まず、記事の要点から
最初にお伝えしますが、
あなたのために・・・は、
結局、自分のためである
と言う認識が必要
それはなぜかと言いますと、
精神衛生上、とてもいいからです。
最初は、誰かに何かをしてあげることは、
喜ばれたり、感謝されたりなどして
承認欲求が満たされますので、
気持ちがいいものです。
しかし、長くは続かないのです。
そのあと、他人のためばかりに
動いていることに疲弊するのです。
または、気分よく他人のために
何かをしている人々は、
自分のため、という認識がないために、
「あなたのためにやってあげている」
と思い込んでいるのです。
私が嫌いな言葉の中に、
「あなたのために言うわね」とか
「あなたのためにやったのに」とか
「あなたのために私は頑張る」
などの「あなたのため…」という
何とも押し付けがましい言葉で
相手に伝えること。
「あなたの幸せのために頑張ります!」
と個人的に思ったり、もしかして
個人的に伝えることはあるかも
しれませんが、それを声高らかに
公言している人を見ますと、
偽善者にしか見えません。
(あら?性格悪い?笑)
もちろん、人間、誰かのために
頑張ったり、努力したり、
何かをしたり、しなかったり
利他的な気持ちが湧き上がる
ことは当然あります。
脳には、誰かのために
何かをしてあげた時に、
報酬系の部位が反応することから
何かいいことを誰かにやって
あげることはうれしくなるのも
わかります。
しかし、それはやってあげたい、という
自分の欲望を満たしていることを知ると、
相手からの見返りがなくても
何とも思わないものです。
私は若い時は、
誰かのために頑張ってきました。
それは自分のため、と思った
ことがなかったので、どんどん
疲弊していきました。
誰かのために頑張っていたら
その誰かさんたちは、
私をどんどん利用するように
なってきましたし、それが
継続的に行われると、
当たり前のようにもなってきました。
そうなりますと、
私はこう思ったのです。
「あなたのために頑張ってきたのに、
私は報われないし、当たり前に
思われている」…と、歪んだ気持ちに
なっていったのです。
しかし、視点を変えて、
それらは自分のためにやっている、
と思うようにしました。
誰かに何かをした時も、
それを「やってあげたい」という
自分の欲望を満たしているのだから、
それは、自分のためだ、という
認識が生まれたのです。
自分のためですから、
他人に何かをする時も、
無理もしなくなりました。
やりたくない時は、断れますし、
心からやりたいと湧き上がった
気持ちの時だけやるのです。
だって、自分優先ですから。
そして今は、コーチングベースで
生きていますので、基本、私は
他人様にアドバイスはしません。
聞かれたらしますが、
聞かれてもしない時があります。
そこに答えを求める依存があるときです。
質問されたら質問で返して
その人の内側から答えを出すことを
しますが、「あなたのために
アドバイスする」という
ポジションにいません。
子供のために頑張るお母さんは、
頑張りたいという、自分の欲望を
満たすために頑張っています。
夫のためにがんばります!と
思う気持ちも、夫のために
がんばりたい!という自分の
欲望を満たしています。
スタッフのためにがんばります!
国民のために・・・
従業員のために・・・
読者のために・・・
クライアントのために・・・
全部自分の欲求を満たすためなので、
パワーもありますし、
相手の喜ぶ顔が見ることができたら
それは大きな大きなオマケですし、
感謝をいただくのもオマケです。
たとえオマケがなくても、
自分のためにやっていることなので
それもまた喜びです。
ということで、
全ては自分のためにやっている、
という感覚は、他の人のために
やるときも、自分を大切にしつつも、
ブーブー言いながらやるのではなくて、
心から動きたい時に動けるので、
心地がいいものです。
それではまた明日。