の続きです
# 星の静寂、血の代償
## 第三章 傷だらけの家族
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# 第七部 崩れゆく砦
## 第二十一章 一週間後
ドルフが逝って六日目の夜だった。
コンドールは厨房で翌日の仕込みをしていた。
玉ねぎを刻む音だけが静かな店内に響いていた。
常連客はもう帰り、「ラーナ」は閉店していた。
カウンターの上の照明が一つだけ灯り、
その光の中でコンドールは一人、
包丁を動かし続けていた。
料理は得意ではなかった。
しかしドルフが残したレシピノートがある。
几帳面な字で書き込まれた分量と手順。
所々に走り書きのメモがある。
「玉ねぎは急がず、焦がさず」
「スープは蓋をして弱火。急かすな」。
まるでドルフが隣で喋っているようで、
コンドールはそのページを開くたびに
一瞬だけ動きが止まった。
通信機が鳴った。
ラウスからだった。
「コンドール、ユーリが」
声に何かがあった。コンドールは包丁を置いた。
「どうした」
「南区の路地で……見つけた。俺が見つけた。
頭を、やられている」
コンドールは既にコートを掴んでいた。
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ユーリは、石畳の上に倒れていた。
分厚い体が、不自然な角度で横たわっていた。
傍らにラウスが膝をついている。
コンドールが駆けつけたとき、
ラウスは震える手でユーリの肩に触れていた。
「救急は」とコンドールは言いながら膝をついた。
「もう呼んだ」とラウスはかすれた声で言った。
「でも……」
コンドールはユーリの頸動脈に指を当てた。
脈はなかった。
後頭部への鈍器による打撃。
ドルフと同じやり方ではなかった。
しかし結果は同じだった。
大きな体が、もう動かなかった。
コンドールは立ち上がれなかった。
しばらくそのまま、石畳の冷たさを膝に感じながら、
ユーリの顔を見ていた。
穏やかな目は閉じていた。
殴られた痛みで顔を歪める暇もなかったのだろう。
まるで眠っているように見えた。
分厚い手のひらが、路地の上に開いていた。
何かを掴もうとしたまま、その手は止まっていた。
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## 第二十二章 さらに一か月後
ユーリの葬儀から一か月が経った。
ラウスは変わっていた。
元々落ち着きなく周囲を見渡す癖があった男が、
ユーリを失ってからは静かになった。
静かで、しかし目だけが常に何かを探していた。
見回りでは以前にも増して危険な場所に踏み込もうとし、
コンドールやセバスチャンが何度か止めた。
「無茶をするな」とコンドールは言った。
「無茶じゃない」とラウスは言った。
「俺は自分の目で確かめたいだけだ」
「確かめて、それからどうする」
ラウスは答えなかった。
コンドールはその沈黙の中身が分かった。
分かっていたから、
もう一押し言葉をかけるべきだった。
しかしコンドールは言わなかった。
自分もまた、同じ感情の中にいたからだ。
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ラウスが襲われたのは、その十日後の深夜だった。
場所は東区の、
かつてハンクバルトの手下らしき人間の存在を
確認した倉庫地帯の近くだった。
単独行動だった。
コンドールへの報告もなく、
ラウスは一人でその地区に入っていた。
発見したのはセバスチャンだった。
倉庫と倉庫の間の狭い路地。
ラウスは壁にもたれて座っていた。
胸に複数の刺し傷。
それでも這って壁まで辿り着いたのだろう。
血の跡が、路地の入り口から続いていた。
セバスチャンが駆けつけたとき、
ラウスはまだ息があった。
「コンドールに」とラウスは言った。
「謝っといてくれ。勝手なことをしたって」
「自分で言え」とセバスチャンは言いながら、
持っていたジャケットを傷口に押し当てた。
「死ぬな。頑張れ」
ラウスは薄く笑った。
「ユーリより先に逝くのが嫌だったんだ。
あいつ、方向音痴だから。
あっちで迷子になってたら可哀想だろ」
それが最後の言葉だった。
救急隊員が到着したとき、
ラウスは静かになっていた。
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## 第二十三章 自責
コンドールは「ラーナ」の厨房に一人でいた。
夜明け前。
セバスチャンからの通信を受けてから、
二時間が経っていた。
コンドールは壁を背にして床に座り込んでいた。
膝を立て、腕をその上に乗せ、
ラーナの厨房の床を見ていた。
タイルの目地。
古い汚れ。
ドルフが何年もかけて染み込ませてきた厨房の匂い。
ドルフ。ユーリ。ラウス。
三人。
一か月半の間に、三人。
コンドールは奥歯を噛んだ。
俺が頭を引き受けてから何が変わったのか。
何も守れていない。
ドルフさんが長い年月をかけて作り上げてきたものを、
俺は受け継いだ翌月から次々と失っている。
俺がいない方が、
サイクロンは安全だったのかもしれない。
俺が頭になったことで、
ハンクバルトに対してより明確な
敵対の意思表示をしてしまったのかもしれない。
もっと早く察知できたはずだ。
ラウスの状態を。
あの沈黙の意味を。
単独行動を止める言葉を、俺はかけなかった。
分かっていた。分かっていて、言わなかった。
俺が殺したも同然だ。
扉が開く音がした。
セバスチャンだった。
外は夜明けが近く、白い光が少しずつ路地に満ちていた。
老いた元警官は、コンドールの様子を見て
何も言わずに厨房に入り、コーヒーを作り始めた。
カップを二つ、床に座るコンドールの前に置いた。
それからセバスチャンも壁を背にして床に座った。
「俺のせいだ」とコンドールは言った。
「そうかもしれない」とセバスチャンは言った。
コンドールはセバスチャンを見た。
慰めの言葉を予期していた。
しかしセバスチャンは真顔でコーヒーを飲んでいた。
「同意するのか」
「ラウスの単独行動を止めなかったのは
お前の判断ミスだ。それは事実だ」
とセバスチャンは言った。
「しかしユーリとドルフさんは、
お前がいなくても同じ夜に同じ場所にいた。
お前が頭でなかったとしても、
同じことが起きた可能性が高い」
「証明できない」
「何も証明できない。それが現場というものだ」
とセバスチャンは言った。
「俺は三十年、警察官をやった。
最初の五年で学んだことがある。
全ての死について、俺にできたことが
あったはずだと考えていたら、
警察官を続けることはできない。
それは正しい問いじゃない」
「じゃあ正しい問いは何だ」
「これからどうするか、だ」
とセバスチャンは言った。
静かに、しかし揺らぎなく。
「ドルフさんはお前に後を託した。
ユーリとラウスはお前の仲間だった。
彼らの死を、どう意味のあるものにするか。
それだけを考えろ」
コンドールは床のタイルを見続けた。
「簡単に言う」
「簡単じゃない」とセバスチャンは言った。
「俺も今、ラウスのことを思って胸が痛い。
あの子は俺が見回りの歩き方を教えた。
最初は下手くそで、足音が大きくて、よく笑った」
老人の声が、一瞬だけわずかに揺れた。
「しかしここで崩れるわけにはいかない。
残りのメンバーがいる。住民がいる。
お前が崩れたら、サイクロンは終わる。
ドルフさんが守り続けてきたミルデンが、終わる」
沈黙が続いた。
コンドールはコーヒーカップを手に取った。
冷めていた。しかし飲んだ。
「……ラウスの葬儀の手配をしなければならない」
「俺が動く」とセバスチャンは言った。
「お前は今日、店を開けろ。
ラウスを知っている常連客に、ちゃんと知らせてやれ」
コンドールは短く頷いた。
二人はしばらく、厨房の床に並んで座っていた。
夜明けの光が、扉の隙間から細く差し込んできた。
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# 第八部 訪問者たち
## 第二十四章 ビッグとショート
ラウスの葬儀から四日が経った昼下がり、
居酒屋「ラーナ」の扉が開いた。
最初に入ってきたのは、
扉を少しだけ横にずらして通った男だった。
身長百九十七センチ。
肩幅は普通の男二人分はある。
首が太く、手首がコンドールの太ももほどある。
しかしその大きな体に反して、
足音は驚くほど静かだった。
顔は四角く、顎が張っていて、
鼻が一度折れた跡がある。
目は小さく、しかし動物的な鋭さがあった。
**ビッグ**。
本名をトーマス・グレンという。
元鉱山作業員で、その体格と怪力は
サイクロンの中でも別格だった。
寡黙で、しかし行動は素早い。
続いて入ってきたのは、
ビッグとは対照的な人物だった。
身長百六十センチに満たない、小柄で細身の男。
年齢はビッグと同じく三十代半ばだが、
一見すると学生のように若く見える。
するりと扉を通り抜け、ビッグの隣に立つと、
その体格差は漫画のようだった。
**ショート**。
本名をマティアス・ベックという。
元自転車便のライダーで、
ミルデンの路地裏を知り尽くしていた。
小柄な体を活かした素早い動きと、
どんな隙間にも入り込める
身のこなしはサイクロンで唯一無二だった。
二人は仲が良かった。
最初に出会ったのは五年前で、
ビッグが路上で酔った男たちに絡まれている
ショートを助けたのがきっかけだと聞いていた。
以来、二人は何かというと一緒に行動した。
ビッグが寡黙な分、ショートがよく喋った。
ショートが向こう見ずな分、
ビッグが落ち着いて状況を見た。
凸凹だったが、うまく機能していた。
「コンドール」
とショートがカウンターに近づきながら言った。
「顔色悪いっすよ。飯食ってますか?」
「食ってる」とコンドールは言った。
「本当に?」とショートは疑わしそうに言った。
「昨日も今日も、ここに来た常連さんが言ってましたよ。
コンドールが飯を作らずにパンだけ出してたって」
「俺は料理人じゃない」
「ドルフさんのレシピノートがあるでしょう」
「見ながら作るより
他の事を考えている時間の方が長い」
ショートは一瞬黙ってから、カウンター席に座った。
ビッグもその隣に腰を下ろした。
ビッグが座ると、普通の椅子が一回り小さく見えた。
「ユーリとラウスのこと」とショートは言った。
「俺たちも、ずっと考えてました」
コンドールは二人の前にグラスを置き、
水を注いだ。
「報告があって来たんだろう」
とコンドールは言った。
「聞く」
ショートはビッグと一度顔を見合わせてから、
真剣な表情になった。
「二つあります。
まず一つ目、サイクロンの現状についてです」
コンドールは腕を組んで頷いた。
「ラウスとユーリが亡くなってから、
メンバーの間に動揺が広がっています。
三名が活動を休止したいと言っています。
家族から止められているそうです。
責めるつもりはないですが、
実質的な戦力が落ちているのは事実です」
「名前は?」
「エスリン、ポウル、ナヘラです。
三人とも、子供がいる」
コンドールは頷いた。
「引き留めない」と彼は言った。
「ドルフさんも俺も、誰かに強制したことはない。
各自の判断を尊重する。三人には俺から話す」
「はい」とショートは言った。
「ただ……残りのメンバーは、続けると言っています。
ビッグも、俺も、セバスチャンさんも。
だから戦力が完全にゼロになるわけじゃない。
ただ、正直、今の人数では
夜回りのカバー範囲が落ちます」
「分かってる」とコンドールは言った。
「二つ目は?」
ショートの表情が少し変わった。
「ビィとジャックのことです」
コンドールは体をわずかに前に傾けた。
ビィとジャックは、
サイクロンに最近加わった二人のメンバーだった。
ビィは二十四歳の女性で、
ミルデンの北部に住んでいた。
移民グループによる嫌がらせを受け続けた経験から、
自分も地域を守る側に立ちたい
とドルフに直接頼み込んでサイクロンに参加した。
機敏で、観察力が鋭かった。
ジャックは二十七歳の男で、
ビィとは幼馴染だった。
ビィを支えるようにして
一緒にサイクロンに参加してきた経緯がある。
「ビィは問題ないです」とショートは言った。
「むしろユーリとラウスのことがあってから、
より気合いが入っている感じがする。
ただ……ジャックが」
「どうした」とコンドールは言った。
「最近、表情が暗くて。
何か思い詰めている感じがする。
ビィに聞いても、大丈夫だって言うだけで、
詳しいことは話してくれないって」
コンドールはビッグを見た。
大男は黙ってグラスの水を飲んでいたが、
コンドールの視線を受けてゆっくりと口を開いた。
ビッグが喋るのは、
本当に言いたいことがある時だけだった。
「先週の見回りで、
ジャックと二人になった時間があった」
とビッグは言った。
低く、静かな声だった。
「俺は何も聞かなかった。
でも……あいつは俺の方をずっと見ていた。
何か言いかけて、止めていた。三回」
「三回」とコンドールは繰り返した。
「三回、口を開いて、閉じた」とビッグは言った。
「俺はあんまり喋るのが得意じゃないから、
声をかけてやれなかった。今も悔やんでる」
ビッグが「悔やんでいる」
という言葉を使うのは珍しかった。
コンドールは顎に手を当てた。
思い詰めた顔。
何か言いかけて止める。
孤立。
その組み合わせが、
コンドールの頭の中で別の何かと結びつこうとしていた。
まだ輪郭が掴めない。しかし引っかかった。
「ジャック本人と話す機会を作れるか」
とコンドールはショートに言った。
「俺が声をかけてみます。
ただ、あいつは最近サイクロンの集まりにも
顔を出さなくなっているので……」
「無理に引っ張ってくる必要はない」
とコンドールは言った。
「機会を作ってくれれば、後は俺がやる。
ただ、焦らせるな。プレッシャーをかけるな」
「分かりました」
ショートはグラスの水を飲み干した。
ビッグはまだ半分残していたが、
立ち上がる準備をしながらコンドールを見た。
「コンドール」とビッグは言った。
「何だ」
「お前が頭で良かった」と大男は言った。
それだけ言って、視線を外した。
コンドールはしばらく黙っていた。
「ありがとう」と彼は言った。
二人が店を出た後、
コンドールは一人でカウンターの拭き掃除を始めた。
ドルフのレシピノートを開いた。
今夜は、ちゃんと作ってみよう。
そう思った。
それだけで、今は十分だった。
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## 第二十五章 スピア
三日後の夕方だった。
コンドールが夕食の仕込みをしていると、
居酒屋「ラーナ」の扉が乱暴に開いた。
勢いよく入ってきた人間が、
入り口で足を止め、店内を見渡した。
コンドールを見つけた瞬間、その表情が崩れた。
安堵と疲労と、何か別の感情が混じった顔で、
肩から力が抜けていくのが分かった。
「やっと見つけましたよ」
声を聞いた瞬間、コンドールは包丁を置いた。
**スピア**。
本名をエルム・スピアという。
今年で三十二歳のはずだ。
身長は平均より少し高い程度で、体は引き締まっている。
髪は短く、目が大きい。
入ってきたときの息の上がり具合から、
かなり走ってきたことが分かった。
コンドールがまだ軍にいた頃の部下だ。
入隊当時は二十二歳で、コンドールの中隊に配属された。
器用で、冷静で、任務への集中力が高かった。
無口なコンドールの意図を、
言葉なく読み取ることができた
数少ない部下の一人だった。
「スピア」とコンドールは言った。
「座れ」
スピアはカウンターの椅子に倒れ込むように座った。
コンドールは水のグラスを置いた。
スピアはそれを両手で持ち、一気に飲んだ。
「どこで俺の居場所を」
「軍の元同僚の伝手です。
三か所、空振りしてやっとここが分かった」
スピアは息を整えながら言った。
「コンドール、退役したって聞きました。
ガルトのせいで?」
「詳しい話は後でいい」とコンドールは言った。
「お前は今、軍にいるのか」
「それも後で話します」とスピアは言った。
「まず、俺がここに来た理由を聞いてください」
コンドールはカウンターの向かい側に腰を下ろし、
スピアと向き合った。
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## 第二十六章 レイス
「コンドール、覚えていますか」とスピアは言った。
「七年前の作戦。
第四宙域外縁の、あの地下施設の話です」
コンドールは一瞬で記憶の中に戻った。
第四宙域外縁の暗殺組織壊滅作戦。
コードネーム「ダークフォレスト」。
当時、コンドールの中隊がメインの突入部隊を担当した。
施設の規模は事前の情報より大きく、交戦は激しかった。
作戦は成功したが、負傷者が複数出た。
そして施設内部の奥、
本来は資材置き場だったと思われる部屋で、
見つけたのだ。
「……あの子か」とコンドールは言った。
「はい」とスピアは言った。
「**レイス**です」
コンドールの頭に、七年前の光景が鮮明に蘇った。
暗い部屋の隅、古い毛布の山の影に潜んでいた子供。
十一歳前後。ひどく痩せていた。
体中に古い傷の跡があった。
しかし目だけは、怖いほど鋭かった。
コンドールが扉を開けた瞬間、
その子供は音もなく立ち上がり、
壁を背にして構えた。子供の構えじゃなかった。
訓練された、殺すための構えだった。
コンドールは武器を下ろして、ゆっくりと近づいた。
子供は逃げなかった。
攻撃もしなかった。
ただ、コンドールの目を見ていた。
何かを測るように。
それから、ゆっくりと構えを解いた。
「その子は、暗殺組織に幼少期から囚われていました」
とスピアが続けた。
「気配を消すことが生まれつき得意で、
それを組織に目をつけられて誘拐された。
両親はその後間もなく亡くなっていた。
施設の記録から分かりました」
「擁護施設に入ったと聞いた」
「はい。
コンドールが作戦後、引き取ることはできないが
安全な場所に繋いでやってくれと俺に頼んだ。
俺が施設の手配をしました」
「それからどうなった」
「施設では……
まあ、色々と難しいことはあったようです」
とスピアは言った。
言葉を選ぶように少し間を置いた。
「ただ施設のスタッフには恵まれて、
なんとか生活していました。
俺も時々様子を見に行っていた。
レイスはコンドールのことを何度も聞いてきました。
作戦の後、コンドールに懐いていたから」
「それで? 問題が起きたと言ったな」
「三日前です」とスピアは言った。表情が少し曇った。
「通っている学校で事件があったと
施設から連絡が来ました。
俺がすぐ確認しに行ったが……状況がよく分からない。
学校側の言い方が、おかしかった。
それでコンドールに連絡しなければと思って」
「詳しく話せ」
「直接見た方が早いと思います」とスピアは言った。
「学校は明日も開いています。
一緒に来てもらえますか」
コンドールは少し考えた。
「明日の朝、行く」と彼は言った。
「学校の名前と場所を教えろ」
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## 第二十七章 左翼の砦
翌朝、コンドールとスピアは学校を訪れた。
ミルデン第三統合学校。
石造りの重厚な建物で、歴史は百年以上あるという。
かつてはミルデンで最も評判の良い学校の
一つだったと聞いていた。
応接室に通されると、間もなく三人が現れた。
校長のドナ・ヴァルガ。
五十代の女性で、銀縁の眼鏡をかけ、
グレーのスーツを着ていた。
表情は最初から硬かった。
隣に生活指導主任のホーン、
その横に担任教師のクレシャ。
三人とも、
コンドールたちを見る目に微妙な色があった。
歓迎ではなかった。
「レイス君の件についてお話しするとのことでしたが」
とヴァルガ校長は開口一番に言った。
「保護者の方でしょうか」
「保護者ではありません」とコンドールは言った。
「彼の事情を知る者として、状況を確認しに来ました」
「事情を知る者、とは具体的に」
「それよりまず、何が起きたか教えてください」
ヴァルガ校長は一度眼鏡のフレームに触れてから、
口を開いた。
「レイス君は今週の火曜日、
同級生に対して暴力行為を行いました。
複数の目撃証言があります。
被害を受けた生徒は全治二週間の怪我を負っています。
我々としては、レイス君の退学処分を含む
厳重な対処が必要と考えています」
「レイスが暴力を振るった状況は?」
とコンドールは言った。
一瞬の間があった。
「状況?」とヴァルガ校長は言った。
「その同級生は何をしていたのか。
どういう経緯で暴力になったのか」
「暴力の理由は関係ありません」
と生活指導主任のホーンが言った。
割り込んだ声が、やや鋭かった。
「我が校では、いかなる理由による暴力も許容しません。
それが教育の基本です」
「教えてください」
とコンドールはヴァルガ校長を見た。
「どういう状況だったのか」
またわずかな間があった。
「グループでの口論が発端と聞いています」
と担任のクレシャが言った。
他の二人より少し若い女性だった。
「詳しい経緯は」
「クレシャ先生」
とヴァルガ校長が静かに遮った。
クレシャが口を閉じた。
コンドールはその遣り取りを見逃さなかった。
「口論の内容は?」と彼は続けた。
「重要ではありません」とホーンが言った。
「結果としてレイス君が
暴力を行使したことが問題です」
「被害を受けたと言っている生徒の国籍は?」
空気が変わった。
ヴァルガ校長の目が細くなった。
「それは、何の関係が」
「答えにくいなら答えなくて構いません」
とコンドールは静かに言った。
「ただ、お話を聞いていて、
レイスが一方的に悪いという前提でしか
話が進んでいないように感じます。
口論の経緯は重要でない、暴力の状況は関係ない。
それはなぜですか?」
「我々は公平に判断しています」
とヴァルガ校長は言った。
声に色が出てきた。
「レイス君は問題を抱えている生徒です。
これ以前にも、クラスで孤立する場面が多かった。
協調性に欠け、他の生徒との関係構築が上手くない。
そういった背景も踏まえた上での判断です」
「協調性に欠けるとは、どういう意味で?」
「他の生徒と価値観が合わない場面が多い、
ということです」
「価値観が合わない」とコンドールは繰り返した。
「たとえば、どういった場面で?」
「授業中の発言が……
その、一部の生徒が不快に感じる内容のことがあって」
とクレシャが、また少し口を開きかけた。
「クレシャ先生」
と再びヴァルガ校長が静かに言った。
コンドールは校長を見た。
「クレシャ先生に聞かせてください」と彼は言った。
「あなたではなく、
担任の先生が一番状況を知っているはずです。
違いますか?」
緊張した沈黙が落ちた。
クレシャはヴァルガ校長を一度見て、
それからコンドールに向き直った。
「レイス君は……授業中に、移民の犯罪問題について、
自分の意見を述べたことがあります」
と彼女は言った。
「社会科の授業での議論の中で。
彼は、データを挙げながら、現状の問題点を話した。
内容は、コロンバスの
公式な統計に基づいたものでしたが……」
「クレシャ先生、それは」
「移民出身の生徒たちが強い不快感を示しました」
とクレシャは続けた。
ヴァルガ校長の牽制を、今度は無視した。
「その後から、移民系の生徒グループから
レイス君への嫌がらせが続くようになったと、
私は認識しています」
「嫌がらせの内容は?」
「所持品の破損。廊下での体当たり。食事時の排除。
そして火曜日は……放課後に複数人に取り囲まれた、
と複数の目撃者から確認しています」
「複数人に取り囲まれた状況での対応が、
暴力と判断されたわけですね」
とコンドールは言った。
ヴァルガ校長が口を開いた。
「状況は確かに複雑ですが、
実際に怪我を負った生徒がいます。その責任は」
「複数人に取り囲まれた生徒が
身を守るために抵抗することを、
貴校では暴力と定義するのですか」
とコンドールは言った。
「……」
「嫌がらせを行っていた生徒たちへの対処は、
どのように行いましたか?」
沈黙。
「取り組んでいます」とホーンが言った。
「具体的には?」
「それは内部の指導事項ですので」
「つまり、外部には答えられないということですか」
「そういうことではありませんが」
「レイスに対しては退学処分まで検討している。
しかし取り囲んで嫌がらせをしていた側への対処は
内部事項で答えられない」
とコンドールは言った。
声に感情はなかった。
ただ、事実を並べた。
「それが貴校の公平な判断、
ということでよろしいですか?」
応接室に、重い沈黙が満ちた。
ヴァルガ校長は眼鏡のフレームに何度も触れた。
ホーンは腕を組んで視線を外した。
クレシャだけが、コンドールを真っすぐに見ていた。
「……授業での発言も問題でした」
とヴァルガ校長は最終的に言った。
絞り出すような声だった。
「特定のグループへの偏見を助長する
可能性のある発言は、
教育の場においては適切ではありません。
レイス君はその点でも、指導が必要な状況にあります」
「統計データに基づいた発言が
偏見を助長するというのは、どういう論理ですか」
「データの使い方には文脈が必要です。未熟な生徒が」
「未熟な生徒が正確なデータを用いて
意見を述べることを制限し、
そのデータによって不快に感じた側からの
嫌がらせには実質的な対処をせず、
最終的に複数人に取り囲まれた状況で
抵抗した生徒を退学処分にする」
とコンドールは言った。
「それが教育だとおっしゃるなら、
俺には理解できない教育です」
ヴァルガ校長の顔が赤くなった。
「あなたは保護者でもない。
我々の教育方針に口を出す立場にはありません」
「そうですね」とコンドールは立ち上がった。
「ただ、一つだけ。
クレシャ先生、レイスを今日、引き取りたい。
手続きを教えてください」
クレシャはコンドールを見て、短く頷いた。
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## 第二十八章 帰り道
レイスは別室で待っていた。
コンドールが扉を開けると、
椅子に座っていた少年が顔を上げた。
十八歳になっていた。
七年前の痩せた十一歳の面影はあるが、
体はしっかりとしていた。
目の鋭さは変わっていなかった。
むしろ深みが増していた。
コンドールを見た瞬間、その目が大きく開いた。
「……コンドール」と彼は言った。
「久しぶりだ」とコンドールは言った。
「荷物を持て。帰るぞ」
レイスは一瞬、
状況を理解しようとするように動きを止めた。
それから立ち上がり、小さなバッグを肩にかけた。
学校を出て、ミルデンへ向かう道を歩き始めた。
スピアは少し後ろを歩き、二人の距離を保った。
しばらくして、レイスが口を開いた。
「すみませんでした」
「何に対して」
「迷惑をかけました。
学校の先生たちは、俺のせいだと言っていたので」
「お前のせいじゃない」
とコンドールは前を向いたまま言った。
「でも」
「複数人に取り囲まれて、どうしろというんだ」
レイスは黙った。
「あの先生たちの言っていることがおかしいと、
分かっていたか?」
とコンドールは聞いた。
「……分かっていました」
とレイスは少し間を置いて言った。
「でも、俺が間違っているのかと思う時もあって」
「自分が正しいと思う時と、
間違っているかもしれないと思う時が交互に来る。
そういうことか?」
「はい」
「それは健全だ」とコンドールは言った。
「自分の判断を常に疑える人間は、成長できる。
あの先生たちは、自分の判断を疑わない。
だから成長が止まっている」
レイスはしばらく黙って歩いた。
道の端、植え込みの影から猫が一匹出てきて、
二人の前を横切った。
レイスの目がその猫を追った。
「コンドール」とレイスが言った。
「何だ」
「俺を……引き取ってくれるんですか」
コンドールは少し間を置いた。
「今すぐ答えは出せない」と彼は正直に言った。
「俺の状況も、複雑だ。
ただ、今夜は「ラーナ」に来い。
飯を食え。それから話す」
レイスは黙って頷いた。
それから、もう一度「すみませんでした」と言った。
コンドールは答えず、レイスの頭に手を置いた。
そのまま少しの間、歩いた。
レイスは何も言わなかった。
しかし、肩から力が抜けていくのが、
手のひらに伝わった。
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## 第二十九章 ラーナの夜
「ラーナ」に戻ると、
スピアがカウンターに座り、コンドールを見た。
「コンドール」とスピアは言った。
「俺もここで雇ってもらえませんか」
「軍はどうした」とコンドールは言った。
厨房に入りながら聞いた。
「退役しました」とスピアは答えた。
「二か月前に。
ガルトのあの件の後、
連隊の中がおかしくなっていて……
それに、レイスのことが気になって、
軍での自分の仕事に集中できなくなっていた」
「行くところは?」
「ありません」とスピアはあっさりと言った。
「だからここに来ました」
コンドールは冷蔵庫を開け、今夜の食材を確認した。
ドルフのレシピノートを開いた。
「腕は落ちていないか」と彼はスピアに聞いた。
「試してみますか」
「今夜は試さない」とコンドールは言った。
「ここは居酒屋だ。
その前に飯を作る手伝いをしろ。
玉ねぎを刻め」
「……料理の話ですか」
「他に何がある」
スピアは立ち上がり、厨房に入った。
「雇ってもらえるということですか」
「状況が状況だ」とコンドールは言った。
「腕の立つ人間は必要だ。
ただ、ここで働くということは、
サイクロンの話も関係してくる。
それは後で話す。
まず飯だ」
「分かりました」
とスピアは言い、包丁を手に取った。
レイスは店の隅のテーブルに座り、
厨房のコンドールとスピアを見ていた。
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夜が更けてくると、
常連客たちが次々と「ラーナ」に入ってきた。
セバスチャンが来た。
ビッグとショートが並んで来た。
サイクロンの残りのメンバーが、
それぞれに顔を出した。
コンドールが作った料理は、
ドルフには遠く及ばなかった。
しかし、ドルフのレシピノートの通りに
作った煮込みは、
なんとか食べられるものになっていた。
「悪くない」とセバスチャンが言った。
「ドルフさんの足元にも及ばない」
とコンドールは言った。
「最初からそれができたら、お前はドルフさんだ」
とセバスチャンは言った。
「お前はお前だ。それでいい」
ビッグが無言でおかわりを求めた。
コンドールはもう一皿を置いた。
ショートがスピアに話しかけ、スピアが答えた。
ショートが何か言って笑った。
スピアも苦笑した。
隅のテーブルで、レイスが煮込みを食べていた。
最初はゆっくりと、様子を窺いながら。
しかし店内の笑い声が増えるにつれて、
少しずつほぐれていくのが分かった。
コンドールはカウンターの内側から、
その光景を見ていた。
セバスチャンの白髪。
ビッグの大きな背中。
ショートの落ち着きない身振り。
スピアの戸惑いと、それでも和もうとしている目。
そしてレイスの、初めて見る、緩んだ表情。
どれだけ傷ついても、どれだけ失っても、
人間はまたこうして集まる。
温かい場所を作ろうとする。
そこに座ろうとする。
コンドールは、
その光景がずっと続いてほしいと思った。
いつまでも、この笑い声が続いてほしい。
それが今の自分にできる最善であり続けることが、
ドルフへの誓いだと思った。
二つの月が、「ラーナ」の窓から見えた。
ラーナとセル。大きい月と小さい月が、
それぞれの軌道を静かに巡っていた。
夜は続いていた。
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*続く*