服薬記録
・デパス0.5mg 9時半と15時半(1mg/日)
・セルシン減薬中
1.55mgを11時と23時(3.1mg/日)
一日中薄っすら麻酔状態 笑
眠気は無し
体調は変わらず。痛みが強く、倦怠感が強め。
精神症状は抑うつ傾向が続く。
以下、個人的な備忘録。
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生きているといろんなことが起きる。
勝手に降りかかってくる。
「人生の9割は苦しく、楽しいのは1割」
かの大石静さんの言葉。
そんなことを本能レベルで知っていたから、子供の頃から私は多くのことを求めることはない。
たった一つの欲しいものが手に入るなら後は全て犠牲にするし、そういうものだと思ってきた。
子供の頃からのたった一つの欲しいものは
「居場所」
安心できる「居場所」を確保するために、場所を変え、人を変え、必死で生きてきた。
「居場所への希求」は後の人生に長く続くことになり、人生の冬の時期を迎え、最近やっと楽になりつつある。
これは決して悲観的な意見ではなく、現実的な話だと思っている。
だから、あれもこれも欲しいというのはおこがましいと思ってきたし、思い上がった浅ましい考えだとも思う。
もし、自分の器以上のものを手に入れ、不遜になり、それに見合う器を育てる努力を怠ったら、後で必ず回収される。
回収されるのは、本人からとは限らず、近しい存在や家族の場合もある。これは私の中でかなり整合性の高い人生の学びだ。
発病して45年。苦しいあまり、スピリチュアルに傾倒しかかったこともある。
耳障りのいい言葉は、大枚を稼ぐスピリチュアルリーダーが、人生がうまくいっていない人(健康問題、人間関係、ルッキズム、その他自信のない人たち)向けのポジショントークなんだろう。
そのスピリチュアルからの洗脳を解く高額隙間産業もくぐり抜けてきた 笑
結局は共存共栄の仕組みになっている。
この世から荒唐無稽な信仰商売が無くならないのは、人生の9割の苦しみを他力で乗り越えたい人が確実に存在し続けるからだ。
自分で考えずに誰かや体系だった何かに答えを聞く方が楽だから。自分のことをイケてるねって他人にはっきり認めてもらわないと不安だから。
*
私の昔の写真は笑ってない。
笑顔のものがない。
「足るを知る」
「ゆるす」
これも度合いと相手や環境によるんだろう。
それでもたった一つの大切なものを手に入れるために、自分の感情を捨ててきたことは私にとって唯一の生存戦略だった。
命を落とすようなことがあってもちゃんと怒れないのは、居場所を失いたくないからだ。
何より誰からも核の部分を理解されずにきたことは辛かった。今は「人間ってそんなものかもしれない」と思えるように。
何を言うかは知性を表し
何を言わないかは品性を表し
どう伝え、どう行動するかは人間としての器を表す
言い得て妙だ。