【好事家w.w.からの挑戦状 17-1】 この人は誰の兄弟姉妹…?(その2、問題編) | 歌謡曲(J-POP)のススメ

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音楽といっても数々あれど、歌謡曲ほど誰もが楽しめるジャンルは恐らく他にありません。このブログでは主に、歌謡曲最盛期と言われる70~80年代の作品紹介を通じて、その楽しさ・素晴らしさを少しでも伝えられればと思っています。リアルタイムで知らない若い世代の方もぜひ!

 私にとっては、そろそろスギ花粉の飛ぶ試練の季節がやってくるなぁ…と思っていたら、今日の東京は朝から雪模様 花粉が飛びまくるのと雪の中を通勤するのとどっちがいいかと“究極の選択”を突きつけられたら、…うーむ、ホントはどっちも勘弁だけど、雪の方がまだマシかなぁ

 さて今回は、昨年末に少しアナウンスしておいた「好事家w.w.からの挑戦状 この人は誰の兄弟姉妹…?」の第2弾、いってみたいと思います
ある有名な歌手・タレントの兄弟姉妹がリリースしたシングル作品をヒントに、その有名歌手(or有名タレント)が誰か当ててもらいましょう、という企画でしたね

 今回用意した問題は全部で7問です。今回も当ててもらう歌手・タレントの多くはメジャーな顔ぶれですが、年代とジャンルがバラバラなこともあって、完答するのは難しいかも…
。一応、問題は解きやすいと思われるものから順に並べたつもりですが、果たしてどうなりますことやら

 それでは、さっそく問題にいってみましょうか。


●問題● 次に挙げる面々は、いずれもある有名な歌手・タレントを兄弟姉妹に持っている方ばかりです。それぞれの兄弟姉妹は誰か、当てて下さい。

(1) 石田ゆり
主なシングル作品:「悲しみのアリア」(1970.9.25発売、オリコン最高位27位、売り上げ枚数6.8万枚)、「愛ある限り」(1971.1.10発売、53位、3.4万枚)、「愛を知ったから」(1971.5.5発売、-位、-万枚)

☆ヒント 宝塚音楽学校出身の石田ゆりは、そのまま宝塚歌劇団には入団せず、18歳の時に、なかにし礼-筒美京平コンビの手によるクラシカルな雰囲気の佳曲「悲しみのアリア」で歌手デビュー。デビュー曲こそ小ヒットしたもののその後が続かず、シングル4枚とアルバム1枚を残して、デビュー翌年に結婚・引退しました(相手は何となかにし礼センセです)。
 1964年にすでにレコードデビューしていた3つ年上(学年は4つ上)のお姉さんは、1968年発売の横浜にちなんだシングルがミリオンセラーを記録。いまも歌い継がれる名曲として知られています。ちなみに下のジャケット写真では、ちょっと三白眼気味に写っている「悲しみのアリア」よりも、「愛を知ったから」の方がお姉さんにそっくり!名字もヒントになりますね。
 
さて、石田ゆりの“お姉さん”とは誰でしょう?

 


(2) misono
主なシングル作品:「faraway」(day after tomorrow名義、2002.8.28発売、23位、2.2万枚)、「moon gate」(day after tomorrow名義、2003.9.3発売、2位、20.0万枚)、「VS」(misono名義、2006.3.29発売、4位、4.0万枚)、「二人三脚」(misono名義、2008.6.25発売、10位、2.8万枚)

☆ヒント misonoは、男性2人+女性1人のユニット”day after tomorrow”のヴォーカルとして、2002年にエイベックスから鳴り物入りでデビュー。misonoのお姉さんも、エイベックス主催のオーディションで準グランプリを受賞後、2000年に全米デビュー。同年に日本でもデビューを果たしますが、歌手としてブレイクしたのは妹の方が先でした。ところが2003年辺りを境に、ハスキーヴォイスと「エロかっこいい」イメージを武器にお姉さんの方がCD売り上げを伸ばし、オリコン1位も獲得。「おバカタレント」として再ブレイクした妹も2006年にソロデビューに転じますが、歌手としてはお姉さんに随分と水をあけられる形で現在に至ります。ちなみに、姉妹の顔が似ているのかどうか、化粧の関係で私には分かりまへん(←ヒントになってねぇ~)。
 さて、misonoの“お姉さん”とは誰でしょう?

 


(3) 野川明美
主なシングル作品:「朝の海」(1975.3.1発売、55位、2.9万枚)、「恋の雪舞い」(1975.8.?発売、-位、-万枚)、「コスモス思愁」(1978.8.?発売、-位、-万枚)

☆ヒント ‘60年代に市川昭介センセの秘蔵っ子として数々のヒット曲を量産したお姉さんを持つ野川明美は、1975年に遠藤実センセの手による「朝の海」で歌手デビューしました。音楽祭で新人賞を受賞するなどまずまずのスタートでしたが、1978年頃までに7枚のシングルをリリースするも、残念ながらヒットには至らずフェイド・アウト。
 一方、お姉さんの方は1976年に日本レコード大賞を受賞するなど、順調そのもの。1984年に「普通のおばさんに戻りたい」という名言(?)を残して一時的に引退しましたが、1990年には歌手復帰を果たし、現役続行中です。ジャケット写真は、「恋の雪舞い」よりも「コスモス思愁」の方がヒントになるでしょう。目元のあたりが何となくお姉さんを思わせる印象です。
 さて、野川明美の“お姉さん”とは誰でしょう?

 


(4) 牧陽子→三浦弘子
主なシングル作品:「新宿二丁目曲り角」(牧陽子名義、1975.10.?発売、-位、-万枚)、「陽子二十歳は風まかせ」(牧陽子名義、1976.5.?発売、-位、-万枚)、「ハニー・ネスト」(三浦弘子名義、1979.1.25発売、-位、-万枚)

☆ヒント 東映女優として芸能界入りした後、25歳で遅咲きの歌手デビューを果たした牧陽子は、デビュー曲「新宿二丁目曲り角」から、「おバカさん」、「陽子二十歳は風まかせ」、「本牧ディスコティック」、「あきらめた」と、シングルのタイトルを見て明らかなように、人生を達観するかの如き“やさぐれ歌謡”を歌い続けました。1978年に三浦弘子と改名した後も、「つまみ喰い」、「ハニー・ネスト(←「蜂の巣」の意)」と、まさに捨て鉢度数120%。ここまで作風が一環していると清々しさすら感じます。ちょうどこの頃、三浦弘子はNHK-FMで音楽番組のパーソナリティを務めていたのですが、その司会ぶりからはやさぐれた感じが微塵も感じられませんでした。つくづく、女って不思議な生き物ですね。
 ’70年代に爽やかな二枚目俳優として大人気だった一学年下の弟は、1980年、実力派の女性トップアイドルと人気絶頂のさなかに結婚。絵に描いたような美男美女カップルの誕生に、日本中がお祝いムードに酔いました。
 さて、牧陽子(三浦弘子)の“弟”とは誰でしょう?

 


(5) 芹沢直美
主なシングル作品:「黙っててあげる」(1986.11.1発売、71位、1.2万枚)、「Virgin 番外地」(1987.2.25発売、30位、2.8万枚)

☆ヒント 芹沢直美は、TBSドラマ「夏・体験物語2」で注目されたことをきっかけに、歌手としてもデビュー。リリースされた3作のシングルは、筒美京平センセ(2曲)、関口誠人(1曲)の提供と、作家陣には恵まれたもののヒットには至りませんでした。
 3歳年下の妹も、1985年には「ホリプロタレントスカウトキャラバン」の決戦大会に進出するなど、早くから芸能活動をしていましたが、1987年に国民的(?)女性アイドルグループに加入したことで一気にメジャーシーンに躍り出ました。同年にはソロ歌手デビューを果たし、オリコンチャートベストテン入りも果たしています。
 
妹の方がアイドル向きのあどけないルックスをしていましたが、姉妹の顔はかなり似ていると言って良いでしょう。
 さて、芹沢直美の”妹”とは誰でしょう?

 


(6) 有沢とも子→太田とも子
主なシングル作品:「抱きしめて」(有沢とも子名義、1969.1.?発売、-位、-万枚)、「恋のおとずれ」(有沢とも子名義、1969.5.?発売、-位、-万枚)、「恋はまっさかさま」(太田とも子名義、1970.10.?発売、-位、-万枚)

☆ヒント 有沢とも子は、荒木一郎作品の「抱きしめて」で歌手デビュー。太田とも子への改名後を含めると、約3年間に5枚のシングルをリリースしました。シングルA面の作家陣は荒木一郎のほか、鈴木邦彦、宇崎竜童、中村泰士と、当時のヒットメーカーをずらりと揃えただけあって、なかなかの名曲揃いです。
 お姉さんの方は、1965年に日活にスカウトされて青春スターとして活躍。1969年頃からは任侠・お色気・やさぐれ路線の映画に活動の軸足を移して芸の幅を広げ、1971年、日活のロマンポルノ転向を機に東映に移籍すると、主演作「女囚 さそり」シリーズが大ヒットを記録したほか、映画主題歌「怨み節」もヒット。強烈な個性と存在感の光る、クールなアウトロー女優として人気を博しました。で、肝心のジャケット写真の方はなぁ…、ハッキリ言って似てないのでほとんどヒントにならないと思います(←ひでぇ…)。
 さて、有沢とも子(太田とも子)の“お姉さん”とは誰でしょう?

 


(7) 中沢初絵
主なシングル作品:「Sweet Summer Lady ~年下サーファーボーイ~」(1986.5.21発売、44位、1.4万枚)、「中国恋魔術 ~チャイナ・マジック~」(1986.11.21発売、-位、-万枚)

☆ヒント 日本旅行、初代赤い風船キャンペーンガールとして知られる中沢初絵は1986年に歌手デビュー。何とも言えない独特の声に特徴があって、歌も決して下手ではありませんでしたが、アイドル歌手としてブレイクするのはさすがにキツかったか。リリースされたシングル2作品のコンポーザーは、デビュー曲が美樹克彦センセ、2作目がアリスの矢沢透の作曲と、こちらも時代の趨勢を無視した人選。渋すぎます。現在は地元沖縄のローカルタレントとして活躍中。
 2歳年下の弟は、1994年にホラー系漫画家としてデビューした後、21世紀に入るとテレビのバラエティ番組に出演するようになり、オネエキャラで人気を獲得しました。
 さて、中沢初絵の“弟”とは誰でしょう?



 …ということで、問題は以上です。いかがでしたか。やっぱり、「(2)(5)(7)は瞬殺だったけどそれ以外は???」とか、「(1)(3)(4)は易しいけど残りはさっぱり…」というパターンに分かれるのか… それとも、「全問楽勝でした~」なんつー強者(つわもの)が出現するのでせうか解答編の記事は、週末あたり(2/20か2/21)にアップする予定です。今回も特に解答コメントを募集しませんが、クイズにぜひ挑戦してみて下さいね もちろん、感想や難易度に関するコメントなんかもお待ちしておりま~すm(_ _ )m

 それでは、今回の記事はこれにておしまい。またお逢いしましょう