第二百八十ニ弾「星の静寂、血の代償」の続きです

 

 

# 星の静寂、血の代償
## 第二章 夜の番人

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# 第五部 残された爪痕

## 第十一章 平穏という名の幻

 クラルド共和国特殊作戦軍の秘密作戦
「コールドナイト」の終結から半年が経った。

 ヴァルデンシアの街は、
表向き落ち着きを取り戻していた。

 西区のプラッツァ通りに戻ってきた住民たちは、
久しぶりに夕暮れ時の散歩を楽しんだ。
タネル地区の飲食店には、
かつてのように家族連れが訪れるようになった。
コロンバス保安局の犯罪統計は、
クラルド人による犯罪件数の
劇的な減少を示し続けていた。

 しかし、コロンバス保安局長官
マクレガーの執務室には、
毎朝一冊の報告書が届いていた。

 彼はある朝の報告書を開き、頁をめくりながら、
コーヒーカップを机に置いた。

 「セナ連邦関連案件」の項目が、
前月より三十パーセント増加していた。

 マクレガーは窓の外に目をやった。
晴れた朝だった。
二つの月はもう沈んでいる。
青い空の下で、市民たちが普通の朝を送っていた。

 その普通の朝を、自分はいつまで守れるだろうか。

 彼はコーヒーを一口飲んだ。冷めていた。

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## 第十二章 根の深さ

 セナ連邦。

 コロンバスから見て第三宙域の外縁に位置する
その国家連合体は、表向きは「多民族共存の連邦国家」
として銀河外交の場で穏健な顔を見せていた。
しかし情報機関の間では、その実態は広く知られていた。

 セナ連邦は、国家戦略として
他国への思想的浸透を長期にわたって実施してきた。

 その歴史はコロンバスにおいて言えば、
実に四十年以上前に遡る。

 最初に手を入れたのはセナ連邦ではなかった。
アルメニア連邦という、今は衰退した中規模国家が、
コロンバスの左翼運動に非合法な形で
資金と思想的支援を提供し始めたのが始まりだった。
アルメニア連邦は自国の影響力拡大のために、
コロンバスの労働運動や学生運動に工作員を送り込み、
反政府的な文化運動を陰から育てた。

 しかしアルメニア連邦は国内矛盾を抱えて
徐々に衰退し、
コロンバスへの影響力も失っていった。

 そこに入り込んだのがセナ連邦だった。

 セナ連邦の手法はアルメニア連邦よりも
はるかに洗練されていた。
彼らは資金援助や扇動という粗い手段に頼らなかった。
代わりに選んだのは、**教育**だった。

 コロンバスの主要大学にセナ系の教授が
着任し始めたのは二十五年前のことだ。
最初は一人、二人と目立たない形で。
彼らは優秀だった。
論文の質は高く、学生からの評価も高かった。
問題は、彼らが教室で伝える思想の中身にあった。

「既存の秩序は強者が弱者を
支配するために作られたシステムだ」
「コロンバスの繁栄は
他の惑星の搾取の上に成り立っている」
「国境とは権力者が
民衆を分断するために引いた線に過ぎない」

 これらの思想は、批判的知性を持つ
若者たちの心に刺さった。
正義感の強い学生ほど、吸収した。

 二十年をかけて、その学生たちが社会に出た。

 官僚になった者がいた。
裁判官になった者がいた。
記者になった者がいた。
教師になった者がいた。
そして議員になった者がいた。

 彼らの多くは、自分がセナ連邦の
戦略の一部だとは夢にも思っていなかった。
ただ自分が正しいと信じる思想を持ち、
正しいと信じる行動をとっていた。
それが工作の最も恐ろしい完成形だった。

 コロンバス国内の左翼組織
「コロンバス進歩連合(KPR)」の上層部にのみ、
セナ連邦との直接的な接触ラインが存在していた。
資金はセナ系の研究財団や
文化交流団体を経由して流れてきた。
指示はシンクタンクの提言書という形で届いた。

 表向きはすべて合法だった。

 コロンバス保安局の対外諜報部門は、
この構造を把握しつつあった。
しかし証拠を固めるには時間が必要だった。
そして何より、その証拠を受け取って動くべき司法と
行政の中枢が、すでに深く浸食されていた。

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## 第十三章 夜が生む怪物

 最初の暗殺事件が起きたのは、
「コールドナイト」終結から八か月後のことだった。

 被害者はコロンバス連邦議会の与党、
コロンバス国民党(KNT)の中堅議員、
ヴィクター・ハルネだった。
移民政策の見直しを積極的に主張していた人物だ。

 夜の帰宅途中、
自宅マンション前の路上で射殺された。

 二発。
いずれも頭部への精密射撃。
プロの仕事だった。

 一週間後、グレゴリー首相の側近である政策顧問、
ニルス・エランが自宅で刺殺された。

 さらに二週間後、
移民政策見直しを訴えていた
元保安局幹部が爆弾で殺された。

 コロンバス保安局は捜査を進めたが、
手掛かりは極めて少なかった。
犯行グループは訓練を受けていた。
逃走経路は周到に準備されていた。
目撃者はいなかった。

 そして間もなく、二つの名前が浮かんだ。

 **ブレイザー**と**ハンクバルト**。

 ブレイザーは本名をルカス・フレイといった。
元新聞記者で、急進的な論調で知られていた人物だ。
KPRの外郭団体に関わるようになり、やがて地下に潜った。
四十一歳。痩身で、鋭い目をした男だった。
彼が率いるグループは政治的な暗殺を主に担当し、
その活動はより「知的」な側面を持っていた。
標的の選定は入念で、
暗殺によって政治的に最大の効果が出る人物を選んだ。

 **ハンクバルト**の本名は不明だった。
複数の偽名を使い分け、外見も変えていた。
確認されている情報では、三十代後半の男。
軍または警察に関わった経歴がある可能性が高い。
彼が率いるグループは暗殺だけでなく、
一般市民への恐怖の浸透を狙った
無差別的な暴力も辞さなかった。

 この二つのグループが、
ヴァルデンシア市内を夜の恐怖で覆っていった。

 日が沈むと、街から人が消えた。

 飲食店は夕方六時には閉店した。
夜の道を歩く人間は、ほぼいなくなった。
ある地区では、玄関ドアに補強を施す住民が急増し、
資材が品不足になった。

 警察は対応できなかった。

 夜間パトロールを強化した警察官が
逆に襲われる事件が続発し、警察内部に恐怖が広まった。

上層部は「安全が確保されるまで
単独夜間パトロールを停止する」という命令を出し、
実質的に夜の街の治安は放棄された。

 グレゴリー首相は非常事態宣言の準備を進めたが、
KPR系の議員たちが議会で猛反発した。
「政府による言論弾圧の口実だ」
「正当な政治運動を犯罪化しようとしている」。
左翼系メディアはその主張を大きく報じ、
世論は二分された。

 夜は、深くなり続けた。

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# 第六部 コンドール

## 第十四章 退役

 コンドールという名前は、本名ではない。

 軍での通称だった。

 本名はレイン・オルデン。三十八歳。
コロンバス共和国陸軍特殊作戦部隊第三連隊、
第一中隊長。階級は大尉。

 彼がその名を得たのは十二年前、
初めての実戦任務でのことだった。
孤立した味方を救出するために、
上官の命令を待たず単独で敵陣に飛び込んだ。
まるで翼を広げて急降下するコンドルのように。
任務は成功し、四名の命が救われた。
それ以来、部隊の中で
彼は「コンドール」と呼ばれた。

 身長百八十三センチ。肩幅が広く、手首が太い。
しかし動きに無駄がなく、
静止しているときの存在感は不思議なほど薄かった。
灰色がかった茶色の目は、
常に何かを測るように周囲を見ていた。
笑顔は少ないが、笑うときは本当に笑った。
部下はそのことをよく知っていた。

 彼が軍を退役したのは、三週間前のことだった。

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 事の発端は、一年前に遡る。

 第三連隊の連隊長、ガルト大佐。

 この男が問題だった。

 ガルト大佐は軍内部の調達・補給に関する
権限を使って、個人的な利益を得ていた。
具体的には、特定の民間企業との癒着による
過剰発注と、その差額の横領だ。
金額は小さくなかった。
部下の装備の質が低下し、訓練の質も落ちていた。

 コンドールは、任務中に部下が
旧式の通信機の故障で孤立したとき、全てを理解した。
新型の通信機は発注済みのはずだった。
しかし現場には届いていなかった。
部下は無事に帰還したが、
一歩間違えれば死んでいた。

 コンドールは上官ではなく、
軍の内部監査部門に直接報告した。
監査は動いた。
証拠は固まった。
ガルト大佐は処分されるはずだった。

 しかし三か月後に出た結論は
「証拠不十分による不問」だった。

 その後、コンドールへの態度が変わった。
危険な任務ばかりが回ってきた。
評価は不当に下げられた。
部下たちを守るためにコンドールが判断した
現場での独断が、上からは「命令不服従」
として記録された。

 そして半年後、コンドールは連隊長室に呼ばれた。

 ガルト大佐は机の向こうに座り、
書類を一枚差し出した。

「自発的退役の申請書だ。サインしろ」

 コンドールはその書類を見つめた。

「理由は?」と彼は言った。

「お前には軍は向かない」
とガルト大佐は言った。
顔に薄笑いを浮かべていた。

「組織の論理が分からん人間は、
どこへ行っても邪魔なだけだ」

 コンドールは三十秒間、
黙ってその書類を見ていた。

 それからサインした。

 翌日、十二年間過ごした兵舎を出た。
荷物は一つのバッグに収まった。

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## 第十五章 居酒屋「ラーナ」

 ヴァルデンシア市街から北に約二十キロ。

 コロンバスの古い街並みが残る郊外の街、ミルデン。

 石畳の路地が迷路のように入り組んだこの街は、
かつては職人の街として知られていた。
今は静かな住宅地だ。
移民の波はここにも及んでいたが、
ヴァルデンシア中心部よりは穏やかだった。
それはミルデンに、コンドールが
今から訪ねようとしている
男がいたからかもしれなかった。

 路地の角を曲がると、
温かい光が漏れる建物が見えた。

 古い木の看板に「ラーナ」と書いてある。
月の名前だ。

 扉を開けると、厨房の方から炒め物の音と
匂いが漂ってきた。
カウンター席が八つ、テーブルが四つ。
壁には古い写真が何枚か飾られている。
客は数人いた。

「いらっしゃい」

 厨房から顔を出したのは、
六十二歳の男だった。

 白髪交じりの頭を短く刈り込み、
鼻の下に白い髭を生やしている。
肩幅は広く、手は大きい。
老いても体に力が残っている種類の男だ。
目が細く、しかしその奥に深い光がある。

 **ドルフ・ガイスト**。

 コンドールが彼に初めて会ったのは十五年前、
コンドールがまだ新兵だった頃だ。
当時ドルフは軍の特殊作戦部隊のベテラン曹長で、
コンドールの直属の上官だった。

 ドルフは入隊したばかりのコンドールを、
特別扱いしなかった。

 厳しかった。
容赦がなかった。
ミスをすれば怒鳴った。
しかし翌朝には何事もなかったように接した。
恨みを引きずらなかった。
そして、部下が本当に困ったときだけ、
静かに手を差し伸べた。

 コンドールにとって、父親に最も近い人間だった。
実の父親は彼が幼い頃に家を出ており、
記憶の中に顔がない。

 ドルフは八年前に軍を退役し、
故郷のミルデンに戻って「ラーナ」を開いた。

 コンドールは年に一度か二度、この店を訪れた。
どんなに忙しくても。

 ドルフはコンドールの顔を見た瞬間、
何かを察したように目を細めた。

「座れ」と彼は言った。

「飯を作る」

 コンドールはカウンターの端に座った。

 料理が出てきた。
ドルフが黙って座り向かいに置いたグラスに、
蒸留酒が注がれた。

 コンドールは話した。
ガルトのことを。
監査のことを。
書類のことを。

 ドルフは黙って聞いた。
途中で口を挟まなかった。

 話し終えると、
ドルフはしばらくグラスを眺めてから言った。

「正しいことをしたな」

「何も変わらなかった」

「今はそう見える」とドルフは言った。

「しかし種は撒いた。いつか芽が出る。
それが十年後か二十年後かは分からんが」

「俺は楽観的になれない」

「楽観じゃない」とドルフはコンドールを見た。

「俺は現実主義者だ。
正しいことは、時間がかかっても最終的に意味を持つ。
だから正しいことをし続けるしかない。
それだけだ」

 沈黙が落ちた。

 コンドールは蒸留酒を飲んだ。
喉が焼ける感覚が、久しぶりに心地よかった。

「しばらくここにいてもいいか」と彼は言った。

「いつ出て行っても構わん」とドルフは言った。

「しかし出て行くまでは働いてもらう。
飯は食わせてやる」

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## 第十六章 チーム「サイクロン」

 翌朝、コンドールが厨房の掃除を終えた頃、
店に三人の男が入ってきた。

 四十代前半の大柄な男、ユーリ。
元建設作業員で、分厚い手のひらと
穏やかな目を持っていた。
二十代後半の痩せた男、ラウス。
動きが機敏で、常に落ち着きなく周囲を見渡していた。
五十代の白髪の男、セバスチャン。
かつてミルデンの警察官だったが、
数年前に退職していた。

 三人はドルフに挨拶し、
コンドールを見て立ち止まった。

「こいつは?」とユーリが言った。

「しばらく泊まる。信用できる」
とドルフは言った。
それで全員が納得した。

 コンドールは後になって知ることになる。
この三人がチーム「サイクロン」の
主力メンバーであることを。

 ドルフが「サイクロン」を立ち上げたのは
三年前だった。

 ミルデンにも移民による犯罪が増え始め、
夜間に外出できなくなった住民が増えた頃のことだ。
警察はヴァルデンシア中心部に戦力を集中させており、
郊外のミルデンへの対応は手薄だった。
住民の相談を受けたドルフが、
元同僚や信頼できる知人を集めて
非公式の夜間見回りを始めたのが最初だった。

 サイクロンの活動は、
暴力的な組織排除を目的としていなかった。

 住民の安全のための見回り。
危険な場所の把握と住民への周知。
問題が起きたときの初期対応。
そして必要な場合の、直接的な介入。

 「直接的な介入」の中身については、
ドルフは多くを語らなかった。
しかしコンドールは元特殊部隊員として、
その意味を正確に理解していた。

 チームの規模は十二名。
全員が何らかの実戦的バックグラウンドを持っていた。
元軍人、元警官、元消防士。
ミルデンの住民から
厚く信頼されている人間たちだった。

 ドルフはサイクロンの頭として、
表に立つことはしなかった。
あくまでも居酒屋「ラーナ」の店主として日常を送り、
サイクロンの活動は夜の見回りという名目で行われた。

 コンドールが加わったのは自然な流れだった。

 ドルフが「一緒に回るか」と言った。
コンドールは頷いた。
それだけだった。

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## 第十七章 夜の街を歩く

 ミルデンの夜回りは、
特に派手なものではなかった。

 コンドールとユーリの二人組が、石畳の路地を歩く。
懐中電灯を一本持ち、普通の服を着ている。
見た目は、ただの夜歩きだ。

 しかし二人は常に話しながら、
話しながら周囲を見ていた。

「あの路地、ここ二日で人が変わった」
とユーリが言った。

「昨日まではセナ系の若い連中が三人たむろしていた。
今日は別の顔だ」

「移動したか、交代か」とコンドールは言った。

「たぶん後者。縄張りを張ってる気配がある」

 コンドールは何も言わずに
その路地を目に焼き付けた。

 見回りは三時間。
ミルデンの北端から南端まで、
入り組んだ路地を網羅的に歩く。
問題のある場所、変化のある場所、
住民から相談が来ている場所を重点的に確認した。

 最初の二週間、
コンドールはひたすら地形と人の動きを頭に入れた。

 ミルデンのどの路地に死角があるか。
どのアパートの前が問題の起きやすい場所か。
どこに監視カメラがあり、どこにないか。
夜間に徘徊する人間の動きのパターン。

 元特殊部隊員の目と頭は、
二週間でミルデンの夜を精密に地図化した。

 ドルフはコンドールのその能力を静かに見ていた。

「お前がいてくれると助かる」
とドルフはある夜、見回りの帰り道に言った。

「俺にできることをするだけだ」
とコンドールは言った。

「それで十分だ」

 二人は並んで歩いた。石畳に足音が響いた。

 「ラーナ」の温かい灯りが、路地の先に見えた。

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## 第十八章 ハンクバルトの影

 チーム「サイクロン」が
最初にハンクバルトの影を感じたのは、
コンドールが加わってから一か月後のことだった。

 ミルデンの東端、
古い倉庫が並ぶ地区で、見慣れない人間が複数、
短期間の滞在を繰り返している
という情報が地域住民から入ってきた。

 セバスチャンが近隣の住民から丁寧に話を聞いた。
元警官の物腰は、人を安心させる何かを持っていた。

「来るのは決まって夜だ」と一人の老人が言った。

「明け方前には消える。顔を見たことはない。
しかし物音は聞いた。複数人だ。
そして一度だけ、窓から外を見たら、
倉庫の前で男が二人、何かを運んでいた」

「何を運んでいたか分かりますか?」
とセバスチャンは聞いた。

「長い荷物だった。布で包まれていた。
しかしその形は……」老人は言いかけて止まった。

「気のせいかもしれないが、人のように見えた」

 その情報をドルフに持ち帰ったとき、
コンドールはすでに別の情報と照合していた。

「三週間前、
ヴァルデンシア北部で行方不明になった
政府関係者がいる」とコンドールは言った。

「保安局の情報だ。
正確にはラウスが独自ルートで入手した情報だが。
遺体はまだ見つかっていない」

 ドルフは黙っていた。

「倉庫の使用パターン、人数、荷物の運搬。
これがハンクバルトの仕事のやり方と一致する」

「確認したいか」とドルフは言った。

「した方がいい」

 ドルフは少し考えてから言った。

「確認だけだ。手は出すな。
相手はブレイザーやハンクバルトの手下かもしれない。
今のサイクロンで正面からやり合える相手じゃない」

「分かってる」とコンドールは言った。

 三日後の深夜、
コンドール単独での偵察が行われた。

 倉庫の外壁を伝い、
高所の換気口から内部を確認した。

 室内に四名。武器あり。
テーブルの上に地図が広げられていた。
何の地図かは確認できなかった。
人員の動きは訓練を受けたものではなかったが、
慣れた様子があった。

 コンドールは何もせずに撤退した。

 帰還後、ドルフに報告した。

「保安局に匿名で情報を流す」とドルフは言った。

「それ以上でも以下でもない。
我々の仕事は住民を守ることだ。
国家の暗部を相手にすることじゃない」

「同意する」とコンドールは言った。

 その夜は、それで終わった。

 しかしコンドールは眠れなかった。
天井を見つめながら、
ハンクバルトという名前を頭の中で反芻した。

 嵐の前の静けさのようなものを、
彼は皮膚で感じていた。

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## 第十九章 最後の夜回り

 それは特別な夜ではなかった。

 十二月の初め。
気温は下がり、
ミルデンの路地には霧が薄く漂っていた。

 ドルフは一人で夜回りに出ると言った。
コンドールは一緒に行こうとしたが、
ドルフは首を振った。

「お前は昨日今日と夜回りが続いた。今夜は休め。
俺の担当区画は短い。一時間もかからない」

「一人はよくない」とコンドールは言った。

「ここ一か月、この区画では何も起きていない」
とドルフは穏やかに言った。

「それに、お前が最初に来た夜から、
ミルデンの空気は変わっている。
お前の目が光ってるのを、
悪い奴らも感じ取っているんだ」

 コンドールは渋々引き下がった。

 ドルフは店を出た。

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 一時間後、コンドールの通信機が震えた。

 ラウスからだった。

「コンドール。ドルフさんが……
南区の路地で倒れているのを見つけた。
急いで来てくれ」

 コンドールは走った。

 石畳の路地を全速力で。霧の中を。

 南区の角を曲がると、
ラウスとユーリが跪いているのが見えた。
その前に、ドルフが壁を背に座らせられていた。

 コンドールは膝をついた。

 ドルフの腹部から血が出ていた。
刃物による傷だった。深かった。

「ドルフ」

 老人の目が開いた。
焦点が合うまで少し時間がかかった。
しかし意識はあった。

「来たか」とドルフは言った。
かすれた声だったが、しっかりしていた。

「救急を呼んだ」とラウスが言った。

「もうすぐ来る」

 コンドールはドルフの傷口に手を当てながら言った。
「しゃべるな。力を使うな」

「しゃべらないと言いたいことが言えない」
とドルフは少し笑った。
そして痛みで顔を歪めた。

「犯人は?」とコンドールは言った。

「後ろから来た」とドルフは言った。

「顔は見ていない。しかし……」
彼は間を置いた。

「声を聞いた。別の男と話していた。
多分……ハンクバルトだ」

 コンドールの手に力が入った。

「ハンクバルトに間違いないか」

「俺の直感だ」とドルフは言った。

「長く生きてきて外れたことはない」

 遠くから救急車のサイレンが聞こえ始めた。

 しかしドルフの呼吸は浅くなっていた。

「コンドール」

「ここにいる」

「サイクロンを……頼む」ドルフは言った。

「住民を頼む。あの連中の好きにさせるな」

「任せろ」とコンドールは言った。

「俺が守る」

「ラーナも」とドルフは言った。
かすかに微笑んだ。

「あの店の常連客はな、みんないい人間だ。
いい酒を飲ませてやってくれ」

「分かった」とコンドールは言った。
喉が詰まった。

「ドルフ」

 老人の目がゆっくりと閉じた。

 救急車が路地に入ってきたとき、
ドルフ・ガイストはもういなかった。

 コンドールはしばらく、
冷たい石畳の上で動けなかった。

 ラウスとユーリが両脇に立っていた。
三人は何も言わなかった。

 霧の中で、遠くにラーナの灯りが見えた。

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## 第二十章 誓い

 翌朝、コンドールは居酒屋「ラーナ」の厨房に
一人で立っていた。

 ドルフが毎朝磨いていたカウンターを、
コンドールはゆっくりと布巾で拭いた。
木の表面に染み込んだ長い歳月の質感が、
手のひらに伝わってきた。

 午前九時に、
チーム「サイクロン」の全員が集まった。

 十二人。
それぞれの顔に昨夜の衝撃と悲しみがあった。

 コンドールはカウンターの前に立った。

「皆がドルフさんの遺志を知っている」
と彼は言った。

「俺はここに残る。ラーナを続ける。
サイクロンを続ける。
それがドルフさんへの答えだと思っている。
俺でいいなら、頭をやる」

 沈黙があった。

 最初に口を開いたのは、
元警官のセバスチャンだった。

「ドルフさんが信頼した人間だ。俺は従う」

 ユーリが頷いた。
「俺も」

 ラウスが言った。
「条件が一つある」

 コンドールはラウスを見た。

「ハンクバルトの件、うやむやにしないでくれ」
とラウスは言った。目が真剣だった。

「ドルフさんを殺した奴を、俺たちは覚えている。
俺はそれを忘れる気はない」

「忘れない」とコンドールは言った。

「俺も忘れない。しかし今は住民を守ることが先だ。
復讐のために住民の安全を二の次にすることは、
ドルフさんの望みじゃない」

 ラウスはしばらくコンドールを見てから、
短く頷いた。

「分かった」

 十二人全員の視線がコンドールに集まった。

 コンドールは一度、深く息を吸った。
そして言った。

「サイクロンは続ける。ラーナは続ける。
ミルデンの住民を守ることを続ける。
その上で、俺はハンクバルトを必ず見つける。
ドルフさんへの誓いだ」

 誰も何も言わなかった。

 しかし全員が、その言葉を受け取った。

 午後から、
コンドールは一人で店の開店準備を始めた。

 食材の確認。
カウンターの拭き上げ。
グラスの並べ直し。
ドルフがやっていた順序で、
ドルフがやっていた通りに。

 夕方、最初の常連客が扉を開けた。

 六十代の男だった。
帽子を手に持ち、
コンドールの顔を見て一瞬立ち止まった。

「ドルフさんは……」と彼は言いかけた。

「亡くなりました」とコンドールは答えた。

「俺が後を継ぎます。よかったらどうぞ」

 老人はしばらく扉のところに立っていた。
それから帽子を頭に戻し、
ゆっくりとカウンター席に座った。

「いつもの」と彼は言った。

「ドルフさんから聞いてますか?」

「麦の蒸留酒。ロック。水は少し」

「分かりました」

 コンドールはグラスに氷を入れ、酒を注いだ。

 ラーナの夜が始まった。

---

*続く*