ブログネタ:世界一の美貌と世界一の頭脳、手に入るとしたらどっちがいい?
参加中私は世界一の美貌 派!
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えー。
どっちもご辞退申し上げたいですぅ
。
というのが本音なわけだが、どちらかと言われたら美貌かな。
だって、美貌って一瞬のものじゃん。
それに、だれもが認める美貌ってありえないし。文化によって美の基準って全然
変わるでしょ。
だから、美貌のほうがまだおっかなくないかなあって思って。
世界一の美貌も、頭脳も、齢40も過ぎれば、それで幸せになれるの?という代物です。
むしろ迷惑。いきなり最終兵器を手渡されるようなもので、私には荷が重すぎる…。
ほどほどの美貌とほどほどの頭脳、またはほどほどの不細工さかげんとほどほどの馬鹿さ加減が、
幸せに生きる鍵じゃないかと。
美貌を手に入れたら、なにをしようというのはないんですけど、
そんなゴージャスな美貌を手に入れた凡人の私が、はたして大人しくできるでしょうか。
おーっほっほっほっほー。
おらよ、世界一の美貌様のお通りだい、くらいやりそうでコワイ。
でも、美貌は手に入っても頭脳が自分のままだったら、
生活は変わらないんじゃないかなあ。
だって。
本人は自分の顔をずっと見て暮してるわけじゃないでしょ。
だから無意識にしていると忘れる気が
逆に世界一の頭脳だと、四六時中、自分の明晰な頭脳に苦しめられる気がするの。
小学生が100点満点、いーいきーぶん♪、きょうはハンバーグにしてね♪という世界じゃないでしょ、
世界一の頭脳って。むしろ辛いんじゃないの。自分以外は自分よりみんな、賢くないわけでしょ。
自分のことを理解してくれる人がだれもいない荒野に佇つみたいな、そんな荒涼とした心象風景を連想するなあ。
というわけで、美貌にも頭脳にも、なんとなく否定的な記事になってしまったんですが、
つくづく私って冒険心がないなあ(笑)。
なにごともほどほどが幸せ、だと思うんですよね。
大切なのは、ほどほどの中に、人生の深い意味を見いだせるかどうかであって、
それには美貌も頭脳も出る幕はないのよ。
みなさんだったら、世界一の頭脳と世界一の美貌、どちらがいいですか?
