# スライム使いの少年
## 第六章 獣道の一ヶ月
シューの目が、まだ頭の中にあった。
恐怖の目。
自分を見る目。
フランは街道を外れ、木立の中の獣道を選んだ。
手配書が回っているかもしれない。
そう考えると、人目につく場所を歩く気にはなれなかった。
スライム鷹の目で遠くを確認しながら、
人の気配があれば迂回する。
慎重に、慎重に。
それがフランの旅のやり方になった。
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食料には困らなかった。
緑のスライムが森の食べられる木の実や
茸を見つけてくれる。
水色のスライムが綺麗な水を出してくれる。
白いスライムが食材を冷やして保存してくれる。
黒いスライムの中には、
街道脇で拾った乾燥食料も入っていた。
野盗に襲われて捨てられた馬車を、
フランは旅の途中でいくつか見つけた。
最初は素通りしようとした。
だが、放置された荷物は誰のものでもなくなっている。
必要なものを拾って使うことは、
誰かを傷つけることにはならない。
フランは馬車を丁寧に調べた。
食料、毛布、ロープ、工具。
旅に使えるものは次々と黒いスライムの中に
収まっていった。
革袋に入ったままの金貨が落ちていたこともある。
フランはそれも受け取ったが、手のひらの上で眺めて、
複雑な気持ちになった。
これはここで命を落とした誰かのものだ。
無駄にしてはいけない、と思った。
三つ目の馬車を調べていたとき、
壊れた木箱の下に
革装丁の本が数冊まとめて埋もれていた。
取り出して表紙を見ると、魔導書と書いてあった。
フランは本をめくった。
文字は読める。
マドレーヌが教えてくれた。
だが書いてある内容は難しく、
初めて見る術式の記号や図が並んでいた。
「……魔法か」
ガレットもマドレーヌも魔法は使わなかった。
フランにとって魔法は、遠い世界の話だった。
だがこれだけ時間がある。
読んでみよう、と思った。
魔導書はすべて黒いスライムに収めた。
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その夜の野営で、フランは魔導書を開いた。
焚き火の前だ。
茶色のスライムが地面から土を盛り上げて
半円形の壁を作り、風を防いでくれている。
赤いスライムが集めた薪に触れると、
じわりと熱を帯びて着火した。
煙が立ち上るたびに、白いスライムが
少し上の空間に冷気の層を作る。
煙はその層に触れると冷えて霧散し、
上空に消えていった。
煙が目立たない。
焚き火がある野宿で一番困るのは煙だ、
とフランは最近知った。
煙は遠くからでも見える。
夜の煙は盗賊に居場所を教えるようなものだ。
だが白いスライムのおかげで、
フランの野営に煙の柱は立たない。
「お前たち、本当に賢いな」
スライムたちがプルプルと揺れた。
魔導書の最初の章は「生活魔法」だった。
火をつける、水を出す、風を起こす、土を固める。
戦闘には使えないが、
生活を便利にする初歩的な魔法の集まりだ。
フランは最初の術式を読んだ。
火をつける魔法。
指先に魔力を集めて特定のイメージを持つ、
と書いてある。
やってみた。
何も起きなかった。
もう一度。
何も起きなかった。
三十回繰り返した頃、
指先がじんわりと温かくなった気がした。
五十回目に、小さな火花が散った。
百回目に、豆粒ほどの火が灯った。
フランはその火を見つめた。
「できた」
呟いたとき、隣にいた赤いスライムがぴょんと跳ねた。
そして自分もやる、とでも言うように、
フランの指先に体の一部を重ねた。
フランはもう一度魔法を使った。
ごう、と音がした。
手のひら大の火の塊が生まれ、
三メートル先の地面を焦がした。
フランは目を丸くして自分の手を見た。
赤いスライムはぷるぷると得意げに揺れている。
「……一緒に使うと、こうなるのか」
翌日から、フランは実験を繰り返した。
水の魔法を水色のスライムと同時に使う。
細い水流が高圧の水刃になる。
土の魔法を茶色のスライムと合わせる。
地面を少し隆起させる程度だった術が、
人の背丈ほどの土壁を瞬時に作れるようになる。
風の魔法を……透明なスライムと合わせると、
周囲の音を消す無音の空間が生まれた。
スライムが魔法の増幅器になっている。
フランはそう理解した。
自分の魔力とスライムの力が混ざり合って、
何倍にも増える。
スライムの種類によって何が増えるかが変わる。
それはまるで、スライムたちがずっと前から
フランのために用意していた仕組みのようだった。
ゴブリンの群れに遭遇したのは、
旅立ちから三週間後だった。
五匹。
獣道に出てきて、フランを取り囲もうとした。
フランは赤いスライムを右手に集め、火の魔法を重ねた。
手のひらに炎の塊が生まれた。
先頭のゴブリンに向けて放つ。
直撃した。
ゴブリンは吹き飛んで動かなくなった。
残りの四匹が怯えて逃げた。
フランは手の炎を消した。
威力を上げすぎた、と思った。
ゴブリンを倒すだけなら、もっと小さくていい。
次の日から、威力の調整を練習した。
豆粒ほどの火を作る。消す。
少し大きくする。消す。
一週間後には、ろうそく一本分から
大型魔物を吹き飛ばす規模まで、
自在に調整できるようになっていた。
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夜ごと魔導書を読み、昼に実践し、
スライムと組み合わせを試す。
それを繰り返しながら、
フランはランズベルへの道を進んだ。
旅立ちから一ヶ月が経っていた。
森を抜けると、丘の向こうに街が見えた。
スライム鷹の目で確認すると、
石造りの城壁に囲まれた、こぢんまりとした街だ。
村よりはずっと大きく、村より賑やかだろう。
城壁の門に衛兵が立っているのが見える。
市場があり、人が行き来している。
ランズベルだ。
フランは丘の上に立ち、街を眺めた。
一ヶ月前、初めて村に行った日のことを思い出した。
あのときも同じように、
外から眺めて息を吸ってから踏み出した。
あの日よりは、慣れた。
傷ついた経験がある分だけ、慎重にもなった。
スライムたちは服の中に収まり、
スライム鷹は上空高く飛んでいて目立たない。
フランは見た目には普通の少年だ。
「行こう」
スライムたちが静かに揺れた。
フランは丘を下り始めた。
胸ポケットのマドレーヌのスライムが、
安心するように体を膨らませた。
フランはそれを手でそっと押さえた。
街まで、あと少しだ。
フランはその頃、
自分がどのくらい強くなったかを、まだ知らなかった。
魔法が使えることが嬉しかった。
スライムと組み合わせると威力が上がることが面白かった。
それだけだった。
自分の力を誰かと比べたことがない。
強さの基準を知らない。
知らなかったのだ。
一ヶ月の旅が、十二歳の少年を、
並みの冒険者では束になっても
敵わない力に育てていたことを。
*――第六章 完――*