●尊厳の欠損とその背後に横たわる資本主義
自分は生きるに値する、自分は存在しているだけで無条件に価値がある、
そう思いたい、けれども、そう思えない…
言語化できない苦しさ、
心は打ちひしがれ、その苦しみに到底耐えきれないためにわかりやすい何かで間に合わせてその穴埋めをしたくなってしまう。
人類が人類のために初めた資本主義は物質的な豊かさを実現しましたが、その空間で長い間暮らし続けていた我々人間はいつしか、人と物を同化して観るようになってしまった気もします。
たとえば、愛情が他の何かと差し替えられてきてしまってはいないだろうか?
資本主義が善い悪いの話ではなく、その選択を採用したことで思いもよらない弊害が、まるでボディーブローのように効き始めて来ている…
家庭で、社会で、世界で、心の争い、身体の争い、戦争や紛争が起こっているその根本的な原因は尊厳の欠損ではないかなと。
「幼少期に尊厳を持って扱われなかったことで、私たちの多くが自分の生まれ持った価値とのつながりを失っています。子どものころに世話してくれた人たちが、尊厳を尊重することの重要性や、尊厳を尊重しなかった場合の後遺症についての知識を持ち合わせていなかったためです」
(「DIGNITY」ドナ・ヒックス著より引用)
尊厳が人生の土台であり、庭の土壌だと喩えるなら、人類は本質を一足跳びに飛び越え、拡大・成長して来てしまったのかもしれない、そう感じています。
俺は聖人君主ではないし、適度にフザけた奴で、一児の父ですが(笑)、身を持って尊厳の欠損から生じる様々な苦痛を感じてきた一人としてやはり、このテーマはかなり重要。
ということで、尊厳をお題にした動画レクチャーを現在、設計中です♪