レースが企業の役に立つと言うことを実証してみたい!その約束は守れたか!?
1990年 一人の若者が、WITH ME PROFESSIONAL RACING チームに来て走り始めました。
とにかく走りたいだけの10代の若者に、エンジンのOHから教え、マシンセッティング、そして常に一緒に走って、タイムの詰め方まで。
とあるひ、その若者の親父さんが入院している病院へ呼ばれ、話しを伺いました。レースをする事について、反対なのかと思っていたら、親父さんは「若いうちはやりたいことをやらせてやってくれ」と優しい言葉で頼まれたのです。
そのとき、私が言葉の裏に感じたこと。「いつか親父さんの会社を継ぐために、今モータースポーツを通して普通の人が体験できない厳しいことを勉強させてほしい」と言うことでした。
この年、私自身も会社を設立したばかりだったので、レースを通じて伝えられるものは、「常に厳しい現実をいかにして切り抜けるか」をレース活動と共に行っていくことでした。
それから2年後、1993年に親父さんは無くなってしまいましたが、それが富士カプセル前社長、加藤咲郎さんでした。
その後、まだ10代だった若者、加藤健治は、ホンダ RS250ノービスクラスから始まり、すぐにジュニアクラスへ昇格。
一度、両足骨折という、大けがをし、引退かと思ったときに、「まだ走りたい!」と、病院で言うその言葉に「生ぬるいリハビリなんかしてないで、1日24時間、もとの体に戻すことのみを考え行動だぁ!」と、当社の社員、そしてクラブ員と共に、ハイエースで箱根まで自転車を運び、まだ杖無しでは歩くことが厳しかった加藤健仁と共に箱根湯本から芦ノ湖まで、みんなで自転車で登ることを一つの休日イベントとして楽しみで行ってました。
そんなことしていたら、あっという間に、普通にあるけるようになり、レースに復帰。その後各選手権でポイントを重ねて行きます。
また私の持論「誰よりも速くなるには、オフロードでトレーニングだぁ!」と、クラブ員と共に守谷等オフロードコースに連れて行き、オフトレをしょっちゅう行っていました。(今では加藤にモトクロスで勝てません)
各選手権のポイントにより国際A級に昇格した加藤も社会人となり、一度WITH ME PROFESSIONAL RACINGに入社したいと言ってきましたが、親父さんの言葉をおもい、入社せずともWITH MEのレース活動の手伝いをしてもらうことに。
そのとき、教えたことは、企画書の書き方、人前でのプレゼンの仕方等でした。自分の会社に入ったときに役に立つであろう事をレース活動に当てはめ、形にはまらないことをやってもらったのです。
まだPCが普及し始めたばかりで、私自身もエプソンノートで原稿を書くように。そのときヤングマシン編集部での原稿は、すべて原稿用紙で提出されていました。たぶん私が初めてプリンターで活字にし提出したら「字が小さくて赤入れしにくいから、原稿用紙に書き直してくれる!?」と言われる始末。今じゃ考えられん。
加藤健治にも、私が使用していた富士通のワープロを渡して、何度も企画書を書いてもらい、内容をチェック。たくさんの企業営業に歩かせましたが、バブル崩壊後のレーススポンサードの現実は厳しい物でした。それでも「この営業がいつか役に立つからと…」
当時、加藤と何度もお互いに「レースを続けて行くには…」と言う話をしてきました。ある日、私は「自分の親父さんの会社でレースを認めてもらうわけにはいかないのだろうか!?レースが本当に企業の役に立つことは無いのだろうか」と、加藤健治に説いていました。
自分の会社に「レースが役に立ちます」とプレゼンできないと言うことは、レースは本来企業の役に立たんと言うことだ。
加藤健仁は、そのことを勉強するためにも、親父さんの会社で一生懸命働くようになり、
1997年、WITH MEが手がける1997年型RS250 Aキットパーツ(いわゆるセミワークスマシン)での全日本参戦が最後の年となりました。
その後、加藤健治は富士カプセル株式会社にて、レースで培った負けず嫌いを力に、がんばって、がんばって働いて来ました。東京勤務が、いつの間に大阪勤務で3年。また静岡本社に戻り、一年に数回、たまにあって飲みに行き、また、たまにエンデューロを一緒にでるくらいの付き合いです。
3年ほど前、もう立派な企業人として飛び回っている加藤健治と飲みながら「いや、社員募集がなかなか大変なんですよ。うちは基本が工場ですからね、どうしたら良いものか」という、飲み話の中に、私が、「自動車部を創って、本当に理解し合える社員を募って見たら…自分の片腕になってくれるような社員はそこから見つかるはず」などと
2015年 加藤健治は従業員数300人を越える富士カプセル株式会社の副社長に就任。
今こうして、活力あふれる社員を全力で会社のために取り仕切っています。
25年前に、親父さんに言われたこと、ほんのすこし約束を守れたかなと。
















