ところで、囚人ゲームって、ご存知ですか?
このブログで過去に書いたこともありますが、
私、心理学には昔から興味がありまして。
それを職業にしたかったわけではないんですが、
職業に即結びつく勉強って、大切なことなのでしょうが、
私は「教養」と言われるような、すぐには役に立たない
そういう学びがあってもいいじゃん、と思う方で。
話が、例によって逸れていくんですが、
『赤毛のアン』、シリーズは全10冊あるんですが、
すべて読破した方もおいでだと思います。
なので、こーゆー、アン批判みたいなことを書くのも、
飛礫がビュンビュン来そうでコワイのですが、
学校の先生になるために、アンは上の学校に進学を希望するわけですが、
「ジュリー・アンドリュースは、教養を身につけるために行くんですって。
先生にはならないそうよ」
みたいな、ところが気になってました。
いいじゃーん、勉強のために勉強したって。まあ、アンドリュースは、
そうとう、やなガキですけどね。
というわけで、囚人ゲーム。
ウィキペディアにも項目が掲載されてましたので、
あやふやな菅たんより、詳細はそちらをぜひ。
(と、なめにゃんさんの先手をとってみました)
ほんと、あやふやなんですが、
二人の囚人がいて、それぞれ別室で尋問されているという
設定です。まあ、実際には、
心理学の学生が被験者となってやっているゲームですが。
相手を「裏切」って、自分のポイントをあげるか、
相手を信じて、「協調」して、互いのポイントをあげるか、
信じた相手に「裏切」られて、自分のポイントが下がるのか。
それとも、互いに不信の応酬をして、等しくポイントを下げるのか。
この4つの組み合わせでゲームをするわけですが。
最終的に一番高いポイントを上げるのは、
「協調」型の囚人(学生)なのでした。
人と付き合うとき、相手の出方を、待ってから、
手を差し出すのが、大半だと思います。
差し出された手を、振り払う人もいれば、
もう一方の手に、ナイフを隠し持っているのだろうと疑ったり、
初めから、ナイフで切りつける、そういう酷い人もいるでしょう。
人生に勝ち負けはないけれど。
手を差し出し続ける人が、報われるという、
「囚人ゲーム」の理論は、私には、
福音として響きました。
では、ウィキペディアで正解を確かめてね(笑)。