合わせた。
別の男が割り込んできた。
こちらは中年で、目つきの鋭い弓使いらしい。
「グライフェン師は今もご存命か?
三十年以上前に王宮を去られてから、
消息が全く分からなくてな。
いくら捜してもどこにも痕跡がなかった」
「ご存命です。
今朝も元気でスープを作っていました」
「……スープ」
弓使いは呆気に取られた顔をした。
「大魔法使いが」と誰かが呟き、
また別の誰かが「スープ」と繰り返した。
「師匠はどんな方でしたか?」
今度は女性の声だった。
見ると、革鎧を着た二十代の女性冒険者が、
興奮を抑えたような真剣な目でルークを見ていた。
「どんな、と言われると……」
ルークは少し考えた。
「朝が弱くて、雨の日は機嫌が悪くて、
薬草の手入れを私に押しつけて
昼寝することが多かったです。
でも魔法のことになると目が輝きました。
私が術式を失敗すると嬉しそうに解説を始めるんです。
失敗を待ってたんじゃないかと今でも思います」
静寂。
「……それ、本当にグライフェン師の話か?」
とヴォルクがぽつりと言った。
「三十年前、この大陸の北半分を侵略してきた
ガルデン帝国軍をたった一人で壊滅させたあの方が?」
「一人で帝国軍を?」
ルークは少し驚いた。
師は確かに「昔ちょっと色々あった」
とは言っていたが、そういう規模の話だったのか。
「……師匠はそういうことを
自分から話さない人なので、
詳しくは知りませんでした」
「謙虚すぎるだろその御仁」
と誰かが言い、笑いが起きた。
今度は温かい笑いだった。
質問はさらに続いた。
「グライフェン師から直接魔法を教わったのか?」
「はい、炎・水・風・土・雷・氷・光・闇の
八属性全部と、付与・結界・回復・空間魔法も」
「……全部?」
「全部です」
「師が特に大切にしていた魔法は?」
「結界魔法でした。
攻撃魔法より守りの魔法の方が、
人が生きることに役立つと仰っていました」
「師と手合わせをしたことはあるか?」
「よくありました」
「勝てたか?」
「……最初の十年は一度も勝てませんでした。
でも十三歳を過ぎてからは、少し」
ヴォルクが
「十三歳でグライフェン師に勝った……」
と震える声で呟いた。
受付のエリーザは、
最初こそ自分が引き金を引いてしまったことへの
申し訳なさで青くなっていたが、
今は純粋に話の内容に引き込まれていた。
カウンターの外に出て、人垣の後ろで耳を欹てている。
「一つ聞いていいか」
静かだが通る声で、人垣の外から声がかかった。
振り返ると、壁際に一人だけ離れて立っている
老冒険者がいた。
七十近いと思われる年齢で、白髪交じりの短い髪と、
静かな目をしていた。
腰には何も下げていないが、体の重心が低く、
只者ではない空気を漂わせていた。
「お前が今まで使った中で、最大の魔法はなんだ」
室内が静まった。
ルークは老冒険者の目を見た。
試すような目ではなく、
純粋に知りたがっている目だった。
「昨日、師匠に見せた術です。
炎魔法の遠距離狙撃を」
「どの程度のものだった?」
「……五キロ先の山の頂上が、なくなりました」
沈黙。
長い沈黙の後、老冒険者は小さく頷き、
「そうか」とだけ言って、壁に背中を預け直した。
その反応が妙に落ち着いていたので、
ルークは逆に不思議な気持ちになった。
周囲はというと、
「山が……」
「なくなった……」
「頂上が……」という呟きが幾重にも重なり、
やがて誰かが「こいつ、Sランクになるんじゃないか」
と言い、また別の誰かが「Sどころかランク外だろ」
と言い、笑いとも驚きとも取れない反応が広がった。
「あの」
ルークは人垣に向かって言った。
「師匠の話はあまり大きな声でしない方が
いいかもしれません。
師匠は静かに暮らしたいようなので」
一瞬、全員が固まった。
「……気を遣える弟子だな」と誰かが言い、
「師匠に似ず」と誰かが続け、
また笑いが起きた。
今後、アルベルトの名はなるべく
出さないようにしよう。
ルークは内心でそう固く決めた。
あの老人は本当に只者ではなかったと、
改めて思い知らされながら。
ようやく人垣が落ち着いたころ、
エリーザがカウンターに戻ってきた。
「お待たせしました。登録処理を続けますね」
少し頬が赤かった。
「最初のランクはFランクになります。
実績を積んでランクアップしていく仕組みですが……」
彼女は少し言葉を選ぶように間を置いた。
「その、Fランクスタートが不満でなければ、ですが」
「全然かまいません。
どこから始まるかより、何をするかの方が大事なので」
エリーザは目を瞬かせ、それから小さく微笑んだ。
「……では、こちらがギルドカードです。
大切に保管してください」
受け取ったカードは、金属製の薄い板だった。
名前と登録番号とランクが刻まれている。
Fの文字がある。
ルークはカードをコートの内ポケットに収めた。
「ありがとうございました」
「こちらこそ。えっと……また来てください」
エリーザは最後に少し声が上擦った。
ルークはそれに気づかないまま、
人垣が自然に割れるのに少し驚きつつ、
冒険者ギルドの扉を押して外に出た。
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## 第九章 初めての街と、フードの人物
春の午後の陽光が、石畳に降り注いでいた。
ルークは大通りに出て、立ち止まった。
見渡す限り、知らない景色だった。
山の中の小屋で十五年を過ごし、
街というものを初めて体験している。
いや、正確には転生前の前世の記憶があるから
「街」が何かは知っている。
だがそれは東京の話だ。
舗装されたアスファルト、
コンクリートのビル、自動車、蛍光灯。
目の前にあるのは、
石畳と木造の建物と、馬の蹄の音と、
干し魚と香辛料の匂いが混じった空気だ。
これは別物だ。知っているようで、全く知らない。
ルークは歩き始めながら、周囲を観察した。
洗濯物が二階の窓から干されている。
荷車を引いた御者が怒鳴り合っている。
物売りの少年が果物を売っている。
鍛冶屋の前から金属を叩く音がリズムよく聞こえてくる。
パン屋の前を通ると、
焼きたてのパンの匂いが腹の底に直撃した。
ルークは立ち止まり、パン屋の軒先を見た。
「一個いくらですか」
「銅貨二枚だよ、坊主」
アルベルトから旅立ちの餞別として
受け取った革袋には、金貨が十枚と銀貨が三十枚、
銅貨が大量に入っていた。
「世間の相場を知らんと騙されるからな」
と言いながら押しつけられたものだ。
ルークは銅貨を二枚出してパンを買い、
歩きながらかじった。
うまい。
素朴なだけの小麦パンなのに、
山で食べていたものより何故かずっとうまい気がした。
街の空気のせいかもしれない。
食べながら歩く。
ルークの視線は忙しく動いた。
前世のアニメや漫画で見たファンタジー世界の
イメージが、頭の中にある。エルフの長耳、
ドワーフの小柄な体躯と豊かな髭、
亜人の獣耳や尻尾……。
大通りを端から端まで見渡したが、
人間しかいなかった。
みんな、普通の人間だ。
ルークは少し落胆した。
そうか、エルフやドワーフは希少なのか。
アニメだと街に普通にいるものだが、
現実はそういうわけにいかないのかもしれない。
いや、そもそもこの世界にエルフや
ドワーフが存在するかどうかすら分からない。
アルベルトは「色々な種族がいる」とは言っていたが、
詳しい話を聞いたことがなかった。
少し残念な気持ちを抱えながら歩いていると、
大通りの角に串焼きの屋台があった。
香ばしい匂いが漂ってくる。
「一本ください」
「銅貨三枚ね」
渡された串には、
よく焼けた肉の塊が三つ刺さっていた。
塩と何かのスパイスで味付けされている。
かぶりつくと、肉の脂と香辛料が口に広がった。
うまい。
パンよりさらにうまい。
ルークはゆっくりと噛みながら歩き続けた。
大通りから少し入った路地には、
様々な店が並んでいた。
布屋、薬屋、骨董屋と思しき雑然とした店、
宿屋、そして——。
ルークの足が止まった。
赤い提灯が下がっている建物があった。
入口の前に化粧の濃い女性が一人立ち、
道行く男たちに声をかけている。
娼館だ。
前世の記憶が教えてくれた。
ルークは扉をじっと見た。
入ってみたいという気持ちが、
正直なところ、なくはなかった。
十五年を山の中で過ごし、
女性との関わりはアルベルトの元を訪ねてきた
薬草商の老婆くらいしかない。
だが入口の女性と目が合った瞬間、
向こうが品定めするように一瞥して、
すぐ視線を外した。
完全に子供扱いだった。
まあ当然だ、とルークは思った。
体格から何から、どう見ても子供にしか見えない。
いくら冒険者と言っても見た目で
断られるのは明白だろう。
気持ちを切り替えることにした。
食を楽しもう。
まだ腹は空いている。
ルークは大通りに戻り、
美味しそうな食事処を探し始めた。
「食堂」の看板を出している店があった。
中を覗くと昼食時で客が多く賑わっている。
良さそうだ、と思ったが、
店の前に「本日満席」の札が下がっていた。
別の店に行こうと方向を変えた。
角を曲がり、また角を曲がった。
路地は細くなり、石畳の色が変わり、
人の数が少なくなっていた。
ルークは歩きながら、
徐々に嫌な予感を感じ始めた。
大通りが見当たらない。
あの賑やかな喧騒が、
いつの間にか遠くなっている。
立ち止まって周囲を見渡した。
石造りの建物が密集し、
路地が網の目のように入り組んでいる。
洗濯物は干されているが人の気配が薄い。
路地の角に酒瓶が転がっている。
道の端に、昼間から酒臭い男が座り込んでいる。
裏通りだ。
ルークは地理を全く把握していなかった。
山の中では地形を魔法で感知して移動していたが、
人の作った街の構造はそれとは違う。
地図もない。
魔法で感知しようにも、
どの方向が表通りか分からない。
来た道を戻ろうとしたが、
どの角を曲がったか記憶が曖昧だった。
三回ほど曲がったが、同じような裏路地が続いた。
ルークは少し反省した。
魔法は何でも使えるのに、街で迷子になるとは。
アルベルトに知られたら笑われる。
そこで、前方に人影が現れた。
全身を深いフードで覆った人物だった。
背丈は高くなく、細身で、歩き方が滑らかだった。
何かを警戒するように早足で進んでいる。
ルークは声をかけた。
「すいません」
人影がぴたりと止まった。
振り返らない。しばらく沈黙が続いた。
「……何?」
声は低く抑えられていたが、若い。
そして中性的な、やや涼しい声だった。
どこか刺々しい雰囲気がある。
「表通りに出る道を教えてもらえませんか。
迷ってしまって」
またしばらくの沈黙。
人影はゆっくりとルークの方を向いた。
フードが深く被られていて、顔は影の中に沈んでいる。
体の輪郭を見ると、女性のようだった。
「……迷子」
一言だけ、溜め息に近い声で言った。
嫌そうな気配がにじみ出ていた。
関わりたくない、と体全体で語っている。
だがルークは気にせず待った。
フードの人物は少しの間、
品定めするように黙っていた。
やがて覚悟を決めたように小さく息を吐き、
背後を指さした。
「この路地を真っ直ぐ行って、二つ目の角を右。
すぐ大通りに出るから」
「ありがとうございます」
ルークは素直に礼を言い、
教えられた方向に歩き始めた。
すれ違いざまに、
フードの人物はさっさと反対方向へ歩き去ろうとした。
その時だった。
すれ違いの一瞬、風がわずかに吹いた。
フードの端が少し持ち上がった。
ルークの視界の端に、それが映った。
長い、耳。
普通の人間の耳の二倍ほどの長さで、
先が細く尖っている。
フードの内側から、
さらっとした銀色の髪がこぼれた。
エルフだ。
ルークの心が一瞬で跳ね上がった。
だがフードの人物は既に足を速めていた。
振り返らない。
まるでルークが何かに気づいたことを察知したように、
早足はさらに速くなり、角を曲がって消えた。
ルークは足を止め、
人影の消えた路地の角を見つめた。
教えてもらった道が本当だとすれば、
この街に住んでいるか、
少なくともこの辺の地理に詳しい誰かだ。
全身をフードで覆い、人目を避けるように歩いていた。
嫌そうにしながらも、道は教えてくれた。
街にいるなら、またどこかで会うかもしれない。
ルークはそう思い直し、諦めた。
焦って後を追うほどのことでもない。
それに、ここで追いかければ明らかに不審者だ。
教えてもらった道を進むと、
二つ目の角を右に曲がった途端、
大通りの喧騒が一気に戻ってきた。
人の声、馬の音、物売りの呼び込み、何かを焼く匂い。
ルークは大通りに出て、少し目を細めた。
裏通りとは別世界のような賑わいが、
四方から押し寄せてくる。
エルフ。
この街にいるんだ。
それが分かっただけで、
ルークの中に小さな好奇心の火が灯った。
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夕暮れが近くなる頃、
ルークはようやく良い食事処を見つけた。
「旅人亭」という看板の宿屋兼食堂で、
一階が食堂になっており、
今夜の宿も兼ねて部屋を取った。
出てきた夕食は、スープに煮込み肉、
硬いパンに塩漬けの野菜という質素なものだったが、
初めて食べる街の料理は十分に美味かった。
食事を終え、部屋に戻り、ベッドに横になった。
山の中の小屋より天井が低く、
薄い壁の向こうから隣室の話し声が聞こえる。
遠くで犬が吠えている。
違う場所に来たんだな、とルークは思った。
一日で色々なことがあった。
ギルドで騒ぎになり、
師匠がどれほどの人物だったかを思い知り、
街で迷子になり、串焼きを食べ、娼館に入れず、
エルフらしき人物に出会った。
前世では、「今日あったこと」を
誰かに話す相手が一人もいなかった。
家族とは疎遠で、友人は会社を辞めると
同時に自然と消えた。
毎日帰宅してアニメを流しながら、
一人でコンビニ飯を食べた。
今日のことは、誰かに話したいな。
ルークはぼんやりとそう思った。
山に帰ってアルベルトに話せばいい、と思い、
すぐに師匠の顔を思い浮かべた。
あの老人は絶対に「だから言ったじゃろう、
街は面白いと」と得意そうな顔をするだろう。
少し可笑しくなって、ルークは目を閉じた。
明日も街を歩こう。
まだ知らないことが、山ほどある。
冒険者としての最初の仕事もしなければならない。
エルフの人物に、また会えるかもしれない。
うまい食事処を探す続きもある。
前世では一日が早く終わることを望んでいた。
今は一日が遅く終わってほしいと思っている。
その違いが、ルークには何より心地よかった。
目を閉じると、春の夜風が窓の隙間から入ってきて、
蝋燭の炎を小さく揺らした。
---
*―― 続く ――*