子どもを産む前は
子どもを第一優先にする人って
自分の人生がなさそうでつまんなくないのかな
って思ってました。
「子どものために生きてる」みたいな人は
わたしとは違う価値観だな、と、別次元の人扱い。

わたしは
幸せを自家発電できる人でありたい。

いつもそう思って生きています。
自分の幸せを他人に依存したくない。
(もちろん大切な人がいることで、幸せが増えることはたくさんあるが)

逆もそうで、
わたしは誰かの幸せを背負って生きたくない。
「あなたがいるからわたしは幸せなの」
なんて誰かに言われた日には
負担で吐きそう。
実際、義理母にそのような態度をとられた産後、もともと不安定な時期なのもあり、わたしや孫への愛情の依存が受け止めきれなくて、こっそり吐いてました。

助け合わないという意味ではなく
家族であっても
それぞれの責任で
それぞれの人生を幸せにしたほうが
それぞれがみんな幸せなんじゃないかと思うんです。

だから、子どものためにわたしの人生を捧げることになるのはまっぴらごめんだと
出産はのばしにのばしていました。
子どもとの暮らしって
自己犠牲の上にしか成り立たないと思い込んでいたから。


でも、出産してはじめて気付いたのは
子どもとの毎日って
思ったより楽しいぞってことです。


ものには名前があり
そして、人には名前があり、呼び掛ければ返事をするんだと気づいた瞬間。
はじめてわたしをたーたんと呼んだとき
「たーたん?」「…たーたん…」「…はっ!」「たーたん!!!!」と娘の気付きがすべて声として漏れていて思わず笑った。
きみはなぜ今とつぜんわたしを「たーたん」だと認知したの?

風邪で食欲無さそうなときいつも食べるゼリーが大好物で、
ある朝起きたとき「ちゅうちゅう!ちゅうちゅうちょーだい!」と大騒ぎ。
なんのわがまま?と思ってあしらいながらルーティーンの検温をすると38度。
きみは体の具合がいつもと違うとわかって「病気のときのあれ」をねだっていたの?きみの中の記憶はいつからいつまで覚えているの?

イヤイヤがはじまり着替えを拒否。
何の気なしに
「かーさんこの服きてほしいんだけどなあ」とつぶやくと
「そうならば喜んで!」という具合にさっきまで放り投げた服をせっせと着て、得意気に目をきらりとさせるとき。
きみはいつから「たーたんが喜ぶならば」みたいな行動ができるようになってるの?それとも偶然?

きみのことがもっと知りたい。
わたし自身の好奇心がぐんぐん大きくなっていく。

仕事が大好きだったとき
わたしは毎日仕事で好奇心を満たされていきていました。
新しい発見の日々。

でも今は(10年仕事をして飽きてきたこともあり)
未知なる大自然ともいえる生命体を前に
自分の好奇心がおさえきれない。

あんなに仕事人間だった自分の変化に驚き
そして仕事より家庭を優先する人を小バカにしていた(すみません)身としては気恥ずかしくもあるのですが
仕事と生活のわくわくの優先順位が
入れ替わりつつあるということは
認めざるを得ません。

「子どものために生きる」と
「子どもとともに生きる」ってのは
またニュアンスがちがうんだなあと。

会社を辞めたいのは
子どもとの時間を増やしたいというのもひとつの理由だけど
子どもがかわいそうだから、とか
すべて子どものために手料理をつくってあげられるようないい親になりたいとか、
そういう気持ちは微塵もなく(重ねてすみません)
自分のわくわくアンテナに従った結果なのだとここに書き記しておきます。

会社をやめて後悔することがあっても
子どものせいだと
うっかり
勘違いすることのないように。