
昨日から熟読している、「ヨリが跳ぶ」の最終巻(全20巻です)の
いちばん最後のページ。
ヒラマツ・ミノル、心憎し。
バレーボール界の天才・梶容子(かじひろこ)と、
主人公大久保ヨリが、
幼い姿になって、一つのゴムまりを手にしているところ。
孤児院の犬小屋に捨てられていたヒロコは、孤児院から
彼女を養女にしたいと願う梶家にひきとられるとき、
院長先生から、ゴムまりをもらうんですね。
これを先生やみんなだと思ってがんばってね、と。
そのゴムまりを手にした瞬間に、天才バレー選手として
世界的に活躍する十数年後の姿をイメージしてしまったヒロコ。
でも、ほんとうはこんなふうに、一緒にボールを追いかける友達が
ほしかっただけじゃなかったのか…。
ヨリも3歳でバレーボールと出逢うのですが、いつも友達や
チームメイトと一緒でした。
やり直せるとしたら、このくらいまで年齢を下げないとだめかもー。
だっていまの私って、生まれつきの性格のうえに、46年間の経験が
堆積して出来上がったものですから。
いわば、記憶の腐葉土の上に成り立っている一本の木なわけで。
どこらへんからやり直せばいいのかなあ。
いま、の自分を決して嫌いじゃないから困るなあ。
20代前半くらいまでは、よくやり直せるものなら保育園から
やり直したい、と思いつめていた気がする(笑)。
まさに、ヨリとヒロコの年齢だ。
その頃なら、まだいろんなことに対して可能性があったと思っていたから。
まあ、最大の後悔が、運動が苦手で過ごした小・中時代ですよ。
高校になると、女子は運動能力がピークより落ちるから、それでなんとか
みんなとそう変わらないレベルになったんだけど、
小・中時代はきつかった…。
こないだ、
「息子の運動会でも、運動会っていうだけでもうやだー」
と、なにげなく職場で言っていたら、
「えー、私運動会だいすき。もう前の日からワクワクしちゃって」
と言う人がいて、
「運動、得意でした?」
と聞いたら、
「ううん、普通だったよ。でも運動会って楽しいじゃない?」
…
そうか。
普通のひとは、楽しいのか。
だいたい、私の友達はかなりの確率で運動会の前の日には
雨が降りますようにと祈った口が多く、
なんとなく世の中もそんなもんよねーとまで思っていましたが、
子どもの頃を思い出せばわかるじゃないか。
ほとんどのひとは、運動会が楽しみなんです。
遠足の前の晩は、乗り物酔いしたらどうしよう、という不安で寝付けない、
とかいうこともないんです。
人生やり直したい、というほどじゃないんだけど、
もし、乗り物寄りと運動音痴という2大ハンディキャップなしに
小・中学校をやりなおせたら、
運動会と遠足の思い出がどんなにキラキラしたものに
なったかなあ。
私の思い出ですか。
運動会といえば、私のせいで白(赤)組が負けたんだ…と
暗くうつむいている自分、
遠足といえば、ひたすら吐き気との戦い、もしくは、
吐き気を催さないように前の席にされたおかげで、
かえってクラスの盛り上がりから遠ざけられ、
二重に孤独、という哀しい思い出。
ばっかりです
。

そうですね、
いまの自分は自分として、
思い出を明るく楽しいものに変えられるなら、
保育園から体育会系なひとの人生にやり直して見たいなあ。
(でもいまの自分は変えたくない)
みなさんは、やり直せるなら何歳からやり直したいですか?
(ってかやり直したいひとっていますか?
私は正直、もういいやこれで、ってとこがありますが)