青森市、ナンシー関 | 菅原初代オフィシャルブログ「魔女菅原のブログ」

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eeeeee

マロンメロンさん、いつも「リングにかけろ!」みたいな、

神話的なパンチをありがとうございます。


「自虐の詩」、私も、

あのセリフは効いているなーと漠然と思ってましたが、

あらためて文字にされると、スッキリしますね。


太宰についても、「嫁をもらうなら大食いの」に笑いました。

ありがとうございます。


そういうスッキリを齎してくれていた方といえば、やはり。


ナンシー関。


週刊文春、どんだけ楽しみにあのページを開いたか。

クレアに連載されていた、リリー・フランキーとの対談なんて、

今読んでも涙がでちゃうぞ。


62年生まれ、ということですから、私の一学年上で。


私は、当時青森市に住んでいたものですから、

成田本店(支店に対しての本店じゃないですよ。書店という意味の本店です)

でのサイン会に並んだこともあったなあ。


ともだちの分も、と二冊買って持っていたら、

私の前が、ナンシー関さんの恩師の女性だったようで、

ちょっと話しこんで、ナンシーさんから、


「すみませんね、お待たせして」

と、言われたのと、二冊持っていたので、

「あ、すみません、二冊も」

と、小さめの声で言われたのが印象に残っています。


ムッシュかまやつの、ハンコだった。

「一生涯ムッシュ」のセリフつきの。


亡くなった後、青森の実家の、関ガラス店の前を通るたびに、

その時のナンシー関さんを思い出した。


「ガラスコワレマシタラ」という、関ガラス店のコピーを考えたのは、

関直美さんだった頃の、ナンシーさんだったとなにかで読みました。


ナンシーさんは、テレビ東京の「大食い王」が好きだったようで、

なかでも、赤阪尊子さんがお気に入りだったようで、


青森市で2002年におこなわれた「ナンシーカムホーム」展では、

そのイラストもありました。


もし。


もしも、まだご存命で、健筆を揮っていらしたら。


菅原をどう料理してくれたのか、または興味をもたなかったのか。


怖くもあるけれど、彼女の私につける評価を知りたい。


想像してみるけれども、

答えは旅の空に在るらしく、


…杳として知れない。