ウイズ東淀川3月レポート  パネラー 野々村智子「さとこ」氏 | ウイズ東淀川のブログ

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平成6年7月から、東淀川区において結成された、コミニケーション・ボランティア・グループです。
奇数月の第二日曜を定例会とし、【共生】を理念として、共に語り・共に学び・共に遊んでみませんか「をキャッチフレーズに、誰もが集える」場を提供しています。

 3月13日、相談支援専門員 野々村智子氏「弱視」をお招きし、【健常者と障がい者の間で、自分の居場所を求めて】と題し、お話しをお伺いしました。
 
 こんにちは、『東淀川区障がい者相談支援センターFlat・きた』で、相談支援専門員として働いています、野々村智子と申します。
 まず、「初めにどのような方々がお見えになっているのか、自己紹介をお願いしたいと思います。」との要望に答えて、参加者の自己紹介を行ないました。
 ただ今、紹介いただきましたように、東淀川区の障害者相談支援センターFlat・きた、自立生活センターFlat・きたという二つの名前があるんですが。ここで、仕事をさせていただいています。生まれつき先天の弱視です。小学・中学・高校・大学と一般の学校へ行きました。その時に感じたことや思いが、今の仕事に繋がっているのではと思っています。
 私のような未熟なものが、皆さんのような経験豊かな方にお話しさせていただいてよいものかと思っています。
 

<<家族>>


 私は、三人姉妹の末っ子なんです。父と母、姉二人にも障害はないんです。親戚にもいません。私だけが障害者なんです。数十年前のことなんで、今のように障害者が、外に出ていなかった時代です。父母や姉達も、障害者に初めて接したのは私ではないかと思います。障害を持っていたら、社会で生きて行くのが難しいんではと、両親は感じていたんだと思います。そこで、姉二人と同じように育てたいと考えていたようです。障害を意識せず、普通に社会で生きていける力をつけてやりたいと思っていたようでした。
 姉たちと同じような経験もしまして、同じ小学校へ行くことになりました。そこでは、障害と向き合わされることがありました。この経験が今の仕事の支えになっているのではないかと思います。
 

<<仕事>>


 皆さんも御存知だと思いますが、障害者相談支援センターFlat・きたで、障害者相談支援専門員という立場で、仕事をしています。視覚障害だけではなく、障害者が主体となって運営しているセンターです。代表をしているのが、脳性まひの方なんです。健常のスタッフもいまして、サポートをし、もちろん、仕事もしています。訪問などの場合、一人では行けない障害者が多いので、訪問は健常者とペアを組んでいます。これは、発足当時からの原則となっています。スタッフは障害者が3人で、健常者が5人です。二人で訪問しているメリットとしては、一人で聞くと、一辺倒な考えになりますので、より広い考えを得るため、複数人で対応しています。
 
Qーー生まれは?
Aーー大阪市の住之江区です。三歳のころに貝塚に引っ越ししまして、実家は貝塚にあ   ります。
Qーーなぜ、こちらへ?
Aーー大学の4年の時に、ピアカウンセリングをやりたいと思いまして、貝塚よりも大   阪の方がカウンセリングの情報があるかと思いました。それと、家族と離れて一   人暮らしをしたいと思っていましたので、大阪へ来ました。
 

<<健常者?障害者?の葛藤>>


 大学の4年になるまで、この仕事をするとは思ってなかったんです。小学校から地域の学校へ行ってたというのと、出来るだけ健常者として成長してほしかったという家族の意向もありました。
 視覚障害と言うのは、世間では全盲を指していると思います。学校の先生すら全盲が視覚障害との認識があったように思います。
 
筆者からーー自分の立場が、健常者か障害者か、中途半端な立場であることを意識して      おられたようです。また、《最低の健常者》と自分のことを評していて、      どっちつかずの立場を、表しているのがよく分ります。
 

<<結婚?>>


 大学生の頃、心が一杯になって、日本ライトハウス情報文化センターへ、「視覚障害者の団体はないですか?」と相談に行きました。そこで、関西SL「注参照」を紹介いただいたんです。そこは、健常の大学生で点訳サークルに入っておられる方と、視覚障害大学生が交流する場です。それは、大学4年の時でした。そこに行くと、変な感覚だったんです。皆が自分のことを分ってくれる。これは、初めての経験でした。自分も「視覚障害者」だと言っていいんだと思いました。「最低の健常者」を止めることができました。
 
参加者からーー結婚されていると聞きましたが…? 等に答えて・・・
 
それでは、出会いを話しましょうか?とパネラーの野々村さん。
 関西SLに入って、「地域の学校で学ぶ視覚障害児(者)の点字教科書等の保障を求める会」の会合に出かけました。そこで司会をしていたのが夫だったんです。これが、出会ったきっかけです。
 
参照 「関西SL」。関西SLのSLというのは、Student Libraryの頭文字をとった   もの。直訳すれば、学生図書館ということになります。しかし、だからといって   図書館を指す名称というわけでもないのです。
 
それでは、関西SLがどういう団体なのか、ここでご紹介しましょう!
関西SLの歴史
 
 1971年、京都市内の大学に3人の視覚障害学生(岩井和彦・竹下義樹・田尻彰)が点字受験によって入学しました。当時の大学は、点字の教科書を初め、彼らが入学後学習・研究を進めていく上で<必要な条件をほとんど保障してくれないという状況でした。彼らは、「他の学生たちと同様に学習したい」、「自ら点字で教科書や文献を読みたい」などの思いを胸に、京都ライトハウスに集まりました。それを知った京都大学点訳サークルの学生たち(加藤俊和ら)が中心となり、教科書点訳を始めたことが当団体の出発点なのです。その名称は、イギリスで専門図書を充足している機関、Student
Libraryにちなみ、関西Student Libraryと名づけられました。