冬のカマキリ

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46歳からの司法試験勉強奮闘記です。

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ここまで、後見保佐補助に関する民法の条文を読んで、何度も繰り返し出てくる文言に疑問を抱き、そしてハタと気付いたことがあります。具体的には7条11条15条の「審判をすることができる」、9条13条4項17条4項の「取消すことができる」、849条849条の2876条の3第1項876条の8第1項の「選任することができる」、876条の4第1項876条の9第1項の「審判をすることができる」です。何故、「開始の審判をしなければならない」、「法律行為は無効とする」、「監督人を選任しなければならない」、「代理権を付与する旨の審判をしなければならない」となっていないのか、違和感を覚えました。「することができる」というのは「する必要がなければしなくていい」ことになります。障がい者の大切な財産を守るための家庭裁判所の行為を定めたこれらの条文が、こんないい加減な表現でいいのかと思ったからです。そこで私は基本書とサブノートをひっくり返して制限行為能力者制度の冒頭のページを読み直したら、疑問が氷解しました。民法の制定者は意思能力、行為能力が問題なく備わっている社会人を前提として法律行為つまり契約は互いの意思表示のみで自由にできると規定しました。ということは、子どもやお年寄り、精神に障がいのある人は意思能力、行為能力に欠陥があるので、保護すべき必要性が反射的にでてきます。しかし、権利能力はどんな人でも持っています。国家権力といえども、これを制限することは許されません。当然ながら制限行為能力者であっても「ひと」ですから権利能力は制限されません。「ひと」であるがゆえに尊重するのを第一にして、必要に応じて国家権力が介入して保護をする。制限行為能力者にできるだけ任せる意味で「することができる」という表現になっているんだなと気付き、そう解釈しました。でなければ、これから説明しようとしている任意後見制度が理解できません。

任意後見制度は民法とは別に、特別法として「任意後見契約に関する法律」、「後見登記等に関する法律」に規定されていますが、今は深入りせずに制度の概観にとどめておきます。

後見、保佐、補助の三本柱からなる法定後見制度は本人が事理を弁識する能力が欠けるか、著しく不十分か、もしくは不十分になったときに、本人又は利害関係者の家庭裁判所への請求によって、はじめて機能するものでした。これに対して任意後見制度は本人の意思能力、行為能力がしっかりしているうちに、将来それらの能力に欠陥が生じて一人で社会生活を営めなくなったときを見越して生活、健康、財産を守る人(任意後見人)を本人があらかじめ指定しておき、本人と任意後見人が契約しておくというものです。これは後の債権編にでてくる概念なのであとで説明しますが、本人の意思能力、行為能力の欠陥発生を停止条件とする委任契約になります。この契約、つまり任意後見契約は公正証書の作成が要件とされ、契約内容が登記されます。法定後見制度との最大の違いは任意後見監督人の選任が必須要件となっていることです。法定後見制度では「監督人を選任することができる」という条文の表現でわかるように、当事者の任意事項でしたが、任意後見制度では任意後見監督人の選任がされなければ、任意後見契約は効力を持ちません。すなわち、本人と任意後見人が停止条件付委任契約を締結し、その旨を登記し、停止条件が成就したときに本人又は当事者が任意後見監督人の選任を家庭裁判所に請求し、それを受けて家庭裁判所が職権で選任して初めて契約が効力を持ちます。法定後見制度では代理人や後見人の権限濫用や越権行為といった不適切な行為を担保する手段が不十分なため、社会の要請に応じて現行民法の法定後見制度を補充する意味で特別法が制定され、任意後見監督人が任意後見人と国との間に立って本人の利益のために重要な役割を担っているのです。概して、任意後見制度は国家の介入は必要最小限に抑えられ、本人の意思がより尊重された制度といえます。


さて、いま私は、民法の森の中のどこにいるのでしょうか。
迷子にならないように、場所を確認します。
第1編「総則」第2章「人」第1節「権利能力」第2節「行為能力」という所にいます。また、深く関連する第4編「親族」第5章「後見」を見にでかけ、さらに寄り道して民法の森の外にある任意後見制度を覗いて帰ってきたところです。

次回からはいよいよ第1編「総則」の白眉たる第5章「法律行為」にわけ入ります。健常な人の意思表示は常に正しいとは限りません。また、代理とは..........。