自分は贅沢だ。

恵まれているのにないものばかりねだる。

何不自由なく生活しているのに残りの穴を埋めたいと願う。

無駄遣いしているのに倹約している気になっている。

お金があるのに貧しく振る舞う。

物質的に満たされているのに精神的にも充実したいと思っている。

仕事があるのに大した理由なく転職を考える。

嘆く状況にないのに哀れな自分を演じる。

可能性があるのに平気でそれを捨てる。

時間があるのにただ過ごしている。

考えることができるのになにも考えず生きている。

能力があるのに才能を求めている。

努力もしないのに成果ばかり求める。

沢山持っているのに人に分けることもしない。

泣く必要もないのに泣こうとしたり、泣けない自分を哀れむ。

何かしたいのに何もできないと思いこもうとしている。

それは謙遜でも向上心でもありはしない。

やはりただの贅沢だ。
「老い」とは酸化ではないだろうか?

科学は苦手だけど、そう思ったことがある。

何故なら、「時」には直接的な影響を感じなかったから。

時間軸にある三次元内の何かが自分に「老い」を強要し続けていると考えるのが理解しやすい。

その時目に留まったのが「酸素」だった。

機械は使えば使うほど、摩耗していく。

たぶん、我々の外部も内部も使用頻度により老いていくのかもしれないと仮定した。

我々の機能や活動は酸素により維持される。

よって、時の経過とともに我々は錆びていっているのではないかと考えた。

錆びていく自分を想像して、それでもいいやと思った。
「我々」と「彼ら」の違いは何か?

我々が「彼ら」と呼ぶ彼らは何故「我々」から切り離されたのか?

それは、我々が必ず優良でなくてはならないからである。

暴力は振るわない。

人の物を盗まない。

法律を守る。

多くの制約下においても、勤労を旨として日々を健全に過ごす優良な市民が我々である。

彼らは一線を自ら越えたのか?
それとも、線を引かれたのか?

どちらでもいいが、その線は歪で複雑であろう。

「彼ら」と「我々」の違いは何か?

そんなものは存在しない。
ただ一方的に我々がそう呼んでいるだけだと思った。