【好事家w.w.からの挑戦状 16-1】 この人は誰の兄弟姉妹…?(その1 問題編) | 歌謡曲(J-POP)のススメ

歌謡曲(J-POP)のススメ

音楽といっても数々あれど、歌謡曲ほど誰もが楽しめるジャンルは恐らく他にありません。このブログでは主に、歌謡曲最盛期と言われる70~80年代の作品紹介を通じて、その楽しさ・素晴らしさを少しでも伝えられればと思っています。リアルタイムで知らない若い世代の方もぜひ!

 クリスマスも無事に終わり、年末が押し迫ってきましたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか

 今回は、「この人は誰の兄弟姉妹…
」と銘打って、「好事家w.w.からの挑戦状」でいってみたいと思います。要するに、ある有名な歌手・タレントの兄弟姉妹がリリースしたシングル作品をヒントに、有名な方の歌手・タレントが誰か当ててもらいましょうというのが企画の趣旨ですね

 出題する問題は全部で6問です。ヒントの出し方には毎回頭を悩ますのですが
、今回は、例えばヒット曲のタイトルを書いてしまうとか、あまりに直球勝負のヒントはやめて、ほどほどのさじ加減に抑えてありますこれが吉と出るか凶と出るかは、もうケセラセラってことで

 問題は解きやすいと思われるものから順に並べたつもりですが、今回は私が出すヒントのほかに、芸名、レコードジャケットの写真など、何がヒントになるかさっぱり見当がつかないので、まぁあまり当てにならないと思ってもらった方が良いかも…(年配の方にとっては易しいはず
)。でも、今回ご登場願う6人は全員が一線級のメジャーメンツなので、歌謡曲にあまり詳しくない方も楽しんでもらえるのではないかと思っとります。

 それでは、さっそく問題にいってみましょう



●問題●次に挙げる面々は、いずれもある有名な歌手・タレントを兄弟姉妹に持っている方ばかりです。それぞれの兄弟姉妹は誰か、当てて下さい。


(1) 木の実まこ

主なシングル作品:「あこがれ」(1974.3.?発売、オリコン最高位-位、売り上げ枚数-万枚)
☆ヒント 中学生の頃、ミュージカル女優として人気のあったひと回りも上のお姉さんに着いて楽屋に出入りするところをスカウトされて芸能界入り。最初は、本名(池田味摩子)の一部をひらがなにした“池田みまこ”名義で活動していましたが、高2の時に、お姉さんの芸名にあやかって“木の実まこ”名義で歌手デビューしました。…おっと、ヒント易しすぎちゃったかな?
 
さて、彼女のお姉さんとは誰でしょう?


(2) 園えり子→平山洋子
主なシングル作品:「気にしないでね」(園えり子名義、1970.6.?発売、-位、-万枚)
           「死ぬまで一緒に」(平山洋子名義、1973.9.21発売、55位、5.3万枚)
           「愛のサンバ」(平山洋子名義、1975.10.21発売、-位、-万枚)
☆ヒント ミス・エールフランスコンテストで優勝したのをきっかけに、1965年に女優 園枝梨子としてデビュー。’60年代終わり~’70年代初めにかけて、園えり子名義でレコードを出しますが、先にヒット曲に恵まれたのは、後から芸能界入りして’70年代に「筒美京平の秘蔵っ子
としてその名を馳せた妹の方でした。第一問目と同じく、改名後の芸名(名字)のほか、妹の面影をたたえた「死ぬまで一緒に」のジャケット写真も、しっかりヒントになるはず
 さて、彼女の妹とは誰でしょう?

 


(3) アイリーン
主なシングル作品:「いちご娘」(1971.?.?発売、-位、-万枚)
           「恋の夜来香」(1971.6.?発売、-位、-万枚)
           「花占い」(1972.2.?発売、-位、-万枚)
           「薔薇の誓い」(1972.7.?発売、-位、-万枚)
☆ヒント 妹と同じく香港出身のアイリーン[本名:陳依齢(チャン・イーリン)]は、‘60年代後半から香港映画に出演していましたが、妹と一緒にカバーしたジョニー・ミッチェルの『サークル・ゲーム』が香港で大ヒットを記録。日本留学中の1971年に「いちご娘」で日本デビューを飾り、4枚のシングルをリリースしましたが惜しくもヒットせず。平尾昌晃に見出された妹の方が、彼女と入れ替わるように日本で歌手デビューを果たして、すぐにアイドル歌手として花開いたのは皮肉でした…。ちなみに、ジャケット写真は妹とあまり似ていないので、ヒントにならないかも。
 さて、彼女の妹とは誰でしょう?

 


(4) 斉藤隆治
主なシングル作品:「ノーブレイク」(1987.6.21発売、67位、0.8万枚)
           「LOST AFFECTION」(1987.9.21発売、-位、-万枚)
☆ヒント 1987年に映画『微熱少年』で主演デビューした斉藤隆治は、同年に「ノーブレイク」で歌手デビューも飾ったラッキーボーイでしたが、自らが”ノーブレイク”のままフェイド・アウト…。余りに恵まれたデビューのお膳立てには、1985年にひと足早く歌手デビューして売れっ子アイドルになっていたお姉さん(初代 浅宮サキ)の威光を感じずにはいられません
 さて彼女のお姉さんとは誰でしょう?

 


(5) 花里あけみ→藤井明美(ふじいあけみ)→立木久美子
主なシングル作品:「思い出さん」(花里あけみ名義、1967.2.10発売、-位、-万枚)
           「たけくらべ」(花里あけみ名義、1968.3.10発売、-位、-万枚)
           「女の意地」(藤井明美名義、1971.2.25発売、-位、-万枚)
           「思い出のカルチェ・ラタン」(立木久美子名義、1974.?.?発売、-位、-万枚)
☆ヒント 幼少時にすでに児童劇団に所属していた彼女は、中学生の頃から遠藤実センセの元で歌手としての修業を積み、15歳だった1967年に花里あけみとして「思い出さん」で歌手デビュー。遠藤実センセによる作品を4枚リリースするも結果が出せず、1970年には藤井明美と改名して「軽井沢の夜」で再デビュー、さらに1974年には立木久美子と再度改名して「思い出のカルチェ・ラタン」で再々デビューを果たしますが、結局はヒット曲に恵まれませんでした。4歳年下の妹が1972年にアイドル歌手としてデビューして、あっという間にオリコンNo.1を含むヒット曲を量産したのとはあまりに対照的…。「女の意地」のレコードジャケットでは、妹とそっくりの表情や顔の輪郭が見られます。
 さて、彼女の妹とは誰でしょう?

  


(6) 市川純子
主なシングル作品:「真珠になるの」(1968.8.?発売、-位、-万枚)
           「恋人たち」(1971.6.?発売、-位、-万枚)
           「孤独な洗礼」(1972.7.?発売、-位、-万枚)
           「カトレヤの悩み」(1974.5.?発売、-位、-万枚)
☆ヒント 出題しておいて何ですが、市川純子さんご本人の情報は殆ど持ち合わせていません。弟は、1964年に「太陽の王子」のキャッチフレーズで歌手デビューした男性アイドルの“御三家”の一人で、現在も俳優として活躍中。その芸名(名字)を同郷の薩摩藩士から拝借したことでも有名な人ですね。それはそうと、純子姉さん(←気安すぎ)の「真珠になるの」と「恋人たち」のリリースは約3年空いているのですが、ジャケット写真が「使用前→使用後」っぽくてど~も気になってしまうのは私だけ…?(う~む、ホントに同一人物なのだろうか…)。いずれにしても、イケメンの弟さんとはあまり似てませんよねぇ。
 さて、彼女の弟とは誰でしょう?

 



 ・・・以上で問題の方はおしまい
。解答編の記事は、週明けあたり(12/29)にアップする予定です。特に解答コメントを募集することはしませんが、感想その他コメントなど大歓迎で~す。皆さん、奮ってクイズの方に挑戦してみて下さいね。それでは、またお逢いしましょう