●自分はそうじゃないと生き方、在り方、人生の方向性を決めた途端、これまで見えなかった世界もまた、観えてくるようになります!
資本主義下での競争は誰も幸せにしないと言ったのは確か、ピーターティールの「ゼロ・トゥ・ワン」に書かれていたことでした。
競争世界で生きている我々はいつも優劣、劣等感に晒され、過呼吸になり、心身を酷使してきました。
そんな自分、自分が生きてきた世界に気づいて、俺はそうじゃないと生き方、在り方、人生の方向性を
決めた途端、これまで見えなかった世界もまた、観えてくるようになります。
本来、楽しさや喜びは自分の内にあるものだからこそ、本当に感動する。自分が動くからこそ、そこに身体を通じた深い味わいを感じる。
本当は我々は傍観者でいるよりも、自分の人生に直接関わる当事者として生きていたいと思う。
けれども、それがなかなかできないのは、そこにリスクが生じるから。
資本主義は我々の脳に損得勘定、リスク回避を強化しました。その結果、我々は与り知らないレベルで、人生の当事者であることさえもリスクと捉えて、それを手放してしまっているようです。
トラウマ、愛着問題という呪縛に取り憑かれ、奴隷に与した人生に疲れ、真の喜び、真の楽しさから遠ざかり、自分の好きなことやwant toからも遠ざかり、生きる根本的な意欲さえ持てなくなってしまってしまう。
逆に尊厳が回復していくと、俺はそうじゃないと、自分で自分に対してちゃんと承認することができるようになる。
身体でいえば、クンダリーニが立ち上がる。身体の奥底から生命が息吹いてくるような感覚。
自分らしくあるというその気持ちよさそれだけで、新しい人生をクリエイトしていきたくなる。
進める方向は前だけじゃなく、後も右も左もあり、斜めの方向もあり、上や下まであることに気づく。
生きる可能性、人生の可能性は、我々の捉え方次第でいくらでも広がっていきますよ!