●それを奇跡と捉える人もいる
国籍、人種、性別などに関係なく、人類全体がトラウマという根深い記憶を抱えている、PTSDを発症して苦しんでいる。
そこから見えてくるのは、不安や恐怖に押さえつけられた心、主体も感覚も掻っ攫われてしまった身体。
長い間、小さな箱に押し込められていた我々は息が詰まり、今にも窒息しそうだ。
心と身体はもがき苦しんでいる。
聖体(整体)は誤った情報を書き換え、すっかりと仮そめを剥がし、ゴールのために過去をゆっくりと洗い流す
自責、束縛ですっかり潤いをなくしてしまった我々の心と身体はカラカラだ。
本当の恵みに飢えている。
それじゃあ、その恵みとは一体なんだろう。
それは痛み、苦しみ、悲しみ、淋しさといった経験から自然と湧き起こる自分への思いやり。
本当に遠く遠く離れていってしまった自分の身体にもう一度、思いやりの手を差し伸べてみたい。
身体について気を配ることはすごく大切だけれど、深部に刻印されてしまっているトラウマ自体に気を向けるのは、自分が変わるための根本的な癒し(書き換え)だから、さらに重要だ。
過去に負ったトラウマは我々の身体に記憶として深く刻まれている(参考書籍はこちら)。
見えない糸で、我々の生き方、人生をコントロールする。
国籍、人種、性別などに関係なく、人類全体がトラウマという根深い記憶を抱えている、PTSDを発症して苦しんでいる。
我々一人ひとりにある可能性が開くことを邪魔しているものは、自分と本気で向き合うことでしか見えてこない。
何が見えてくるのか。
それは記憶。記憶という情報。
情報が書き込まれている(突き刺さっている)我々の身体は、少なくてもその一部か、それとも複数の部位か、もしくは全体に機能不全を引き起こしてしまっている。
聖体(整体)は誤った情報を書き換え、すっかりと仮そめを剥がし、ゴールのために過去をゆっくりと洗い流す
心と身体を解放する。
身体を癒していくと、癒した後に、必ず変化がおとずれる。場合によってそれを奇跡と捉える人もいる。
身体は自然であり、その自然は中立であり、不思議な存在であり、平等に可能性を開く「奇跡」を秘めている。