フリーダ・カーロー痛みこそ、わが真実 | 菅原初代オフィシャルブログ「魔女菅原のブログ」

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「フリーダ・カーロー痛みこそ、わが真実」 クリスティーナ・ビュリュス著
堀尾真紀子監修 遠藤ゆかり訳 創元社(知の発見双書142)


ここ2年ほどで急に気になってきた画家、フリーダ・カーロ。
図書館の美術コーナーから一冊借りてきました。

昔は文学のコーナーしか行かなかったけれど、最近は美術書とか落語とか、
スポーツについての本をよく借りるので、7類の棚に直行ですわ。

7類って、芸術やスポーツです。手品や落語、相撲、マンガ、けっこう幅広いです。



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フリーダ・カーロの「祖父母、父母、私」(1936年)

この絵には、六本木・森美術館で開催された「LOVE展」で会いました。

「LOVE展」、ほんとうに隅から隅まで見逃せない作品ばかりでよかったなあ。

いつ行ったんだっけ、とブログを検索して、


「個人的な怒濤週間が無事おわりました。

7/6 郡山経由二本松市へ
7日 東和ロードレース ハーフ
9日 東京へ まる二日間で美術展10件
11日 帰って息子の校内合宿おわりの会 美術館で友達とランチ 大歌舞伎

12日 美術館でギャラリートーク PTA 面談

13日 日帰り東京 LOVE展 <遊び>とシュルレアリスム展 巖谷國士氏講演会

NOTE読書部」


ってヲイ!って感じ(笑)。なんなのこの、猛烈な一週間。
いま私が疲弊しきっている感じなのは夏の疲れが一気に
来ているだけなのね、と妙にホッとしたりする。

そんな怒涛でも、LOVE展行こっ!と行った自分グッジョブ!です。




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この絵がはじめて出会ったフリーダ・カーロ。もちろん、美術書やテキストで
フリーダ・カーロの絵はみたことがあったのですが、

ほんものはこれがはじめてでした。

名古屋市美術館のコレクションです。
美術書や図録ではまず額縁ぬきの絵だけが収録されているのですが、

この絵は額縁も絵と一体化しているような雰囲気があり、ごく小さな絵ですが、
存在感があるなんてものじゃなかったです。

名古屋市美術館の看板娘と言えばモディリアニの「おさげの少女」ですが、

この「死の仮面をかぶった少女」(1938年)も美術館の自慢の娘のひとりなのではないかと
想像します。

ちなみに少女が抱えている小さな向日葵の花は、メキシコでは11月2日の死者の日に、
使者の魂が亡き家族のもとへ行けるようにその道を黄色い光で照らすために用いられるそうです。

少女の傍らに置かれている動物の仮面はジャガーであり、これも使者の日に使われるもの。


11月2日、死者の日というのはドイツでも共通ですね。パンの本で、死者の日のパン、ブリューゲル(小枝の意味)というものも載っていまして、作ったこともあります。日本の彼岸の菓子に相当するものなのかしら。

メキシコでは生と死は日常的なものであり、フリーダもベッドの天蓋に骸骨の形をしたユダ人形を載せておいたそうです。

これはお祭りの日に爆竹を結び付け、導火線に火をつけて粉々にするそうです。



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18歳の学生時代に、突然の交通事故に見舞われ、

脊柱が3カ所折れ、鎖骨と第3、4肋骨も折れ、
左肩が脱臼し、骨盤が3カ所折れ、
腹部と膣に穴が開き、右足は11カ所骨折、
右足首も脱臼。



そんな凄まじい事故から退院したのは1か月後。

その後も後遺症に悩まされ、手術が続く。


「ひび割れた背骨」(1944年)。


立っていることも座っていることさえもできなくなったフリーダ・カーロは鋼鉄のコルセットをつけるように言い渡され、拷問のようなその器具を絵に登場されている。


この絵もいつか見たいなーと思う。


私の記憶違いでなければ、日本の美術館では唯一、フリーダ・カーロの絵があるのは名古屋市美術館だけだったと思います。


「死の仮面をかぶった少女」、小さな絵だけれど、みた瞬間、心臓がぎゅっとなるような強い絵でした。


それにしても、向日葵が使者の道を照らし出すというのもなにか分かるような気がします。

日本でも、あの世のことを黄泉、黄色い泉、と書くわけで、黄色には太陽の明るさだけではなく、

この世ならぬもののイメージがあるのかもー。