長崎原爆忌。

 

戦後70年の2015年に長崎に行ったときに、「エール!」のモデル、古関裕而さんが作曲、サトウハチローが作詞した「長崎の鐘」について知りました。

 

私は佐藤愛子さんのファンで、『愛子』を読んで佐藤愛子さんが佐藤紅緑の愛娘であり、サトウハチローは異母兄であることを知ったのですが、

 

不良少年だったサトウハチローがやがて「小さな秋」のような胸にしみる作詞をするので人生ってわからない。サトウハチローの弟・節は広島の原爆で命を落としています。このことが「長崎の鐘」の作詞を引き受けることに向かわせたのだろうと思います。

 

「長崎の鐘」は永井隆さんの本から歌謡曲、映画にもなっています。

 

『長崎の鐘』(ながさきのかね)は、永井隆が執筆した随筆。 内容は、長崎医科大学(現長崎大学医学部)助教授だった永井が原爆爆心地に近い同大学で被爆した時の状況と、右側頭動脈切断の重症を負いながら被爆者の救護活動に当たる様を記録したもの。

(Wikipedia)

 

 

長崎の鐘 サトウハチロー 長崎 天守公園 8/11 (2015年)

 

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成田亨展と長崎原爆、浦上天主堂 (2015年9月11日)

 

※この記事の中で浦上天主堂を大浦天主堂と何度か書き間違えていて申し訳ないです…

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(爆心地0地点に移設された浦上天主堂遺構)

 

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(成田亨さんの浦上天主堂爆破の特撮プラン)

 

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青森県立美術館で「成田亨展」があったときに、永井隆さんの「この子を残して」の映像資料も展示されていて、長崎に行ったときにある資料館で永井隆博士の本がコーナーを設けて売られていたので、数冊買ってきたのですが、

 

子どもの頃、「ウルトラシリーズ」に夢中だった世代の私には、成田亨さんと戦争、空襲体験、映画というつながりが意外でした。

 

「ゴジラ」も原子力爆弾につながる映画ですが、いちばん最初のゴジラに当時武蔵野美術大学で彫刻を学んでいた学生だった成田亨さんも参加していたということも興味深い。

 

そしてこのブログを書いているいま知ったのですが、

 

『夏の花』で知られる原民喜さんにも『長崎の鐘』があったのでした。「長崎の鐘」で検索して知ったのですが。

原民喜さんはご存じのように広島で被爆しています。

どのような「長崎の鐘」を書かれたのか気になります。

 

永井隆さん、原民喜さん、おふたりの「長崎の鐘」はともに「青空文庫」に入っています。

 

伊福部昭と佐藤忠良が北海道の少年時代に美術部で友達だったことや佐藤忠良がシベリア抑留を体験していることなど、私が子どもの頃体験していたさまざまな文化-本やマンガやテレビや音楽ーをつくった大人たちはみな、戦争を体験していたということを考えます。