ろばくん、そしてニャンコ先生、さようなら… | 歌謡曲(J-POP)のススメ

歌謡曲(J-POP)のススメ

音楽といっても数々あれど、歌謡曲ほど誰もが楽しめるジャンルは恐らく他にありません。このブログでは主に、歌謡曲最盛期と言われる70~80年代の作品紹介を通じて、その楽しさ・素晴らしさを少しでも伝えられればと思っています。リアルタイムで知らない若い世代の方もぜひ!

 4月15日、キンキンこと愛川欽也さんが肺がんのため逝去されました。ついこの間まで、「出没!アド街ック天国」で司会をされていたので、訃報を聞いた時には何だか「えっ…」という感じでしたが、もう80歳だったとは意外でしたね。


 キンキンと言えば、どうしてもテレビのバラエティ番組の司会者といったイメージがまず頭に浮かぶわけですが、よくよく振り返ってみると、私が小さな頃から、姿は見えずともずーっと身近な存在だったんですよね…(遠い目)。小学校登校前に毎朝欠かさず見ていた「おはよう!こどもショー」“ろばくん”の着ぐるみを被っていたのも、大好きだったアニメ「いなかっぺ大将」で、ニャンコ先生の声を演じていたのもキンキンでした。奥さんのケロンパ(うつみ宮土理さん)の方も、ガキだった私が『次は自分の名前が呼ばれないかなぁ~』と、毎回テレビ画面に齧りついていた「ロンパールーム」の二代目みどりお姉さんだったことを考え併せると、私を含む今のアラフィフ世代がキンキン・ケロンパ夫妻から受けた影響(恩恵といった方がいいでしょうね)は、かなり大きなものだったと言えるのではないでしょうか。

 


 キンキンは俳優座養成所で演技を学んだ後、‘60年代にジャック・レモンのアテレコで注目され、’70年代にラジオDJとして若者を中心として人気を集めると、CMでも頻繁に目にするマルチタレントとして活躍するようになります研ナオコと一緒に出演したミノルタカメラのCMとか、ハムレットに扮して(←ぜんぜん似合ってねーんだこれが三枚目を演じるプロミスのCMなんかが特に私のお気に入りでした’80年代に入って、「なるほどザ・ワールド」の司会で幅広い世代から支持を受けるようになって以降の活躍ぶりについては、改めて私がここに書くまでもないでしょう。

 そんなキンキンも、若気の至りなのか何なのか、’70年代にシングル作品を結構リリースしています。私が知る限りでは、「キンキンの夢は夜ひらく」(藤圭子で有名なアレのキンキンバージョン)をはじめソロで6枚、デュエットも3枚あります(うち2枚は、菅原文太とのコンビで主演を務めた映画『トラック野郎』シリーズがらみ、残り1枚はケロンパとデュエットした「マン・マン・マーチ」だったりします…)。ちなみに、映画『トラック野郎』の企画はキンキン自らが映画会社に持ち込んだものだそう。なかなかのアイデアマンぶりですよね。

 で、せっかくなので、キンキンの歌を一曲紹介しようと思うのですが、ここはやはり、伊集院光の“おバ歌謡”でも有名になった“あの珍曲”
を置いてほかに考えられないのではないかなと思います。その名も、’70年代中盤にリリースされたLP『欽也一夜物語・泣く泣くかぐや姫』の中の一曲「死ね死ねブルース」であります。「聴き手サイドに”大人としての分別”を要求する作品」にして、昭和のアングラ文化を象徴する名(迷)曲だと思います。それではどうぞ~



 曲の途中でカミカミになって ♪ しっちゃかしっちゃか 繰り返すところとか、♪ たかがバスト90ウエスト90ヒップ90 ただのドラム缶 死ね~ のくだりなんかはもうデタラメもいいとこ
ですが、アバウトな感じがいかにもキンキンらしくて最高じゃあーりませんか。根が生真面目な私なんかは(ウソ)、若い頃から不用意な言動で何度も物議を醸す子供っぽいキャラを持ち前の愛嬌でカバーして皆に好かれているキンキンに、ほんのちょっぴりジェラシーを感じてしまうのです。

 毒たっぷりの歌詞(LPの歌詞カードにこの曲だけ歌詞が載ってないってんだから相当なもの
)も、こんな風にコミカルかつ自由奔放に熱唱されると、ちょっと救われたような気分になってくるから不思議なものですね。それでも、ときどきニャンコ先生の声を髣髴させるような歌い回しで“死ね”と歌われる箇所に差し掛かると、思わずぐっと胸にくるものがあります(今回改めてこの曲を聴きながら、私は不覚にも涙してしまいました)。

 ここで念のためですが、「冥福祈るのに、よりによってその曲かよー
」とお怒りの方がもしいたらゴメンナサイm(_ _ )m陽気なことが大好きだったキンキンを偲ぶには「死ね死ねブルース」が一番ふさわしい私自身が本気で思ってますし、天国のキンキンも絶対喜んでくれているはずと確信しているので、悪しからず…


 日本はいまや、医療技術の発展によって世界トップクラスの平均寿命を誇る国になりました
。それはそれでまあ結構なことなんですが、私としては、どうせ長生きするんなら“健康年齢”が長い方がいいよなぁ…(でなきゃ長生きしなくてもいいやなんて思ってしまいます。そうした意味で、亡くなる直前まで奥さんのケロンパと充実した私生活を送りながら仕事も続けて、あまり苦しむことなく天寿をまっとうしたキンキンの人生は、十分に幸せだったと言ってよいのではないでしょうか。

 キンキン、たくさんの楽しい想い出を本当にどうもありがとう
。ここに謹んでキンキンのご冥福をお祈りいたします。