なんとも、伝わりにくそうなことをつれづれなるままに。お許しください。
学生の時、結構熱い仲間が"夢塾"?という名前かなんかで、夢を語る熱いイベントをやっていました。
仲間のことは、大好きだけど、その「人の夢を応援することが自分のやりたいこと」というのに若干?ハテナ?な私がいました。仲間が好きだからでも行きました。
でも心の中ではやや冷めた自分がいて、イヤイヤイヤ、応援って何よ、みたいな。自分が人生の主体者であるとすれば、なんだか脇役?サポーター?応援されなくても、高い志しを持っている人は実現するでしょう、そんな感じ。
応援という言葉が、やや偽善者っぽくて、なんであなたが私の夢応援してくれちゃうの?みたいな。
そんな私がなんで今コーチやってんだ!?(笑)
今思うのは、色々私勘違いしてましたw
まずは人の応援をするってことは
横からフレーフレーってやってるだけじゃないってこと。繋がりの強い人から応援されないと嬉しくもないし、鼓舞されないので、まず繋がりの深い人間関係を作るということ。
更には、初めから志し高くみんながズンズン進めるほど人間は強くないってこと。ドキドキしながら、やっぱり辞めようかなとか、進みすぎることが時に怖くなったり、失敗しながら進むんだってこと。だから、不安な中で進もうとする姿は美しいし、そんな姿を見せてもらうだけで、ビリビリくる。
まだある。
人の人生を応援するってことは、脇役やサポーターなんかじゃないってこと。
相手の本気に関わり共に歩んでいくからこそ、自分の生き方を問われ続ける。つまり、人の大事な決断の瞬間を聴けばきくほどに、自分も自分の人生の舵をきるということにコミットする。逆にコーチが鼓舞される。そういうことが、やっと最近わかってきた。
お母さんが子供に何かをしてやらなきゃ、守ってあげなきゃという感覚から、いやー、こんなドキドキとワクワクを一緒に体験させてくれて、ありがとう!私もあなたに恥ずかしくないような人生を歩むわ。
そんな感じ(笑)