週末、母と「聴き書き自分史」を創るということを生業にしている人の話をしました。
実は、母は自分の父親が他界した後に、おじいちゃんが残したフロッピーディスクから、「父のつぶやき」という自分史を作りました。それを親戚、関係者に残しました。私は当時母と一緒に住んでいなかったこともあり、内容を見たことがありませんでした。
今回、母が改めて、出してきてくれて、パラパラとめくりました。
最後の言葉が印象的で、涙が溢れたためそこにいられませんでした。
「父の死は、大きく悲しいことだけれど、子供が大好きで、ものすごいチャレンジをさせてくれたことや、これだけ多くの人に惜しまれて、影響を与えて亡くなったということが、私の誇りです。」
言葉は違うと思うけれど、こんな内容で締めくくられていました。
母は自分の父を看取り、実母との向き合い方を感じています。私は、それをできるだけ応援したいと思っています。
母方の祖母80歳。
私が仕事が休みの連休になると
母は関西の祖母に会いに行きます。
介護が必要な程ではないけれど、色々なことができなくなっていく年頃。
祖母は、そんな自分に不安でしょうがないみたいです。
一方、父方の祖母84歳くらい?
認知症がかなり進んでいます。
もう、どこで誰と何をしていても1分後には分かりません。
私は母に聞きました。
「おばあちゃんが亡くなっても、こういう自分史を作りたいと思う?」
答えは、
「No」でした。
おばあちゃんは、自分の思いを文字に落とす習慣がないし、脈絡がないことばかり思い出す。でも、大切なことでも、ポーンと忘れてしまっているから無理よ、と。
そして、私は思いました。
認知症になったり、記憶を辿りたいと思っても叶わない時がくるかもしれない。
おばあちゃんができないのではなく、家族が一緒に紐解いてやればいい。
書くことが苦手なおばあちゃんだからこそ、語ってもらいたい。
ワタシ、おばあちゃんの自分史作れないかな。私も、おばあちゃんの人生もっと知りたいし、おばあちゃんの人生認知したい。不安になることばかりに時間を使うのではなく、充分に満たされて見送れたらいいな。
私の命の使い方、まず一番身近な人に何ができるか、やってみたいと思いました。