ユリイカ 特集※若冲 2009 11月号
雑誌ではありますが、本にカウントしてもいい雑誌と言うものもあるので。ダメ?
そんなことはおいといて、
若冲ですよ、若冲。
去年の夏から若冲を見る機会にめぐまれた私にとって、
気になるのは未だ見ていない、
「象鯨図屏風」です。
これが北陸の旧家から発見された経緯についても、
知っている人は知っていたことなのかもしれませんが、
私ははじめて知って、若冲の屏風とは知らないで、
その前で煙草をぷかぷかやって麻雀(想像)などやっていた明治の男たちと、
三尺帯をしめた明治の子供の姿を想像しちゃったわけだ。
子どもには「あの象の目怖い」だったらしく、その子どもが
屏風の持ち主のお父さんだったわけですが、
いやー、私は象について、
「にょろんとしてます」
と表現した鈴木志保さんに共感です。
たしかににょろんとしている…。見たことがないんだから
当然なんだが、
季節がら、なめくじとかかたつむりの偽足を連想させる
「にょろん」ぶりです。あー、観たい!
実物を自分の目で見た若冲の画に就いて、
いろんな美術家や画家の方がさまざまなことを言っているのですが、
それらに就いてはどうもピンと来なくて、
唯一、
そうだ!と叫んだのが、美術史家・狩野博幸さんの
「若冲展を思い出しながら」という、「ゴドーを待ちながら」みたいな
タイトルの文章で、
若冲の「仙人掌群鶏図」から抜き出した鶏の絵が、
吉本新喜劇の背景の杉戸に描かれていたというのだった。
…吉本新喜劇にも、若冲がよく似合う。
というつぶやきは思わずフォロワーになりたくなるていのもだ。
「動植物綵絵」がなくったって若冲展は面白い。
という言葉にも、烈しく同意であるし、また、
面白いのは若冲である。その面白さを表現できなければ、
無言の方がましである。印象派など影も形もない18世紀の終わりに描かれた若冲の像を見よ。
そこには、井原西鶴が俳諧の美意識の根本を「自由」と規定したことと積うていする感覚が厳然としてある。
現代のせせこましい文学・美術理論なんぞが、いかに無用・無益なものであるかが、
その若冲の象のキュートな表情ひとつで理解できるだろう。
という、なんとなくピアニストが最後にこれでもか、と言う感じで
ダダダダダダダ、と弾く姿を思わせる結びの言葉に、いやそれはいいすぎだろ、
とは思いつつも、「キュートな表情の象」には会いたいと思ってしまう私なのだった。
千葉市美術館で開催中の「伊藤若冲ーアナザーワールド展」は6月27日までの展示です。
(そして「にょろん」として「キュートな」表情をした象にも会えます)