●心の中の闇、牢獄(即興で書きます)
大きなキャンバスに描く、身体で描く、身体で表現する。
そんな衝動が湧いては収まる状態がここ半年くらい続いていた。
身体の奥底から青い炎が湧き立っていた。
その炎は長い間、体感を伴いながら、そこで燃え続けていた。
同じ頃、感覚という言葉が、無意識から何度も浮かんでは消えていた。
起床してすぐ、その場で思いついたこと、見えたことをなんでも書くゴールノート。
そこには何度も書かれていたのは「巨大キャンバス」。
けれども、そこに音はなかった。
闇の中で、煌々と燃える青い炎、俺の無意識がその音を探していた。
そういう風にして、情報空間で巨大キャンバスへの衝動を焦らし、ひたすら呼吸で身体を緩めていた。
闇に光が射し始める。内省が潜んだ生命力を呼び起こす。
不協和音を響かせ始める。
湧き立つ炎は温存された憎しみであり、怒りであり、「世間」という常識からすれば敵のような、反社会的な、狂気的な音を響かせる、世界最大の承認欲求だった。
尊厳を削り取られるとは感情や感覚を奪われる。自己を喪失させる。
死んだように生きる…
心の中の闇は晴れず、なぜ晴れないのかも内省しない限り、全く見えず…
成長、可能性をあきらめる生き方は、まるで牢獄で生きているような感じだ。
高校生のとき出会った曲に、自分の身体が揺れ動いたのには理由がある。
没入した曲。
当時の俺たちは純粋に音を楽しんでいたつもりでいたが、無意識のレベル下では行き場のない憎しみ、怒りを抑え込んでいたのかもしれない。
自分を取り戻したかったのかもしれない。
音は、俺たちの心の奥底にある感情を外部化したものだった。
自分たちの親たちがそうであったように、俺たち自身が親や世間に従順な他人を演じきっていたのだ。
その当時、衝動的に描いた一枚の絵は、自分の両手の中にある、飛び立とうとしている何かだった。
これまでの自分を破壊し、再生する。
ゲシュタルトを破壊し、粉々に飛び散った後、散らばった塵は再び統合され、そこに新しい生命が宿る。
自分のブリーフ(価値観、自我)が変わり、選択と行動が変わり、世界の見え方が変わり、可能性を開くためのの探索が広がっていく。