『蛙男』 清水義範 (幻冬舎)
フランツ・カフカの『変身』やデュ・モーリアの短篇を
思わせる小説なんですけど、書き出しが
「火事」。
いきなり主人公・滝井の実家が火事で全焼してしまうんだ。
実家には、60代の両親が暮らしていたんですが、
漏電で。
でも、みんな淡々として、火傷もしていないし、
火災保険がおりるから、という態度。
そこからして、すでに変だろ、と思うのは私だけでしょうか。
やがて主人公の男性は「蛙」化していく。
あの独特の質感の緑色の手。はじめは、手だけだった。
しかし、次第に手、腕、と、緑色の部分が増えていって、
とうとう、顔も蛙になってしまう。172cmのカエル君。
しかし、これが周りにはまったく気付かれないんだ。
他人には、あくまでも、以前と変わらない滝井君なわけだ。
他人から見える自分と、自分が見ているカエルの自分。
やがて、新しい恋人ができて、カエルである自分を受け入れて
それなりに生活をしていくのか、と思っていたのだが…
この最後の数ページは、私には、ギャーーーって展開だった。
とても口にすることはできない感じです…
デュ・モーリアの小説では、ある若い娘が突然、その人物の
本質が見えるようになってしまい、街中の人々の頭が羊だったり、
オオカミだったりするんだ。
萩尾望都のマンガにも、そういうのがあったなー。
自分の目に見えるものとはなんだろうか。
清水義範さんの作品はほとんど読んでいるのですが、
これはかなりの異色作だったなあ…