●自分が自分のものであること、主体と感覚を取り戻すためにセルフで試せる肋骨へのアプローチ
トラウマのコアに当たるのが、自己喪失です。
トラウマを負うと、気づかないうちに、自分が自分のものであるという感覚が失われていってしまいます(これは主体が奪われていくこととほぼイコールです)
「主体が失われる要因はいくつかあります。その一つは、愛着不安に関係するものです。発達段階でトラウマを負ったことによって、愛着を基盤とする自我の形成がうまくいきません。自我が育つためには適切な関係、特に養育者との安定した関係が必要です。しかし、そうした関係が得られなかったために自我も不安定な状態にあります」
(みきいちたろう著 発達性トラウマ「生きづらさの正体」より引用)
自分が自分のものであるという感覚、、、
自分で自分の生き方を決めていく主体、、、
そうしたものを自分で取り戻していく身体へのアプローチ。
たとえば、自分の両手を使い、自分で自分の身体を感じてみるのは簡単なのでとてもいいと思います。
具体的には、左右の肋骨(厳密には前鋸筋です)あたりに自分の手を優しく当ててみる。
いま自分は、自分で自分の肋骨を癒しているという意識を持ちながら、自分の手の温もりで優しく癒している、手当てしている、自分を愛ているといった感じです。
さらにそこから、両手を肋骨に当てたまま呼吸してみる。ゆっくりとゆっくりと、深く丁寧に呼吸してみる。
子供のころの自分や子供たちが今も昔も大喜びしてしまう普遍的な遊びがあります。
我々はその感覚を身体に薄らと記憶しています。
それは、高い高い。
肋骨を癒すというのは、まさにこのイメージです。
この高い高いという遊びはかなり大切。
子という小さな存在が親という大きな存在の手によって、安定、安心を伴って高く抱き抱えられていくこの遊びは子と養育者の安定した関係を育んでくれます。
この遊びはまた、子供にとっては、新しい視点、見える領域の変化にも通じていきます(なので、それはすごく新しいもので、子供には楽しい)。
安心、安定、安全という盤石な土台を作るこの肋骨(前鋸筋)へのアプローチが子の(そして我々の)セルフエスティーム(=尊厳)を育くんでくれます。
我々にとっても、自分で自分の存在に対して、なんかいいよね〜って感じで自然に評価していけるようになるので、ゴールに向けて、焦らず、気張らず、試行錯誤を楽しみながら取り組んでいけるようになりますね。
これまで自分を責めることを多く経験してきた我々は、気づかないうちに、自分が自分のものであるという感覚を感じづらい状態のまま生きていることが多く、またその生き方が自分にとって普通の感覚になっています。
それでたとえば、強迫観念で無理に動いてしまったり、自分の本音を抑圧して生きていることも多く、我慢、辛抱、抑圧で身体が気づかないレベルで固くなっていることも多い。
過呼吸、意識と身体の分断、他者との境界の曖昧さといった悩ましさも生まれます。
なのでまず、こうした癒しを活用して、自分が自分のものであるという感覚を少しずつ取り戻していく。
無理なく、ゆっくりと楽しみながら、、、
しばらくつづけていると、ものの考え方、感じ方、他者との付き合い方などにおいて、これまでには感じられなかったしなやかさ、柔らかさ、広がりといったポジティブな変化が感じられてきますよ。