保佐は、精神上の障がいにより事理を弁識する能力が著しく欠けている人について、家庭裁判所の審判を経て、被保佐人として保護するための制度です。その職務を行う人を保佐人といい、13条1項に列挙されている特定の法律行為について保佐人の同意を必要とし、同意なしに行った場合には保佐人は取り消し権を行使でき、被保佐人本人も取り消せます(120条1項)。また、当事者(本人又は本人の同意に基づく一定の者)が選択した特定の法律行為について保佐人に代理権を与えることもできます(876条の4)。このように、代理権の行使には本人又は本人の同意に基づく一定の者に限定することによって本人の自己決定権が尊重されています。
保佐人の職務は本人の特定の法律行為についての同意権と取消権および代理権が主ですが、まず、保佐人の同意を要する法律行為は13条1項で、次のように定められています。
1号 元本を領収し、又は利用すること
2号 借財又は保証をすること
3号 不動産その他重要な財産に関する権利の得喪を目的とする法律行為をすること
4号 訴訟行為をすること
5号 贈与、和解又は仲裁合意をすること
6号 相続の承認若しくは放棄又は遺産の分割をすること
7号 贈与の申込を拒絶し、遺贈を放棄し、負担付贈与の申込を承諾し、負担付遺贈を承認すること
8号 新築、改築、増築又は大修繕をすること
9号 第602条に定める期間を超える賃貸借(3年を超える建物の賃貸借等)をすること
いずれも本人が大きな債務を負担するか、その可能性が大きい法律行為であることがわかります。ただし、日用品の購入その他日常生活に関する行為については、保佐人の同意を要せず本人が自由に行うことができます(9条但書)。
重複して書きますが、被保佐人となると、一部の行為は自分自身でできますが、財産的に重要な行為は単独ではなしえず、保佐人の同意が必要です(13条1項)。その同意なしに、あるいは同意に代わる裁判所の許可なしにそれらの行為をした場合には取り消しができます(13条4項)。しかし、保佐人の同意を得なければならない行為について、明らかに保佐人が被保佐人の利益、財産を害するおそれがないにもかかわらず同意しないときは、家庭裁判所は、被保佐人の請求により、保佐人の同意に代わる許可を与えることができます(13条3項)。でも、私が思うに、「事理を弁識する能力が著しく不十分」な精神障がい者が家庭裁判所に請求できるのか、この条項については疑問を持ちました。
このように、保佐の理解は13条がポイントになっています。
閑話休題-------------------------------------------------------------------------------------
このブログは、PRして多くの人に見てもらいたいとか、他人と交流したいとか、特定物を広告して金銭的に利益を得ようなどという意図は全くありません。また、にぎやかにページをカラーリングしたり、デザインに凝ったり、絵文字顔文字、画像動画とは全く無縁です。自分が司法試験の勉強をし、それをブログ上でアウトップとすることによって知識学力をより確かなものにしたいという、いわば自己満足に過ぎません。
私の机の上には、常に六法、参考書、サブノートが並んでいます。まず参考書の記述を基準にして条文と照らし合わせ、他の書籍の同じ箇所の記述をよく読んで、「この条文はこういう理解なんだ、この制度は要するにこういう事か」と、納得してからサブノートに文章を書きます。区切りがつく毎に更に推敲してブログに書くことの繰り返しです。私からすれば、大学の法学部の学生や法科大学院生、塾や予備校で法律を勉強できる人が羨ましいです。お金や高学歴とは無縁ですから。頼りは既存の出版物ですが、司法試験対策の参考書は「基本書」と呼ばれていて、結構な値段がします。特に民法は大部な法典なので、総則、物権法、債権総論、債権各論、家族法といった具合に編ごとに独立した基本書が一般的で、物権法は更に担保物権法、債権法の分野は更に契約法、不法行為法、債権譲渡法などの基本書が出版されています。
民法に限らず、司法試験の勉強にあたっては、重要性の順に
1.条文
2.判例
3.学説
まず条文ありきですが、私のような素寒貧がいきなり六法全書を読んでも理解できるわけがありません。枕にして昼寝をするのが関の山でしょう。その理解を助けるのが基本書であり、基本書の記述が難しく感じれば初学者向けの入門書から、ということになります。
判例とは最高裁判所の判断つまり判決文のことで、下級審裁判所の裁判例よりも重要視されており、司法試験の受験生は必ず熟読しなければなりません。何故かというに、法、法律は抽象的であるがゆえに解釈の余地が大きく、日本は諸外国と比べて裁判官の裁量権が大きいといわれています。ということは法、法律の不足を補うのが判例であり、条文についで、いや、条文と同等に扱わなければならないのです。よく、インターネットの書評サイトに「百選を読め」などど書かれているので書店に出掛け、手にとってパラッとめくった途端、立ちくらみしそうになりました。専門用語をふんだんに使った難しい文章が小さな活字でびっちり隙間なく書かれており、こりゃだめだ、と感じてしまったからです。ああ、老眼鏡をかけてこれを読んで理解しなければいけないなんて、と、溜息まじりに。
法、法律は抽象的である、ということは、その人の考え方によって解釈が違ってくることになります。憲法76条は「すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される。」と、うたっています。私の解釈は裁判官に限らず、すべての人が「その良心に従い独立して」つまり、個人的な感情やうわさに流されることなく、その人独自の考え方で解釈し、理解するのが自然だと思うのです。この解釈の違いが「学説」です。基本書を書く先生によって解釈が違うので、最初は「通説」と呼ばれる、大勢から支持され確立された説をきっちり学ぼうと考えています。