●ああ、だからか!…
心の奥底に隠蔽してしまっている様々な感情(情報)に気づくことができると、マインドや身体を現状に縛り付け、ゴールへの移動を邪魔をしている障害や制限が外れていきます。
人生の可能性を追求していくことに対して、氣が高まっていきます。
たとえば、俺は怒りよりも強い、根深い憎しみが心の奥底に横たわっていたことに気づいた瞬間があります。
その感情が自分の選択や行動を縛るアルゴリズムとして機能していることで、人生の様々な可能性を悉く潰していたことに驚きました。
ああ、だからか!
過去を振り返ってみたとき、それは非常に納得できるものでした。
そして実は、この鬱屈した感情が自分を生かしてきた原動力になっていたかもしれないとも。
心と身体の書き換えは非常に泥臭く、生々しく、露骨で、ときに残酷な局面と対峙します。
自分は相当に歪んだ環境で育ってきた人間だと分析しています。
子が最初に知る人、大人、それは親…
子が最初に接する社会や世界、それは家庭…
親のマインド、家庭のあり方が歪んでいると、そこで育つ子はどうなるのか。
果たしてその子は人、大人、社会、世界をどのような見方で捉えるようになるのか。
たとえば支配的な親、緊張した雰囲気のある家庭で育つ子はその後、いい子ちゃんを演じるようになるか、そうでなければ支配に反発してグレ出すか。
けれども、どちらの方向へ進んでも、何年経っても(自分の内部表現を観ない限り)、その人の情報空間は依然として親の支配下に乗っ取られたまま。
他人の人生を自分の人生と思い込んで生きていくことになるでしょう。
最も怖いことは、自分が仲介者となり、我々の子たち、さらにその先の世代に渡って、この負の遺産を引き継いでいく可能性が極めて高いということ。
我々の与り知らないところで、こんなクソみたいなことが当たり前に起こっている。
それが、この世界の日常です。
子のことを大切に考えたいなら、周りの人たちのことを大切に考えたいなら、まずは自分を慈しみ、書き換えていくということですね。
自分を呪っているものの書き換えが進み出せば、楽しそうな身体に変わっていきます。
幼な子のごとく…