ここ二、三年は、時空の歪みでも

あったの?というくらい

あっという間に、過ぎ去っています。

 

 

その間も苦しいことも、

大きな歓びもたくさんありまして、

私は、健全な形で母の死を

受け止められています。


 

昨日は、母の三回忌でした。

親の死を恐れている人は多いので、

少しでもその恐怖心が和らげば、

という思いで、学びがあった度に

書きしたしたためています。

 

 

子供の頃から恐怖だった母の死…

…の割には、仕事の忙しさに

助けられている、という

感じでしょうか?

 

 

そして、死が身近なもので

自然のものとさえ思えてきます。

私も、刻々とそこに向かっています。

 

 

しかし、肉体としての存在がない、

というのはホントに寂しいことでして、

思い出しては時々、ストレスと共に

涙を流しています。そしてスッキリ。

 

 

先日の記事でも書きましたが、

愛する人やペットを亡くした場合

について書きましたが、

 

 

心が痛い時の

最大の薬は時間

痛み止めは忙しさ

 

 

なかなか言えない悲しさと辛さを抱えているあなたへ

 

 

時間が経てば経つほど、

寂しさが増すこともありますが、

あの失った時の喪失感よりは

私はずっといいです。

 

 

そして、失う前が一番怖い。

生きるか死ぬか?

いや、死なないで…

 

 

…という執着とも言えるような

祈りよりももっと強い祈り、

祈願を捧げる毎日。

それもまた恐怖が毎日つきまとい、

そして、毎日車で往復2時間かけて、

仕事をしながら病院通い…

疲れきりました。

 

 

今日は法事の帰りに、

幼馴染のお父さんが他界された、

ということでお線香を上げに

行ってきました。

 

 

香典を書くときに、

失礼があってはいけないと思い、

いろいろと調べるのですが、

日本のしきたりは、なんて美しいのだろう?

と改めて思うのでした。

 

 

よく言われていることとして、

お通夜やお葬式には、

不祝儀袋に入れるときには、

新札を入れない、というマナーが

ありますが、それは、

事前に用意していたような印象を

避けるためのようですが、

ぼろぼろであってはいけないので、

新札を一折して入れる、

などの心遣いがお金の入れ方にも

現れています。

 

 

また、不祝儀袋の正面に

自分の名前を書くわけですが、

お通夜と葬式に持っていく袋には、

「薄墨」書く、というマナーがありますが、

それは、薄墨は故人に対して悲しみを表す

というもの。

 

 

小さなことではありますが、

翌々考えますと、

なんて美しいのだろうと、

日本のしきたりに感動するのです。

 

 

お通夜、初七日、四十九日の法要、

百箇日法要、一周忌、三回忌、

七回忌、十三回忌…

 

 

…のように、人が1人亡くなりますと、

そんなに法要をするのですが、

昔なら、なんて数が多くて

面倒なのだ…と思いましたが、

母が亡くなることで、この段階が

必要である、ということが

身にしみました。

 

 

そうやって、人は段階的に

心の整理をつけながら、

故人を思い出し、懐かしみ、

その気持ちが供養になるのだな、と。

 

 

お坊さんのお経の間、

走馬灯のように、母の膵臓ガンが

発覚してから亡くなるまでのことが

まるで映画でも見ているかのように

流れていきました。

 

 

法事の後は、幼馴染のお父様が

亡くなられたので、お線香を上げに。

家には彼女のお母さんしか

居なかったので、すぐに帰りましたが、

私が車で帰る時、車が見えなく

なるまで、彼女のお母さんが

外に出て見送ってくださっている

その姿を自分の母と重ねて

見ていました。

 

 

そのあと、幼馴染から夜電話が入り、

「母が ”車に男性が乗っていたから、

挨拶しようと思ったけど、

下まで降りると転びそうだったから

やめといたわ” って言ってたよ」

と言われました。

 

 

お母さん、あのね、

私の車には誰も乗っていないよー。

私、1人で行ったんだよー。

それ、こわいよー 笑

 

 

やっと自分のマンションに到着し、

駐車場に車を止め、

車を出ようとしましたら、

私のお母さんが車に乗っていました。

 

 

どういうことかと言うと、

母の位牌が車にありました。

 

 

 

 

慌てて、お墓参りのときに、

私の車に入れてしまっていたのを

実家に置いてくるのを忘れたようです。

彼女のお母さんが、男性が

車に乗っているように見えたのは、

うちの母だったのかな?

 

 

嗚呼…オカルト 笑

 

 

母は私のマンションに

来たかったのかな…なんて

適当な意味付けをしましたが、

法事のときに、景気づけに

一緒に子供の頃に母と習っていた

母の好きな民謡でも歌えばよかったかな、

と思いだして、家に戻ってから

位牌の前で供養がてら歌いました。

母の好きな民謡です。

南部俵積み唄

 

 

歌っているうちに、子供の頃、

毎週、水曜だったか木曜の夜に

母と一緒に手をつないで

民謡を習いに行った記憶を

薄っすらと思い出し、

涙ダーダー流しながら

歌いましたが、これまた

いい供養になったかなと。

 

 

そんな母の死から2年が経ち、

そして、私も毎日毎日

母と会える日が近づいているのだな、

と思いながら、生活しています。

 

 

親の死は、亡くなる前が

一番恐怖ですが、もし

恐怖と思っている方がいらっしゃれば、

大丈夫ですよ、と言いたいです。

 

 

寂しいけれど、

それはごく自然のこと。

順番が逆にならないことは

いいことなのです。

 

 

 

 

母を見送ったあの日も、

イチョウの葉が落ちてて、

そして、空は真っ青でした。

良い秋晴れの日に、また

母をみんなで思い出し、

面倒くさいと思っていても、

親戚に会えるいい機会なのだな、

と実感しました。

 

 

今回の三回忌、最初から最後まで

すべて82歳の爺(父)が

たった1人で準備しました。

 

 

お寺さんに予約して、

食事する場所を探して、

冠婚葬祭の場所はどこも予約が取れず、

それでも探して、予約して、

法要のいくつかの引き出物も、

案内状の印刷も、印刷屋に依頼に行き、

なぜか大型台風の夜中に切手を

買いに行き、ポストイン。笑

 

 

父、1人でがんばりました。

えらいな、と心から思います。

確執があった仲ではありますが、

どこか灰汁が抜けた顔立ちに

なったものだとしみじみ思います。