こんにちは!

きょうはひさびさにドライブだったのですが、

出かけた先はこちら。

 

JR釜石線晴山駅前、晴山倉庫FineArt。

途中にあるこの看板がまたいい。

 

晴山駅は無人駅ですが、このたたずまいの可愛らしさ。

そして私が目指してきた晴山倉庫はこの駅直結といっていいくらいすぐのところにあります。

 

この場所にきたのは4年ぶりです。

 

よかったらこちらもごらんくださいませ~。

 

森のしずく 長谷川誠作品展@晴山倉庫 (2014年9月14日)

長谷川誠展 起伏ある風景へ (10/2) ギャラリー 彩園子Ⅰ・Ⅱ (2015年10月2日)

長谷川誠 凍土展♡Cyg 〜11/19 (2017年10月23日)

森のしずく、では倉庫の中は神の宿っているような、大きな杉の木が生えていました。人気のない神社をあるくのがすきですが、その感じにも似ていた気がします。その時は自分が感じていたことにぴったりする言葉がみつからなかったのですが、4年経って、ああこうだったなと思いました。

 

ということで今回もまた何年かしたら、あの時思っていたのはこういうことだった、と思いあたるかもしれない。

 

こちらが会場入り口です。

入り口を固めてある白い漆喰は、農家の倉庫として使っていた頃、虫害から農作物を守るための目張りだったそうです。私はそこも含めて作品のはじまりだと思っていました。4年ぶりに解ける誤解。

入るとそこに雪山が聳えている、というか、雪山の頂をみあげてしまう。

 

作者である長谷川誠さんがつくった木製の手すり付きの階段があって、そこにあがって向こう側を撮りました。

 

岩手県立美術館で2016年の秋に開催された、「2016年のIMA展」で長谷川さんの「森のしずく」(2014年の再現)とともに、今回の「辿りつかない峰」の山の6合目から頂き部分にあたる作品も発表されていたのですが、

 

美術館ではたとえはおかしいかもしれませんが、昔の家によくあった布団部屋につめこまれた布団のような、みっちり感がありました。

今回は5合目から裾野までと、横幅も広くなってこの晴山倉庫でしか表現できない雪山が出現したのでした。

 

頂きの奥の方は雪山独特の、雪が凍って内側から透けている感じがあるのですが、手前はまだ固まって日の浅い雪の真っ白い感じ(この言い方で雪の質感の違いが伝えられているのか心許ないのですが)があって、

波打っています。向こうからのライトで照らし出され、ツララもまるでほんもののツララのようです。

(近寄ってよくみるともちろんツララではないのですが)

 

 

この雪山が紙、しかもなにか特別な和紙などではなく、ボール紙でできていて、雪独特の切り立ったエッジがなにによってできているのか、長谷川さんにお聞きしつつ、自分の目で確かめていくとかるい眩暈に襲われます。

 

ちなみに白い雪の先から放射されているようにみえる白い線は、包装資材で使われている結束バンドです。

結束バンドはヒートン(金属製のフックのあるネジ)につながっているのですが、それだけでこのかなり重量のある物体が吊りあげられているのも興味深かったです。

いま住んでいる盛岡は生まれたところや、学生時代をすごした米沢や結婚していたころに住んでいた青森の雪深さからしたら物足りないくらいですが、雪かきをしたことのあるひとならこのエッジ、肉体的に感じられるのではないでしょうか。

 

 

エッジの境目を撮ったもの。

まさかと思うようなステーショナリーが大活躍です。

 

 

長谷川さんがいらっしゃるとき限定ですが、後ろにはよく工事現場でみかける足場ができあがっており、足場用のアルミの梯子段をあがって頂から見下ろしたところです。

 

古代魚の化石のようなものは、これも梱包資材のジャバラ。

 

桃とか林檎とか、果樹の梱包材としてつかわれているあれです。ジャバラの上に、これも梱包に活躍する発泡材。白いふわっとした一枚布のようなやつで、表面が確かに雪のように繊細にじわっと光っている。

長谷川さんの繰り出す思いがけない素材の活かし方に、美術と建築の融合というようなことも考えました。舞台美術にも通じるものがあるなあとも思いました。

 

 

氷の罅割れ発見? これも作品の一部ですが、「凍土展」で見た作品も思い出しました。作り方や素材は全然ちがうけれど、発想のもとになった記憶の光景は同じなのではないか(ちがうかもしれない)。

 

農家の倉庫いっぱいにつくられる巨大なインスタレーションは、建築にも似ていますが

マケットはつくらない、とお聞きして、その時はあーわかる、と思ったのですが、マケットはつくらず、実際にやってみて軌道修正したり、思いがけない素材の表現にであったりすることは地図のない旅ににているのではないかと思いました。

「辿りつかない峰」というタイトルも、どこまでもつづく旅のようでもあり、雪山の表現の向こう側という意味かもしれない、そんなことをいつまでもぶくぶく泡のように考えております。

 

ではでは♪