●それでも埋まらない。いや、埋まらないどころか、埋まらない事実がわかり、深く絶望する…
自分の価値を自分で認められない、
自分を肯定することができない、
自分を常にダメな人間だと感じてしまう 、
自分批判、自意識過剰、劣等感などの暴走が止まらない…
生きている。けれども、言葉に言い表し難い生きづらさを抱えて、生きている。
もともと備わっているはずの盤石な尊厳がこの世に生を得た瞬間から削られ続けていくと、我々はやがて、人生に生きづらさを感じるようになります。
そして多くの場合、場当たり的にその感覚を感じず楽しようと、何かで穴埋めしたくなる。そのような物理的な「便利さ」はあらゆるところに、たくさんあります。
たとえば、言葉に言い表し難い生きづらさ、その解決法として仕事(対外的なもの)へ向かうこともあります。
仕事で猛烈に結果を出して、たくさんお金を稼ぎ、成功する。
我々はそうした人たちに対して、自分の見たい部分に寄せて、その人を判断しがちです。
けれども、実はそうした人たちこそ、逆に我々の見えない部分で、情報空間で、死ぬほどもがき、のたうちまわり、晴れない闇の中で苦しんでいるのかもしれません。
人の何倍も頑張れば、努力すれば、そして成功すれば、きっと埋まるはずだと思っていた、言葉に言い表し難い生きづらさ。
けれども、それでも埋まらない。いや、埋まらないどころか、埋まらない事実がわかり、深く絶望する…
得体の知れない不安や恐れ、緊張に、心が歪み、身体が歪み、闇があらゆる身体の「病み」となって表面化していきます。
我々はもっと心身をリラックスさせた状態で、自分のコンフォートゾーン(居心地のいい空間)の中で、自分らしく振る舞い、十分に楽しく、自他にも機能していくことができるはずです。
尊厳という概念にもう一度立ち返ることができるのならば、、、