誕生日
誕生日に際してのご感想、みたいなのを皇族方が寄せられるように、私も誕生日にあたっての雑感を…。まあ、この歳になると、誕生日がどうのこうのいうこともないのだけれど、日々、生きていると辛いこともあるし、その分ささやかな喜びもある。今日は、私がもしうんと若くに子どもを産んでいたとしたら、子どもも同じような歳の女の子から「お誕生日おめでとうございます」と、プレゼントをもらった。ちょっぴりビックリして、だけど思いがけず嬉しくて、泣きそうになってしまった。今年度は仕事が忙しすぎて、ずいぶんと心をすり減らしてきたので、些細なことで感情が揺さぶられてしまう…。(一晩中泣いたり、ツレにあたってしまって険悪になったりすることがしばしばあった。)別に私がここまで背負ってひとり必死に頑張る必要もないし、どこかで一線引いたり、仕事を分散させたりすればいいのだろうけれど、性格というか、人任せに出来ないところがあって、むしろ、誰かに任せて思うようにならないのなら自分でやったほうがいいっていう典型的な沼にハマってしまっている状態。逃げ恥の中で「やりがいの搾取」なんてワードが出でいたけれど、そのやりがいすらも見つけられず、なんのための努力なんだろうって虚しさを感じてしまうことも多い。仕事に直接関係のない上司からは、「あんたがどんなにしんどい思いをしながら頑張りよっても、誰もそんなことわかってないと思うよ」と言われ、それもそうだなって思うと余計に悲しくなるという悪循環。なんだかうまく言葉にはできないのだけど、自分がなんのために生きているのか、ここにいる意味だったり役割だったりがわからなくなってきて、消えてなくなりたいと思うことも日々ある。この一年は「自己肯定感」との闘いだった気がする。誕生日を迎え、歳を重ねると、長生きはしたくないなって年々強く思う。だけど、幼い我が子を病気で亡くすという経験をしている両親のことを思うと、親より先に死ぬことはできないし、決して自分で死んだりもしない。今日はかなり強めの愚痴になったけれど、残念ながら、私はタフに出来ているみたいで、潰れたりもしない。それでも、弱音を吐きたい時もあるし、もう無理だな…って思う時もある。そういえば、今任されているプロジェクトでは、病院の先生や医療従事者と関わることが多くて、先生方からは、「いつも大変だと思います。ありがとう。感謝しています」とのお言葉をいただくことも多く、そのことに励まされているのも事実。先週なんかは、「大変すぎてほんと辞めたくなるでしょう?ヤケを起こさないようにしてくださいね」と言ってもらって、ああ、そうか、自分はタフに出来ていると思ってはいるけれど、何かのきっかけで悪い方に向かってしまうこともあるのかもしれないなって気付かされもした。あ、ダラダラととりとめのない話を書いてしまいました。恨みごとみたいなことばかり書いてはいるけれど、お誕生日のお祝いをしてもらったり、メッセージをもらったりすると純粋に嬉しいです。ありがとう。写真は、秋の終わり、冬の始まりに登った剣山。念願叶って嬉しかったし、雪景色が美しかった。オヤスミナサイ。